運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

自然のいただきもの

2010年10月07日 00時25分56秒 | Weblog
もう、ずいぶん、ずーっと、
朝食は、
まず湯ざまし、そして、お水をたくさん飲む。それに、あるときはミントの葉とかハーブを入れて
それから、果物
たくさん食べる必要がないから、あるものを少し。
たとえば、パパイヤだったら半分も食べたら満腹。
それに、野菜。
塩と、ちよっぴりだけ、ビネガーとオイルをかけるだけ。
アボガドだったり、採れたてトマトだったり、無いときはドライバナナだったりする。

そんなものをちょっぴりいただいて
炭水化物は午前中はとらない・・・と決めたわけではないのだけれど
ほしくならないから。

次に、身体がエネルギーを欲してくるのが11時半くらいだから
そのときにはナッツを少しいただく。

昼食はおにぎり。梅干が一番。

夜は、食べることのできる時間が遅い場合が多いので
小さな冷蔵庫の限られたものを工夫して
やはりどうしても、シンプルで重たすぎないものになる。
おだしにソーメンを浮かべて、のりを散らしたり、実家でとれた茗荷をいれたり。

どんなときも、お野菜があれば幸せ。
ぬか漬けも欠かさない。
いま入っているのは、セロリとなすときゅうり。
いまは、国連大学の前の広場の新鮮野菜の屋台で買ったもの。
軽胆沢の見事な籠盛り、大黒なすやきゅうり、ピーマンがある、幸せ。

近所の八百屋さんで見つけた
新鮮な、スマートな蓮根と、ごぼうを炊いてみた。

食べ物は本当に、口からいただくエネルギーだって実感する。
どんなエネルギーを欲しているか、身体からの声をきくと
どうしてもお肉はあんまりほしくならない。

草食系とか、男の子のことを呼ぶけれど
女性はもともと草食系なのかしら。

緑は食べても幸せ、愛でても幸せ・・・。




さわやかな10月

2010年10月06日 00時26分58秒 | Weblog
年金事務所に行くように言われて、どこにあるのか管轄を調べたら吉祥寺だった。

目の前は、以前、すんでのところで、司書を受けると子供の学校の帰り時間に一時間ほど間に合わなくなる曜日があるからと、仕事はしないでと反対されてあきらめた,大きな樹のある図書館だった。


皮肉なものだなあ。
あのときに、信じたり譲ったりせずに自分を大事にしていれば、長じてから、もう要らないといわれてもやっていける安心な収入源があって、今になって、ええ!?と驚くようなことを言われたり負担になったりしないですんだのだった・・・って、この図書館をみて思い当たった。
好きな本に囲まれて、好きな町に通っていられたんだろうなあって、
映像の勉強に学校を受けたかったときも、不機嫌に遠慮してやめたけれど、いまでは、あのとき映像のことなど言ってもいなかった彼の方が、映画を作っているという・・・アホやなあと、自分の要領のわるさとお人よしを思うけれど、
でも、あのとき、自分の望みを通すよりも、大事にしたかったんだもの、
彼らが幸せでいるほうが幸せって、私が自分で、そっちを選んだんだもの。。なんにも悔いはない。

これからは、自転車で、ここまでなら時々来たりもできそうじゃないって、楽しみ!って、思いながら、事務所で書類をもらって、図書館の入り口で、開館予定表だけもらってバスに乗った。


何もない・・・これもまた気持ちよく爽やかな自由。
そして、なにがあろうと変わらず自分のベストを尽くす。


秋の空はこんなにきれいだ。


私は私を感謝。

いまこの時に感謝。




自由

2010年10月05日 02時39分32秒 | Weblog
毎日がしみじみ幸せだ。
人はそれぞれが芸術作品、子供の時からずっと思っていた。
だから、大きくなったら何になりたいって、そう聞かれて、バスの車掌さんとも、お嫁さんとも、お菓子やさんとも答えられなかった。

たぶん私は、私になりたかっただけだったのだもの。

世界とひとつである実感、大きなものの中の、だけど同じ小さなひとつであることを、確かめるのにいそがしかった。
世界の不思議を解き、世界の美しさを知り、神秘と真理にひたすら喜びと感謝をしたかっただけだった。
本当の私、さらに進化した私、もっと、つよく、もっとやさしく、人として、魂の実力を備えてふるに発揮して自由な私。
なりたいものは、そういう自分でしかなかった。

いまは、誰にはばかることなく、感じるものに耳を澄まし、身体の中からあふれてくる自然な感覚に従っていると
必要なことやものは間違いなく、しかも瞬時に現れてくれる。
毎日がミラクルでクリエイティブだ。
忘れていた、とりもどした自分。
私が私のままでいていい幸せ。
誰だってそのままでいいのに、誰かがなじんでいるもの、描いているものと違うと責めたり、強いられたりしない、それと違うからと削除されたり排除されたりしない、という、たったそれだけの安心と自由。

人は自分ではそうと気がつかないで、思い込みや小さな偏見、大きな偏見、にとらわれている。
けれど、わたしたちはみんな自由。

通ってきた道がちゃんとぐるぐるとらせんを描きながらも一筋の道になっていることが見える幸せ。。。
たくさんのクリーニング。
あの不思議な朝に見た夢、洗っていればいいんだというありがたい夢が
どんなときも支えて先導してくれている
見えない、護りと、見えない愛に囲まれている

そして、木や、草や花や山や鳥や岩や風とそれを分かち合い共鳴できること、想いを送りあうこと、この世界に生かされて
、息をしていること、そのどれをとっても、どれを見ても、幸せ。


一生をかけて、自分という作品を創り磨いていく。
限りない自由の中にわたしたちは在る。








秋の日の金星

2010年10月01日 02時26分20秒 | Weblog
雨模様の毎日の中
奇跡のような秋の青空と済んだ陽の光。

きっと、金星はこんな場所。

三島由紀夫の『美しい星』を、ふと思い出したり、金星の飲み物はマンゴーとパッションフルーツを混ぜたような味、と言っていた他称、在日宇宙人の画家であり主婦でもある友人を思い出したり・・・

秋の陽のヴィオロンの日のため息よ、なんてフランスの詩があった

美しい日 美しい秋。