Rowing!!ー滋賀大学教育学部☆漕艇部の徒然ブログー

滋賀大学教育学部漕艇部の愉快な仲間たちによる、その活動をつらつらと書いたブログです(^^)◎

おおきな木(The Giving Tree)

2020-01-23 20:21:14 | 独り言

シャワーを浴びていると、お湯が突然でなくなり、冷水を浴びることになってしまいました。冷たくて冷たくて死にそうでした。お湯って素晴らしいな。

 

1回生の大畑です。
下宿をしていて、お湯がでなくなるって命に関わることなんですね。洗い物とかしていると、手が冷たくなるので、お湯をバンバン使っていたんですが、、肝心なところでお湯がでなくなりました。少しは我慢すべきでした。反省。

 

話は変わりますが、最近絵本を読む機会がありました。その中で、シェル・シルヴァスタイン(Shel Silverstein)の「おおきな木(The Giving Tree」)という絵本が印象に残りました。ご存知でしょうか?


一応、あらすじをのせておきます。

 

リンゴの木と少年は友達であった。ともに遊び、心を通わせていた。
しかし少年は大人になってゆきお金が必要になる。木は「私の果実を売りなさい」と言う。少年は果実をすべて持っていった。
しばらくして、大人になったその子は家が必要になる。木は「私の枝で家を建てなさい」と言う。その子は枝をすべて持っていった。
また時が経ち、男は「悲しいので遠くへ行きたい」と言う。木は「私の幹で舟を作りなさい」と言う。男は幹を持っていった。
時が経ち、男は年老いて帰ってきた。そして「疲れたので休む場所がほしい」と言う。木は「切り株の私に腰をかけなさい」と言う。男は腰をかけた。木は幸せであった。(参照:ウィキペディア)

 

この本、読む人によって解釈が変わります。


リンゴの木は、いつも我が身を差し出して、少年に幸せになってもらおうとしている。木が自分の身を削りながらものを与え続ける、そんな無償の愛について描かれたという解釈。


少年の不満足に対して、リンゴの木が自分の身を削って与えるばかりの一方的な関係を描いているという解釈。


中には、木と少年の関係が母親と子ども、2人の年取った友人、母なる自然と人間にたとえる解釈もあるそうです。

 

僕は、この絵本を読んだときに、少年の行動がかなり身勝手ではないかと思いました。家が必要なら買えばいいじゃん。舟がいるなら借りるか買うかすればいいじゃんってなっちゃいました。


この絵本は、リンゴの木の視点から描かれているので、少年がどんな人生を歩んで来たのかがはっきりしていません。もしかしたら、本当に生活に困っていたのかもしれません。リンゴの木を都合のいいように利用していたのかもしれません。


断定がされていないので、なんともいえません。しかし、少年がリンゴの木に対して何もしてあげれていなかったのではないかと思いました。木を幸せにすることができたと考えることもできますが、絵本の中には、木が幸せについて疑問をもっているような箇所がありました。「幸せ」はちょっとちがう?


「リンゴの木なら、なにかしてくれるだろう。」木が自身の身を差し出すことに、少年は甘えていたのではないかと考えました。

 

これは、あくまで個人的な考えなので、皆さんは違った感想を持つかもしれません。実際に、いろいろな考えや解釈がでています。

 

この絵本を読んで、自分の生活を振り返ってみました。どうでしょうか。


冬季練や先日のマシンローで、たくさんの人の支えがあることを実感しました。練習中、一緒に頑張ろう!と励ましてくれた先輩方、弱音を吐いてもちゃんと聞いてくれて励ましてもらった同回のみんな、声援、応援をしてくださった方々と多くの人に支えられてここまでやってこれたなと思います。


マシンローでも、後ろから
「ペース整えよう」
「いいよー」
「ファイト、ファイト!」
皆さんの応援があったから、自己ベストをだすことができたと思います。自分ひとりの力では、到底やりきることができなかったと思います。

 

しかし、自分から皆さんには何ができているでしょうか。周りに支えてもらっている環境に甘えていないだろうか。自分からことなんてとても限られているので、せめて練習に精一杯取り組むことで、なにかお返しができたらいいなと思います。


果たして、お返しになっているのか…

 

最後に、この絵本は本田錦一郎さんによる日本語訳と、村上春樹さんによる日本語訳とがあります。原本の英文の解釈の違いを意識して読み比べてみても、面白いと思います。


ぜひ、読んでみてください。

 

長文失礼しました。読書感想文みたいになってしまいました。冬季練がまだまだ続きますので、頑張っていきたいと思います。


以上です。