青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

夜中の一杯

2012年08月22日 23時06分59秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 なんかこう、スケジュールがどうあれ、夜中のこのくらいの時間に飲み物を飲みたくなります。
 暑さのせいなんでしょうが、スッゴくおいしいんです。
 単純ですよねー(笑)


 まあ、水分はたくさん採れば代謝もよくなるし、痩せやすくもなりますから。
 せっかくなので、おいしく飲みたいと思います。

「好かれなくてもいいや」。

2012年08月22日 22時49分13秒 | 青裸々日記。
向日葵の花(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人に好かれると、気持ちがいいものです。
 自分のいい面を見てもらったり、よくしてもらったり、あるいは尊敬したり、あやかってもらえたりと、
 存在や価値を認めてもらえるからです。

 でも、気をつけていないと、この「気持ち良さ」が、実は、自分を壊してしまうことがあるのです。



 私達は、誰かに好感を持つとき、理由がある場合と、特に理由がない場合があります。
 前者は、いわゆるスターやアイドル、あるいは「婚活」に代表される、「数値や条件、目立った特徴」などで人を見るケースで、
 後者は、「本人の飾らない姿や、立ち居振る舞い」に、その人となりの良さに共感を覚えるケースです。

 さて、「好感をつなぎ止める」という考えに立ったとき、
 より難易度が高く努力がいるのは、どちらのケースでしょうか!?



 …結論から言うと、「どちらも、たいへんな努力がいる」のです。

 まず、前者の場合。
 特徴なり条件なりで人を評価する場合、そのレベルを維持しなければ好かれないということになりますから、
 結局、人に好かれるためには、自分がどう思っていようと、人が勝手な都合で決めたレベルを守っていかなければいけない、ということになりますよね。
 これって、要するに「自分の価値観より、誰かの価値観を重視する」ということになってしまいますから
 かなりしんどい生き方を強いられるのではないか、私はそう思うのです。

 それならば、「条件なりで人を見る人は願い下げだ、ありのままの自分を認めてくれる人に好かれたい」というのは、どうでしょうか。
 実は、これにも落とし穴があるのです。

 いくら「ありのまま」とて、人間、変わっていく生き物です。
 成長もすれば、自分をとりまく環境だって変わります。
 それなのに、環境や状態がめくるめくように変わる中、
 「ありのまま」という要求に応えるためだけに、「自分だけは頑として変わらないぞ」と踏ん張っていては、たくさんの労力が要りますよね。
 だから、いくら「飾らない」と言えど、「人に好かれつつ、自然体でいる」というのには、限界が生まれてしまうわけです。


 ここまで読んで、お気付きになったでしょうか!?

 人間、「人に好かれたい」という度合いが強いほど、
 その相手の価値観や要求を呑む必要が出てくるわけで、
 「好かれたい」と思えば思うほど、自分を捨てる方向でモノを考えてしまうようになるのです。


 これって、怖いことですよね。
 本来、自分がどうしようと、自分の自由だし、自分の責任なわけです。
 でも、人の目を意識するほど、その自分らしさを自らかなぐり捨ててしまうことになる。
 つまり、本来の意見や感情を捨て、誰かの奴隷として生きることしかできなくなってしまうのです。



 そうです。

 本当は、「自分がどうしたいか」の次に「好かれるかどうか」が来る…というのが、
 人間本来の在り方です
 そこを、人の目を優先して考えてしまうと、心が死んでしまうか、せいぜい誰かの操り人形として生きるしかできなくなってしまいます
 でも、私達の人生は、「好かれるため」だけにあるわけではなく、
 むしろ、「自分のやりたいようにやるため」にあるべきものではないか、すくなくとも、私はそう考えます




 好かれるためではなく、自分を実現するために生きましょう。
 無理に好かれなくてもいいのだし、その中で好かれたらもうけもの、
 そう考えたほうが、かえって自然体になり、結果的に好感を勝ち取れたりもするのです。
 

心理学の疑問

2012年08月22日 17時16分48秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 心理学の中には、疑問な話も少なくありません。


 最近、私がうそくさいと思っているのが、「苦手な部分に才能がある」という話です。
 いわく、「苦手な中にこそ、普通の人では考えつかない向上点があるから、結果的に第一人者になれる」ということなんですが…、

 「ウソつけっ!」って、思います。


 だって、「苦手な分野が素晴らしい」のなら、文系の人間はみんな理系に転向しなきゃいけなくなりますよ。
 「精神的に弱い人ほど、強くなれる素質がある」と試練に晒すのは、
 結局、人を追い込んだり、根性論でまくし立てることと何が違うのでしょうか。
 しかも、しまいにはその「弱い中でも、まあまあ強いほうの人」しか残らないのですから、
 本当に素質があるべき「弱い中でも、本当にすぐ打たれる弱い人」には、結局、素質なんてどこにもないことになってしまいます。



 だからね、心理学とか、ひいては人生訓って、屁理屈も多いんですよ。
 大事なのは、自分の考え、自分の感覚、自分の言葉や目でみ、しっくり来ないものは、遠慮なく切り捨てるということ。

 自分が主役で、心理学は、脇役です。
 そのへん、きちんと考えましょう。

紅白

2012年08月22日 11時35分35秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 仙台の七夕まつりをあまり見られなかった代わりに、そんな気分で、阿佐ヶ谷の七夕まつりの写真を載せてみます。


 私は飾りをこうやって接写するのが好きなんですよ。
 結構、絵葉書っぽくなりませんか!?


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いわゆる迷惑メール(笑)

2012年08月22日 00時01分18秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 私は、重要なことは、忘れないように、タイムリーな時間に自分にメールするよう、送信予約しておくんですよ。

 でも、最近は迷惑メールがよく来るので、自分からのメールでも「なんだい、またかよォー」って思うわけですが…


 まあ、意味は違えど、あながち間違っちゃいないんですよね(笑)

 いずれにせよ、大事なことを忘れない工夫は大切ですね!

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