東京ミチテラスから(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
気持ちがあったかくなる時って、どんな時でしょうか!?
…「気持ちがあったかい時」というのは、決まって嫌なことを考えていないはずなんです。
なんでもいいですが、試しに、自分のお世話になっている人や好きな人、感謝したい人を想像してみて下さい。
きっと、冷たい気持ちはどこへやら、あったかい気持ちしかわいてこないと思うのですね。
私達は、この「あたたかい気持ち」に、もっと感謝してもいいのかもしれません。
人でも物事でも、あるいは何らかの営みでも、
あたたかい気持ちになれる向こう側には、必ず自分をあたたかくしてくれる人がいるからです。
そしてまた、「あたたかくしてくれる」と言っても、
「具体的にあれこれしてくれたから」というだけ理由で、気持ちが温まるということはないでしょう。
あえて重い言い方をすれば、その人がただそこに生きて、存在していてくれるだけで、なんだか気力が出てくるという場合だって、ありますよね。
そこで、です。
あったかい気持ちになれることは、たしかに多いのかもしれません。
でも、どれほどまでにありがたいと思っても、
なかなか感謝を口にするのは難しいもの。
特に、日本人は言葉を重んじる傾向が強いだけに、
例えば、ひとたび「好きです」とでも言おうものなら、一大事と捉えてしまう人も多いと思います
(これが諸外国だと、感謝や愛情を伝えないほうが非常識とされるので、
そのぶん、気持ちのやり取りもスムーズに済むようです)。
だからこそ、言葉では伝わらないとか、伝えられないなら、
せめて、そのあたたかい気持ち自体をありがたがる意識があってもいいのではないかと、私は思うのですね。
言葉にして伝えるのは、たしかに難しいことも多いでしょう。
上手く言葉が出てこなかったり、ズレた解釈になってしまうこともあるかと思います。
でも。
胸が感謝の気持ちで満たされていれば、おのずから、言葉だけに限らず、行動の全てにあたたかさが込められていくものです。
相手の存在そのものに感謝する心、これこそが、最良の思いやりを引き出す方法のひとつではないでしょうか。
すべて、大切だと思う人、気持ちがあたたかくなる人には、無条件で感謝しましょう。
嫌な人を想像すれば心はすさみますが、大切な人への感謝があるほど、心は潤い、豊かになるのです。
感謝しているうちに、気がつくでしょうか。
自分も同じく思われるよう在りたいんだ、と。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
気持ちがあったかくなる時って、どんな時でしょうか!?
…「気持ちがあったかい時」というのは、決まって嫌なことを考えていないはずなんです。
なんでもいいですが、試しに、自分のお世話になっている人や好きな人、感謝したい人を想像してみて下さい。
きっと、冷たい気持ちはどこへやら、あったかい気持ちしかわいてこないと思うのですね。
私達は、この「あたたかい気持ち」に、もっと感謝してもいいのかもしれません。
人でも物事でも、あるいは何らかの営みでも、
あたたかい気持ちになれる向こう側には、必ず自分をあたたかくしてくれる人がいるからです。
そしてまた、「あたたかくしてくれる」と言っても、
「具体的にあれこれしてくれたから」というだけ理由で、気持ちが温まるということはないでしょう。
あえて重い言い方をすれば、その人がただそこに生きて、存在していてくれるだけで、なんだか気力が出てくるという場合だって、ありますよね。
そこで、です。
あったかい気持ちになれることは、たしかに多いのかもしれません。
でも、どれほどまでにありがたいと思っても、
なかなか感謝を口にするのは難しいもの。
特に、日本人は言葉を重んじる傾向が強いだけに、
例えば、ひとたび「好きです」とでも言おうものなら、一大事と捉えてしまう人も多いと思います
(これが諸外国だと、感謝や愛情を伝えないほうが非常識とされるので、
そのぶん、気持ちのやり取りもスムーズに済むようです)。
だからこそ、言葉では伝わらないとか、伝えられないなら、
せめて、そのあたたかい気持ち自体をありがたがる意識があってもいいのではないかと、私は思うのですね。
言葉にして伝えるのは、たしかに難しいことも多いでしょう。
上手く言葉が出てこなかったり、ズレた解釈になってしまうこともあるかと思います。
でも。
胸が感謝の気持ちで満たされていれば、おのずから、言葉だけに限らず、行動の全てにあたたかさが込められていくものです。
相手の存在そのものに感謝する心、これこそが、最良の思いやりを引き出す方法のひとつではないでしょうか。
すべて、大切だと思う人、気持ちがあたたかくなる人には、無条件で感謝しましょう。
嫌な人を想像すれば心はすさみますが、大切な人への感謝があるほど、心は潤い、豊かになるのです。
感謝しているうちに、気がつくでしょうか。
自分も同じく思われるよう在りたいんだ、と。
後楽園から(東京都文京区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
皆さんは、「強い人」に憧れたりしてますか!?
