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小車(おぐるま、東京都大田区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
人からちょっと褒められただけなのに、
「褒められた」という事実が独り歩きし、
「褒められた内容」が気がつくと大きくなっていることがあります。
人間、自分がかわいい。
だからこそ、自分を誇張して見せたり、
過去を都合よく書き換えてしまうことがあります。
わかりやすくするために、あえて幼少期に誰しも経験しているであろう例に登場してもらいます。
小さい子供にありがちなのですが、
絵を先生に見せるとするじゃないですか。
小さな子供のすることですから、たいてい先生は「よく書けたねえ!」と褒めてくれます。
それを家に帰って親にどう伝えるか。
「ママー、あのねー、せんせいがせかいさいこうのえだってすごいほめてくれたんだよーっ!!」
ね、ありがちだと思うんです。
なんて馬鹿な、という感想をお持ちでしょうが、
大人になったって、本質的にはこれと寸分も変わらない思考をしている場合だって、
ままあるわけです。
尊敬している人、好きな人の言葉は発言力が強くなりがちですが、
その裏では、「自分の中で褒め言葉が何倍にもなって見誤る」とか、
「釘もちゃんと刺してくれているのに、舞い上がるあまりそこの部分だけ抜け落ちてしまう」など、
自分に影響のある人の褒め言葉ほど、飛躍する危険があるわけです。
これは表に出す言葉だけでなく、胸の内に秘める回想でも一緒。
それで幸せでいられるなら構わないじゃないかという人がいるかもしれませんが、
自分の中での伝言ゲームで褒め言葉を拡大解釈する癖がつくと、
「たいして好かれてもいないのに、好かれているという前提で話を進めるので顰蹙を買い、煙たがられる」
「実力を勘違いし、自らの適性から外れたものに手を出してしまう」
…こんなことになってしまうのです。
ちなみに。
「けなし言葉」や「マイナス思考」にもこれが言えます。
1%けなされたものを全否定と捉えるのも、
実はセルフ伝言ゲームの亜種だったりします。
そしてまた、褒め言葉を拡大解釈すり人ほど、
けなし言葉も拡大解釈しがちだったりします。
では、この「セルフ伝言ゲーム」に終止符を打つにはどうすればよいのでしょうか!?
なんのことはない、褒め言葉を正確に記憶し、そこに解釈を加えないことです。
必要以上に他人の言葉に反応するから、おかしくなるのです。
そして、最も大切なのは、
褒められようがどうしようが、
自分の持てる全てを瞬間×瞬間にぶつけること。
毎日が試験なのです。