こんにちは。2回生ローヤーの小蔵千尋です。
やはり毎年長いようであっという間に過ぎる夏休み、また暑い中での練習ももうあと少しです。少し肌寒くなってきたので、体調管理に気をつけていきたいです。
さて、私はこの夏、自分の専攻である音楽に詳しくなろうとコンサートに行ったり、教授にプチレッスンを行ってもらったりしていました。その中で、ずっと心に残っている教授に教わった内容があります。それは、現代の芸術は、「もし〜ができなかったら」という考えの中で作られているということです。
例えば、ある対象の物を1つの方面からしか見ることができなかったら、また、目が見えなかったら、どのように絵を描くかなどを考えて、絵を描いているのたそうです。
私は、文化も時代とともに進化していると考えていたため、「できること」が増えているものとばかり考えていました。しかし、一度立ち止まり、「もし〜ができなかったら」という考えをもつことで、できる作品があるのだと知り驚きました。そして、このことから、私も日常生活、また、ボートを「もしできなくなったら」と考えることで気づくことがあるなと考えました。私自身、日常生活で怪我をしてしまうことがあり、その際今まで練習できていた環境は当たり前ではなかったなと気づきます。そのため、「もしできなくなったら」という考えを頭の片隅に置いておき、毎日を後悔しないものにしたいと考えています。当たり前のことのようで、難しいことだと思うので、周りのみんなと協力し合い、後悔しないような練習をし続けていきたいです。
失礼しました。
やはり毎年長いようであっという間に過ぎる夏休み、また暑い中での練習ももうあと少しです。少し肌寒くなってきたので、体調管理に気をつけていきたいです。
さて、私はこの夏、自分の専攻である音楽に詳しくなろうとコンサートに行ったり、教授にプチレッスンを行ってもらったりしていました。その中で、ずっと心に残っている教授に教わった内容があります。それは、現代の芸術は、「もし〜ができなかったら」という考えの中で作られているということです。
例えば、ある対象の物を1つの方面からしか見ることができなかったら、また、目が見えなかったら、どのように絵を描くかなどを考えて、絵を描いているのたそうです。
私は、文化も時代とともに進化していると考えていたため、「できること」が増えているものとばかり考えていました。しかし、一度立ち止まり、「もし〜ができなかったら」という考えをもつことで、できる作品があるのだと知り驚きました。そして、このことから、私も日常生活、また、ボートを「もしできなくなったら」と考えることで気づくことがあるなと考えました。私自身、日常生活で怪我をしてしまうことがあり、その際今まで練習できていた環境は当たり前ではなかったなと気づきます。そのため、「もしできなくなったら」という考えを頭の片隅に置いておき、毎日を後悔しないものにしたいと考えています。当たり前のことのようで、難しいことだと思うので、周りのみんなと協力し合い、後悔しないような練習をし続けていきたいです。
失礼しました。