強ければ強いほど、できることも増えるし、悪いものをやっつけられたりもするわけです。
能力がある人はかっこよく見えるし、
嫌なことを耐え抜ける人がいると、うらやましくも見えるものです。
それでは、誰も皆、「強い人」になったほうがいいのでしょうか!?
私は違うと思うんです。
人間、自分を磨くことは大切です。
しかし、求められてもいないことを磨いても、そこに意味はあるのかと思うのです。
たとえば、同じ陸上部でも、短距離の選手と中距離の選手、マラソンの選手では、
鍛えるべき部分が違いますよね。
そしてまた、どんなフォームで走るかも、体格や特性によっても違いますから、
やっぱり、鍛え方には個人差が出て当たり前です。
ここで、いわゆる「強い人」について、考えてみましょう。
あることを耐え抜ける人は、それでいいかもしれない。
熱いものは、普通の人は飲み干せますが、
猫舌のような人は無理ですよね(私がそうです)。
では、猫舌の人は、熱いものを強引に飲む必要はあるんでしょうか!?
…違いますよね。
たまたまどこかの誰かができたことだからと言って、
自分は全く同じようにできないことを恥じる必要はないのです。
誰にでも、やり方もあれば個性もあります。
ハードルの飛び越え方だって、一人ひとり、違って当たり前なのです。
だから、どんな問題にせよ、自分の強みを活かすとか、あるいはやりやすい方法でやっつけてしまえばいい。
慣れないやり方とか、やりにくい方法を勧められても、
どこか一部だけでも、頑として自分を貫くほうがいいのです。
どんな魚も、泳ぎ方はそれぞれです。
クジラはクジラの泳ぎ方をしていればいいわけで、無理にニジマスやクラゲの真似をしたところで、全く意味はありません。
誰かが得意なやり方でやっているからといっても、しょせん、人は人なのです。
強く見える人に憧れを抱くのは当然として、
その強さなりやり方が、自分に必要なものとは限りません。
背伸びをするでもなく、自分を過小評価するでもなく、
伸び伸びと、自分のベストを尽くしていたいものですね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
皆さんは、「強い人」に憧れたりしてますか!?
強ければ強いほど、できることも増えるし、悪いものをやっつけられたりもするわけです。
能力がある人はかっこよく見えるし、
嫌なことを耐え抜ける人がいると、うらやましくも見えるものです。
それでは、誰も皆、「強い人」になったほうがいいのでしょうか!?
私は違うと思うんです。
人間、自分を磨くことは大切です。
しかし、求められてもいないことを磨いても、そこに意味はあるのかと思うのです。
たとえば、同じ陸上部でも、短距離の選手と中距離の選手、マラソンの選手では、
鍛えるべき部分が違いますよね。
そしてまた、どんなフォームで走るかも、体格や特性によっても違いますから、
やっぱり、鍛え方には個人差が出て当たり前です。
ここで、いわゆる「強い人」について、考えてみましょう。
あることを耐え抜ける人は、それでいいかもしれない。
熱いものは、普通の人は飲み干せますが、
猫舌のような人は無理ですよね(私がそうです)。
では、猫舌の人は、熱いものを強引に飲む必要はあるんでしょうか!?
