一週間のスタートの月曜日はまた曇り時どき雨で、なかなか秋晴れの天気にはなりません。今日は泉田知事の最後となる県議会9月定例会で「おむすびの会」から傍聴の呼びかけがありましたが、夜の「市民連合・上越」での会議を優先にし県庁までの遠出はあきらめました。
先月30日の泉田知事の突然の出馬撤退から、これまでアンテナを高くしていろんな情報をキャッチして来ましたが、どう考えても新潟日報をはじめとする周到な“泉田降ろしプロジェクト”が否定できません。20日発売の週刊エコノミスト「不祥事〝弾劾〟に2人の森氏の影」の続報、26日発売の「前副知事重要発言で泥沼に」記事は『新潟県政検証』サイトでも詳細に取り上げていますが、この前森邦雄副知事の存在も無視できず、巧妙な手口で泉田知事は“嵌められた”と言っても過言ではなさそうです。
泉田知事は2004年10月の就任直後から中越地震の対応に追われ、その後の中越沖地震や東日本大震災でも精一杯頑張って来られたことは言うまでもありません。特に2011年3月の福島第一原発事故による被災地からの受け入れでは、多くの人たちにきめ細かな手を差し伸べ、南相馬市の桜井市長もそのことを高く評価し熱く語っておられます。
また「新潟県女性議員の会」では、前平山知事ではできなかった知事交渉が可能となり役員として何度も知事室を訪問し、子育て支援や地域医療の拡充などの予算要求を行ってきました。いつも新潟県の西端の「糸魚川市を忘れないでください」という私に「はい、分かっております」と笑顔で対応してくださったことが思い出され、感謝の思いでいっぱいです。
個人的にも糸魚川市のセメント工場での県内の上水道放射能汚泥受け入れ問題で直接お話しをする度に、100ベクレル以下の汚泥であっても全体として膨大な総量は無視できず、大人と子どもの100ベクレルの影響など、いつも前向きであったことを心強く受け止めて来ました。泉田知事の姿勢で現在、新潟県の上水道放射性汚泥は市内のセメント会社では受け入れておらず、新潟市や長岡市、新発田市などの各市の汚泥だけに留まっております。
そして29日告示の知事選、「市民連合・上越」の馬場弁護士が24日のフェースブックで“最後の候補だが最良の候補”と書き込んでいました。『米山隆一候補、紆余曲折を経ての最後の候補だが、結果的に最良の候補ではないかと思う。私なりに言えば①何よりも新潟で生まれた田舎者、土着の人間だ、②頭はいいけれど偉ぶらず、下々の人間の声に耳を傾けて誠実に回答してくれる、既存の政治家とは全然違う、という理由なのだ』と・・・。
相手候補は自公推薦、連合新潟も支持で市長会をも巻き込む強力な権力集団ですが、「泉田路線の継承 VS アベ政権追従」の今回の知事選を、未来への責任と捉えて短期決戦に臨まねばと再認識の終日です。