風になびくホウセンカ(東京都墨田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
内向的。
一般に、内向的な人ほど、多くの「損」をしているものです。
自分のことを深く洞察し顧みることが出来ることは、間違いなく人間的長所です。
しかし、どんなに素晴らしい考えを自分の中に秘めていようとも、
それを表に出さないことには、全く評価などされません。
目に見えているもの、耳で聞こえるもの、
つまり、自分の思想は五感のどれかに訴えるものに変換しない限り、
他人に伝わりもしないし、ましてやさとられることもありません。
内向的と言われる人は、目に見えないものに対する想像力が強いぶん、
それを訴えることにおいてはいたく苦手なもの。
だからこそ、内面が深い一方で、
その深い内面を理解される機会は、どうしたって乏しくなりがちです。
こういうわけで、
「人とうまくやれない」
「気持ちが伝わらない」
こんな「悩み」を背負って生きているのが、
内向的な人なのです。
この解決には、2つ方法があります。
まず一つは、「自分の本質を鑑み、その深い内面を表に出す方法を考えること」。
たとえば、誠実さが昂じて、一言も話せなくなってしまった人がいるとしましょう。
その人が、会話をする席を用意されたとする。
周りの人は楽しく会話したいのに、
黙りこくっていると、当然その場はシラけます。
ここで、です。
「これって、本当に「誠実さ」なのかなあ!?」と、
自分の信念の本質にせまってみるわけです。
そうすれば、ありあまる「誠実さ」の使い方もわかるというもの。
このように、崇高な理念がたたって、かえってその実現の足枷になっているかを顧みることで、
内向的な性格に対して悩み過ぎることもなくなることがあるのです。
そして、もうひとつ。
それは、「内向性に自信を持つ」ということ。
私が思うに、
内向的な人は外向性を育めないことに、
外向的な人は、挫折など内向しなければ傷がふさがらない時に、
それぞれ正反対のものが不足することで、壁に激突する気がします。
内向的な人は、外向性さえ拓いていればよい。
しかし、外向一辺倒な人が躓いた時、
それを支えるのが内向的な人の存在理由、
少しいやらしい言い方をすると、「魅力の出し所」なのです。
内向的な人はコミュニケーションが不器用ですが、
もはや「ない袖は触れぬ」です。
そのかわり、「ここぞ」という場面のために、
一生懸命、自分の内面を掘り下げておく。
もちろん、「内向性」や「心の豊かさ」なんて人に見えるものではありませんから、
下手をしたら一生、誰の役にも立たないばかりか、
もしかしたら誰にも気づいてもらえないかもしれません。
残酷なことを言うと、価値なんてどこの誰にも認めてもらえない可能性だって、ままあります。
これは確率的なものなので、「いつかは誰かが認めてくれますよ」などと無責任なことを言ってしまえば、
いましがた自分のやり切れなさに苦しんでいらっしゃる方々に申し訳が立たないからです。
でも、そこまで悲観的になる必要もありません。
「いつかは出番が来る」と思ってどっしり構えていられれば、
結果的に悩む必要がなくなり、自分で壁を作るような真似が減るからです。
内向的な人は、その存在理由を認められにくく、
それがまた自己評価を下げてしまうといった悪循環に陥りがちです。
しかし、ジタバタとするよりも、
腹を括って自分を俯瞰できるようになれば、
きっとそれは財産になり、少しは生きるのがラクになるハズです。
皆さんの輝ける日を、影ながらお待ちしています。