…違いますよね。
たまたまどこかの誰かができたことだからと言って、
自分は全く同じようにできないことを恥じる必要はないのです。
誰にでも、やり方もあれば個性もあります。
ハードルの飛び越え方だって、一人ひとり、違って当たり前なのです。
だから、どんな問題にせよ、自分の強みを活かすとか、あるいはやりやすい方法でやっつけてしまえばいい。
慣れないやり方とか、やりにくい方法を勧められても、
どこか一部だけでも、頑として自分を貫くほうがいいのです。
どんな魚も、泳ぎ方はそれぞれです。
クジラはクジラの泳ぎ方をしていればいいわけで、無理にニジマスやクラゲの真似をしたところで、全く意味はありません。
誰かが得意なやり方でやっているからといっても、しょせん、人は人なのです。
強く見える人に憧れを抱くのは当然として、
その強さなりやり方が、自分に必要なものとは限りません。
背伸びをするでもなく、自分を過小評価するでもなく、
伸び伸びと、自分のベストを尽くしていたいものですね。
こんにちは![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_2.gif)
今日も皆様、ありがとうございます。
androidで、簡単な鍵盤を演奏できるアプリを楽しんでいます。
私は楽器の演奏などてんでダメなので、
その分、ゲーム感覚で、「指一本で、どれだけマトモにやれるか」を楽しんでいます。
最近まで、桃太郎電鉄の『ピーチ・エクスプレス』をやっていたんですが、
クリスマスが近いこともあり、『星に願いを』を、たまに練習しています。
絶対に人前で出せるレベルではないということだけ、宣言しておきます(笑)
私は作るしかできません(*^_^*)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_2.gif)
今日も皆様、ありがとうございます。
androidで、簡単な鍵盤を演奏できるアプリを楽しんでいます。
私は楽器の演奏などてんでダメなので、
その分、ゲーム感覚で、「指一本で、どれだけマトモにやれるか」を楽しんでいます。
最近まで、桃太郎電鉄の『ピーチ・エクスプレス』をやっていたんですが、
クリスマスが近いこともあり、『星に願いを』を、たまに練習しています。
絶対に人前で出せるレベルではないということだけ、宣言しておきます(笑)
私は作るしかできません(*^_^*)
タカシマヤのクリスマスツリー(東京都渋谷区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「自分を磨く」ことは、なんで大切なのでしょうか!?
宝石は、磨いていくことで、その価値が上がります。
原石か、綺麗に磨いて加工したものかでは、
圧倒的に、磨いたほうが価値が出ますよね。
そしてまた、綺麗に加工してあればこそ、飾り物にもなれば、持ち主も喜んで使ったり、大切にしようと思うのが普通でしょう。
これ、人間でも、全く同じではないでしょうか!?
わかりやすい例で言うと、「有名人の知り合い」というだけで、
あたかも自分まで有名人であるかのように、いい気分でモノを言う人って、いますよね(笑)
褒められた話ではないかもしれませんが、「価値がある人」であればこそ気分も良くなるのは、
「あんなにステキな人が、自分と繋がってくれているんだ」と、自分を見直せたりもするからです。
あるいは、有名になるほどのステキな立ち居振る舞いを、自分にもしてもらえるのですから、
どうしたって、居心地も良くなるというものではないでしょうか。
そうです。
自分を磨くから、空気や居心地を良くできるのです。
自分を大切に磨くから、相手に与えられるものが、大きくなるのです。
軽口を言うようですが、嘘だと思ったら、家電量販店に行って空気清浄機を見てきて下さい。
趣向を凝らしてあるものほど、実際に空気や居心地をよくする能力があるはずですから(笑)
そう、機械だって、そんなことはわかっているのです。
でも、真面目な話、人間は機械ではありません。
たしかに絶好調かどうかで、空気や居心地をより良くできる「性能」は変わるかもしれません。
そこは、機械には劣るかもしれない。
でも、人間が機械と違うのは、居心地を良くする意識や人間性を、無限大に伸ばしていけるという点です。
至らなかったら、すぐにまた、チャレンジすればいいのです。
自分を磨き、高めておくことで喜ぶのが誰か、
ここを考えていれば、自分磨きを怠ることはできません。
自分の価値が上がれば、気分が良くなるだけでなく、周りもみんな喜んでくれます。
与えられる限りの幸せを出し切るためにも、磨けるものは全部磨きましょう。
「差し出して喜んでもらえるかどうか」というのは、お歳暮だけの話ではないのです、
365日、誰もが、ある種の贈り物であるのかもしれませんね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「自分を磨く」ことは、なんで大切なのでしょうか!?
