にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

ワンちゃんの身体的サイズの違い

2019-10-03 18:42:00 | 黒ラブなな

   先週の日曜日、初めてドッグランにななを連れて行き、サイズ的には中型犬ですがどちらのエリアにいきますか、と係員さんに言われた。迷わず大型犬エリアでお願いしますと。

そこで出会ったグレートデンという犬種に心底驚いた。こんなに大きい犬がいるんだと。しかもまだ生後8ヶ月でまだまだ大きくなるという。ばっと見には白黒の模様からダルメシアンかと思った。

調べてみたらドイツが原産国でやはりサイズは世界一の犬種だった。大きいものは縦の長さが2メートルを超えて体重が80キロオーバーするらしい。普通の人より大きいじゃないか!

でも性格が従順で人懐っこくてとてもやさしいワンちゃんだとか。寿命は10年以下とあった。毛並みも4種類以上あり様々だ。ドイツを中心にヨーロッパではとても人気のある犬種らしい。







   ふと、ワンちゃんはどうして小型犬から大型犬まで身体のサイズがほかの動物に比較して差が極端に大きいのだろう?

にゃんこは、種の違いがあってもそれほど差がない。ワンちゃんは、チワワからこのグレートデンまで凄まじいほどの違いがある。







   身体のサイズを決定する遺伝子🧬部分がどこかが突き止められたらしいが、どうしてその部分に違いが生じたのか、ネット見る限りは分からなかった。

小型犬はどうやら現代特有で、人間が室内で飼いやすいように品種改良的なことを施したらしいと(真偽はわからないが)そんな記述があった。

ワンちゃんは身体的サイズだけではなく、顔の形や表情、スタイルも随分と変化がある。世界各地でほんとうにいろんな犬種がいて面白い部分を見つけた感じだ。







   ななが小型犬のように見えてしまう。
普通の家ではこれほど大きなワンちゃんは飼えないと思う。小型犬も愛らしくてかわいいが、大型犬のゆったりした凛々しさというか迫力もまたいいなと思うようになった。






ドッグラン初体験(2)

2019-10-02 17:35:00 | 黒ラブなな

   ワンちゃん連れでワンちゃん好きな方々のコミュニティだから気が楽で開放感があった。

いつもの散歩は、自転車や車に気をつけながら、すれちがう人には1番気をつけて、シッコやウンチのする場所、そのあとの始末に気をつけながらだ。

いろんなワンちゃんとも触れ合えるので楽しい経験になる。ほんとうは、小型犬や中型犬のワンちゃんたちとも触れ合えたらよかったのだが、やはり大型犬は、小、中型犬の飼い主さんから敬遠されている。















   軽く30キロ超えのワンちゃんがたくさんいた。このグレートテンはホント大きくていったい何キロまで大きくなるのだろう。
ゴールデンちゃんは三頭もいてやはり人気のワンちゃんなのだろう。穏やかで優しい性格だ。















   ななはこのグレートテンに何度か相手してもらおうと噛み付いていったが、軽くかわされて逆に甘噛みされてしまう。
大丈夫かなと少し心配して近くで見ていたがここに連れてくる大型犬たちはみんな犬同士のマナーを習得している。いきなり噛み付いたり吠えたりしない。

入場料がどうかという問題はあるかもしれないが、私はむしろ適正で安い方(1000円)だと思った。飼い主用の椅子やテーブル、日陰になる設備があちこちにあり、ワンちゃん用のシャワーやふきタオルが使いたい放題である。しかも、駐車料金はタダ。

ドッグカフェとか室内ドッグランはもっとお金がかかり気をつかう部分がでてくると思う。車で自宅から片道1時間以内で、このようにワンちゃんを楽しますことができる施設はそんなない。いいところを見つけた。

こころの羅針盤(1)

2019-10-01 16:15:00 | 日常

   人生を旅にたとえるならば、そろそろ終着点が見えてもいい頃である。でも自分の中で終着点を決めたくない気持ちがある。

進路を決めるための羅針盤が若い頃から自由度が高く、あれこれといろんなことをやってみたくなる。

羅針盤とは、船舶や航空機に備えて方位、進路を測る装置と辞書的にはある。目的地が決まっていればそれに向けて羅針盤を手掛かりに進めばよい。

今の若者をみると、どこに行けばいいのかわからない、どうしたいのかわからない若者が多い。







羅針盤といえば、『なだいなだ』の文章を思い出す。(『振り返る勇気』)
6年前くらい前に亡くなった作家で精神科医だった人だ。彼は、かつて治療したアルコール依存患者との会話が忘れられない。

彼は小学校から大学まで優等生だったという。つまりエリートコース(キャリア官僚)をずっと歩んでいた男だった。
患者としても優等生だった。医者の僕の言うことは、僕の書いた本などで読んでいる様子で、全部覚えている。話を中途で遮って、そのさきはこうでしょう、と先回りして得意げだ。

病院規則はよく守り、看護師のいうことは素直にきく。ところが、退院させてやると、直ぐに酒を飲んで病院に逆戻りだ。それをこれまで十何回も繰り返していた。

「こんな優等生の患者が、外に出るとなぜ一日ももたないのだろうか」
と首を捻ったら、彼から
「優等生だからですよ。患者としてばかりでなく、小学校から大学まで優等生でした」という回答がすぐ返ってきた。
僕は頭を上げて彼の眼を見つめた。
「優等生だから?それはどういうことかね‥‥」僕はおしまいまでいえなかった。
彼が遮った。

「優等生だったのがいけないというのですよ。優等生なんて、なるのは簡単ですよ。でも、ドクター、あんたには優等生は難しいでしょうね」
あまりにも図星だったから、鼻白んで尋ねた。







「どうしてわかったの?」
「頭が悪いから、なんて失礼なことはいいません。なれる頭を持っていてもなりたがらないからです。先生は、面白い小説を読み始めたら、試験の前の日でも、止められないでしょう」
「その通りだが」
それで何度か追試を食らったことがある。

「優等生になるには、小説など読んでいてはだめです。試験範囲の復習を、3度でも4度でもする。何しろ1番でも上に行く競争ですからね。先生はそんなのに価値を感じないでしょう。試験なんて、すれすれで及第すればそれでいい。暇があれば、できるだけ決められた以外の勉強をしたい。そう思っているでしょう。優等生は決められた勉強をして一点でも他人の上に行く競技をやって、1番だ、2番だ、と数字を誇りにする。才能のある優等生は別です。余裕を持って1番になるから、あちこち手を出せるけど。でも僕のような優等生はダメです。決められたことをやることになれるうち、自分で選んで、自分で決断することが出来なくなる。いわば、太平洋のまんなかにいくためのに必要な羅針盤がこころにつくられていない」







   この「なだいなだ」の本に出会ったのは10年くらい前のことだろうか。ここに書いてあることは、私の高校時代に確信が持てないままぼんやりと思っていたこと。

大学で勉強するうちに、優等生のうち本物の才能ある人はその内の1〜2割程度いるかいないかと思うようになった。いわゆる受験勉強ができる優等生の大部分は普通の才能の人である。

高学歴だから仕事ができるとは限らないのである。むしろ、高学歴だから仕事ができない人、その仕事に向いていない人、人間関係を上手く作れない人をこれまでたくさんみてきた。(続く)