日本橋(東京都中央区)
こんにちは。
今日ありがとうございます。
どんなにストイックだろうが「わがまま」だろうが、
生きていれば、不平や不満にブチ当たるものです。
あるいは、自分自身に対する言いようのない不全感に襲われ、
苦しんでいる人もいるのではないかと思います。
私達が不満を感じる時、心の中は批判精神で埋め尽くされているものです。
「足りない部分を見る」力、
「至らないことを恥ずかしいこと、罪なことだと思う」力、
こんなものが欠けているのだと、
不満を感じるものについて、ついついトゲを向けてしまいがちです。
もちろん、足りない部分や至らない部分を見ることは大切です。
赤信号や黄信号がなければ衝突事故が起こり、
せっかく無事故で通れるハズのドライブが、ただの修羅場になってしまいます。
ただし、赤信号ばかりでは、どんな交通機関も機能しないのも事実です。
青信号がなければ、進めるものも進めなくなってしまいます。
こういうわけで。
当たり前の話ですが、
結局、不満を解消するためには「満足」するしかありませんよね。
誰だって、お腹が空いたらご飯を食べます。
そのご飯があまりにも口に合わなかったら、
お店を変えるか、あるいは作り直せばよいわけです。
なんのことはない、「「不満」を解消する」というのは、
実はこれだけのこと。
つまり、満足するためには、不満ばかりを垂らしているだけでは不十分なのです。
不足しているものを明らかにして、
それを埋めたり、別な方法を考えることが、
満足を得るには極めて重要になるわけです。
批判すること。
悪者扱いすること。
「ダメ」だと決め付けること。
文句を言いっ放しで、気がついた頃に不満が解消されているなら、それは楽でしょう。
しかし、現実には進むべき方向や理想、
そして希望を指し示さないことには、
「不満」を「満足」に変えていくのは、本当に至難の技なのではないでしょうか!?
不満を不満で終わらせない。
不満の裏には、必ず輝かしい理想や希望があります。
不平不満やわがままがあればこそ、
そこを丹念に見て、本来の願望を根気強く追って、少しでも実現していくことが求められるのです。
代案なき批判は、ただの暴力です。
端からみても、失望を買うだけです。
批判と対案は、セットになっていれば、
必ず力を生むのです。