宝石は、磨いていくことで、その価値が上がります。
原石か、綺麗に磨いて加工したものかでは、
圧倒的に、磨いたほうが価値が出ますよね。
そしてまた、綺麗に加工してあればこそ、飾り物にもなれば、持ち主も喜んで使ったり、大切にしようと思うのが普通でしょう。
これ、人間でも、全く同じではないでしょうか!?
わかりやすい例で言うと、「有名人の知り合い」というだけで、
あたかも自分まで有名人であるかのように、いい気分でモノを言う人って、いますよね(笑)
褒められた話ではないかもしれませんが、「価値がある人」であればこそ気分も良くなるのは、
「あんなにステキな人が、自分と繋がってくれているんだ」と、自分を見直せたりもするからです。
あるいは、有名になるほどのステキな立ち居振る舞いを、自分にもしてもらえるのですから、
どうしたって、居心地も良くなるというものではないでしょうか。
そうです。
自分を磨くから、空気や居心地を良くできるのです。
自分を大切に磨くから、相手に与えられるものが、大きくなるのです。
軽口を言うようですが、嘘だと思ったら、家電量販店に行って空気清浄機を見てきて下さい。
趣向を凝らしてあるものほど、実際に空気や居心地をよくする能力があるはずですから(笑)
そう、機械だって、そんなことはわかっているのです。
でも、真面目な話、人間は機械ではありません。
たしかに絶好調かどうかで、空気や居心地をより良くできる「性能」は変わるかもしれません。
そこは、機械には劣るかもしれない。
でも、人間が機械と違うのは、居心地を良くする意識や人間性を、無限大に伸ばしていけるという点です。
至らなかったら、すぐにまた、チャレンジすればいいのです。
自分を磨き、高めておくことで喜ぶのが誰か、
ここを考えていれば、自分磨きを怠ることはできません。
自分の価値が上がれば、気分が良くなるだけでなく、周りもみんな喜んでくれます。
与えられる限りの幸せを出し切るためにも、磨けるものは全部磨きましょう。
「差し出して喜んでもらえるかどうか」というのは、お歳暮だけの話ではないのです、
365日、誰もが、ある種の贈り物であるのかもしれませんね。
新宿モザイク通りから(東京都新宿区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
スポーツでは、「フォーム」が大切なものが圧倒的に多いものです。
「フォーム」というのは、「効率的な一連の動作」のことですが、
「効率的」ということは、フォームを磨き、極めれば極めるほど、
スコアが上がったり、試合を上手く運べたりするわけです。
これ、スポーツに限った話ではありません。
どんなことでも、「効率的な動き」があればあるほど、エネルギーが少なくて済みますよね。
そしてまた、目に見える「動作」だけでなく、「その人の考え方や気の持ちよう」にだって、
やっぱり、「フォーム」という考え方は生きると思うのです。
つまり、「よりシンプルに、気軽に、わかりやすく簡単に考える」ほうが、
幾分でも、生きやすくはなったりするんですよね。
…と、ここで。
「「よりシンプルに、前向きに」というのは良いことだから」と、
心を軽く、明るく導く本などがたくさん出ています。
いわば、「理想的な心のフォーム」ということで、
「このフォームで生きれば、やりやすくなるよ」と、お節介にも似た文言が、色々書いてあるわけです。
でも、本を読んでいる全員が、必ずしもいい気分になっているわけではありませんよね。
あるいは、「そりゃ、わかってるけどさ…」と、気を揉むばかりで終わってしまう人だって、いると思うんですね。
なぜでしょうか!?
