知らないタイを歩いてみたい!

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友人H氏から私の生き様についての投稿

2022-03-27 05:40:42 | ハノイ


先日、K先生と例のように無駄話を楽しんだ。
K先生はタイ国(確か農村について)の研究で有名な方であるから、勢い話はその方向へすすむ。
先生がそちらの方へ話を持っていくといった方が正確だが。

先生が言うには、タイの山岳民 は、近代文明をかたくな 続けているものがあるという。
しかも何かの用事で山を下りることがあり、その際、便利な物、華美な衣類といったものを目のあたことがあっても、手を触 って行くという。

こんな話になると先生は次第に熱を帯び、解説することタイ国のすべてに及ぶ。 (タイの国の形状 っきり知らないほどの私ですから)
「へ―え。 なるほど・・・・・」とやきながら、聞き手一方にまわりのが常である。


しかし、たまたまこのときは、反論とはいかないが鋭い質問をしてしまった。
「それは金がないとか、交換するものがないとか、、、つまり、
貧しいゆえに我慢しているだけとちがう?」
続けて「何かこう、、、主義とか戒律みたいなものがあって、それ故に拒絶している訳ですか?」

この件に関してはまだ調査が進 んでいなかったのでしょう、歯切 れが悪い。 少し私がしつこく食い 下っていると「実在すると言ったままで、そう易やすと答えられるかいな!」 と急に不機嫌になり話は中断し た。

K先生はいつも、実際の見聞を 交えて話すので、面白いことこの上ない。 そして最後はいつも次の持論でめくくる。

「東南アジアをながめるとき、西流の考えや目で価値判断してしまうのは、まったく間違いである。」と。
私など、その張本人であるかの ように批判される。それこそ、「何もしていないのに」と言いたいくらいである。

意識のなさがいかんということ なのだろう。そういう傾向にある日本人への批判であれば、聞き易く又、頷き易いのであるが、おとなしい聞き手を血祭りに上げるのには全く閉口する。
K先生とはじめて知り合った頃は、詩をかくことのみを愛し、同人誌を発行することに熱中する詩人であった。

東南アジアの研究に没頭しだした理由ははっきりとは知らないが近頃はほとんど詩を書いていない様子である。
タイ国の研究も、内容を聞かせ てもらうと、地味で限りのないフィールドワークである。 研究の対象が広く、迷い迷いで 「困った」と口走るのを聞いたことがある。

或る日、私は「何んで先生の研究対象はタイ なのですか?。 タイでないとい けませんのか?」愚問ここに極めりの質問をし発した。
ぐっと詰まり、暫くして語気荒 先生は答えた。 「もうこうなったらタイなの だ!」と。

人生は複雑なのでしょうか。 ひ ょっとすると簡単なのかもしれな い。昭和57年12月7日「都々城野」


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