ここで、スポーツのフォームの話に戻りましょう。
野球でもなんでもいいですが、いくら理想的なフォームが形としてあるにしても、
一人ひとり、動作が微妙に違っていますよね。
これは、その人の特性に合ったやり方があるからです。
全員が全員、同じような体つきをしているわけでもなければ、
しなやかさ、気の持ち方だって、みんなバラバラだからです。
だから、基本は似通っていても、あとの何割かは、どうしても我流に走るとか、カスタマイズしないと、
なかなかフォームを活かし切れなかったりもするのです。
動作にしても、考え方にしても、100%、教えられた通り、学んだ通りにやることはありません。
押さえるところだけ、おぼろげにでも押さえてあればいいのです。
要は、身体の負担が減り、気が楽になればいいのですから。
「フォーム」は使うものであって、フォームに使われ、囚われるのは、
結果として、「フォーム」の意味をなしません。
もっと気楽な在り方があってよいのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
スポーツでは、「フォーム」が大切なものが圧倒的に多いものです。
「フォーム」というのは、「効率的な一連の動作」のことですが、
「効率的」ということは、フォームを磨き、極めれば極めるほど、
スコアが上がったり、試合を上手く運べたりするわけです。
これ、スポーツに限った話ではありません。
どんなことでも、「効率的な動き」があればあるほど、エネルギーが少なくて済みますよね。
そしてまた、目に見える「動作」だけでなく、「その人の考え方や気の持ちよう」にだって、
やっぱり、「フォーム」という考え方は生きると思うのです。
つまり、「よりシンプルに、気軽に、わかりやすく簡単に考える」ほうが、
幾分でも、生きやすくはなったりするんですよね。
…と、ここで。
「「よりシンプルに、前向きに」というのは良いことだから」と、
心を軽く、明るく導く本などがたくさん出ています。
いわば、「理想的な心のフォーム」ということで、
「このフォームで生きれば、やりやすくなるよ」と、お節介にも似た文言が、色々書いてあるわけです。
でも、本を読んでいる全員が、必ずしもいい気分になっているわけではありませんよね。
あるいは、「そりゃ、わかってるけどさ…」と、気を揉むばかりで終わってしまう人だって、いると思うんですね。
なぜでしょうか!?
ここで、スポーツのフォームの話に戻りましょう。
野球でもなんでもいいですが、いくら理想的なフォームが形としてあるにしても、
一人ひとり、動作が微妙に違っていますよね。
これは、その人の特性に合ったやり方があるからです。
全員が全員、同じような体つきをしているわけでもなければ、
しなやかさ、気の持ち方だって、みんなバラバラだからです。
だから、基本は似通っていても、あとの何割かは、どうしても我流に走るとか、カスタマイズしないと、
なかなかフォームを活かし切れなかったりもするのです。
動作にしても、考え方にしても、100%、教えられた通り、学んだ通りにやることはありません。
押さえるところだけ、おぼろげにでも押さえてあればいいのです。
要は、身体の負担が減り、気が楽になればいいのですから。
「フォーム」は使うものであって、フォームに使われ、囚われるのは、
結果として、「フォーム」の意味をなしません。
もっと気楽な在り方があってよいのです。
こんにちは![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_2.gif)
今日も皆様、ありがとうございます。
忘年会シーズンですが…、
私は極力、最小限にしています。
会いたい人から、優先的に時間を割いていきたいので。
それで、私はこの時期、必ずお世話になっているのが「黒烏龍茶」です。
お酒には強いほうだし、健康や体型のほうが、ずっと気になるんですよ。
どうかあまり食べずに済みますように…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_2.gif)
今日も皆様、ありがとうございます。
忘年会シーズンですが…、
私は極力、最小限にしています。
会いたい人から、優先的に時間を割いていきたいので。
それで、私はこの時期、必ずお世話になっているのが「黒烏龍茶」です。
お酒には強いほうだし、健康や体型のほうが、ずっと気になるんですよ。
どうかあまり食べずに済みますように…
多摩センター駅前より(東京都多摩市)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「人生に無駄はない」と言われます。
しかし、苦しい渦中にいる人、自分の後ろ向きさ加減に参っている人、無駄な時間を過ごしていると思えてやまない人には、
こんな言葉、気休めにもならないのが現実ではないでしょうか。
しかし。
「もし無駄がない」ということが本当だとしたら、それはどんな世界だと思いますか?
非常にのん気なことを言うようですが、青空はどこへでも繋がっていますよね。
それと同じように、どんな時間も、全ての未来に繋がっているのです。
苦しいことや、嫌なこと。
意味を見出だせない反復。
砂を噛むような日々。
こんな「困ったこと」や「困った時間」があれば、参ってしまうのも無理はありません。
そしてまた、いくら「その経験こそが糧になるんですよ」と言ったところで、
当の本人は、日々や時間をやり過ごすので精一杯だということがほとんどでしょう。
でも、ちょっと待って下さい。
使い道のないお金は、貯金をしますよね。
お金は見えるものだし、誰もが欲しがるものだから、わかりいいのです。
しかし、「経験」や「人間性」は、一見しただけではわかりませんよね。
でも、「使い道のない経験」とか「使い道のない人間性(具体的には、優しさ、積極性、思いやりなど)」だって、
使い道や使い所がわかれば、お金と同じように、遺憾無くその価値を発揮できるわけです。
そうです。
「困った時」というのは、「目に見えないものの使い道を求めている時」にほかなりません。
逆にいえば、「全てが無駄なく動いている」から、「困ったこと」だってなくなるのです。
「困ったこと」からも、意味付けが出来れば、それは力や経験、持ち味の出所になるのです。
「ピンチはチャンス」と言われるのも、このためです。
ただし、今がすべてではありませんから、「困ったこと」の意味がわかるかも、いつかはわかりません。
しかし、「困った」=「使い道がわからない」という図式がわかれば、
意味付けも、楽になるのではないかと思うのです。
人間、未来から見ないとわからないことに、時々出くわすものです。
苦しみも、使い道がかれば、幸せの種に変えられるのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「人生に無駄はない」と言われます。
しかし、苦しい渦中にいる人、自分の後ろ向きさ加減に参っている人、無駄な時間を過ごしていると思えてやまない人には、
こんな言葉、気休めにもならないのが現実ではないでしょうか。
しかし。
「もし無駄がない」ということが本当だとしたら、それはどんな世界だと思いますか?
非常にのん気なことを言うようですが、青空はどこへでも繋がっていますよね。
それと同じように、どんな時間も、全ての未来に繋がっているのです。
苦しいことや、嫌なこと。
意味を見出だせない反復。
砂を噛むような日々。
こんな「困ったこと」や「困った時間」があれば、参ってしまうのも無理はありません。
そしてまた、いくら「その経験こそが糧になるんですよ」と言ったところで、
当の本人は、日々や時間をやり過ごすので精一杯だということがほとんどでしょう。
でも、ちょっと待って下さい。
使い道のないお金は、貯金をしますよね。
お金は見えるものだし、誰もが欲しがるものだから、わかりいいのです。
しかし、「経験」や「人間性」は、一見しただけではわかりませんよね。
でも、「使い道のない経験」とか「使い道のない人間性(具体的には、優しさ、積極性、思いやりなど)」だって、
使い道や使い所がわかれば、お金と同じように、遺憾無くその価値を発揮できるわけです。
そうです。
「困った時」というのは、「目に見えないものの使い道を求めている時」にほかなりません。
逆にいえば、「全てが無駄なく動いている」から、「困ったこと」だってなくなるのです。
「困ったこと」からも、意味付けが出来れば、それは力や経験、持ち味の出所になるのです。
「ピンチはチャンス」と言われるのも、このためです。
ただし、今がすべてではありませんから、「困ったこと」の意味がわかるかも、いつかはわかりません。
しかし、「困った」=「使い道がわからない」という図式がわかれば、
意味付けも、楽になるのではないかと思うのです。
人間、未来から見ないとわからないことに、時々出くわすものです。
苦しみも、使い道がかれば、幸せの種に変えられるのです。