青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

Bluetooth

2012年12月19日 21時52分37秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 Bluetoothのイヤフォンマイクを使っているんですが、
 これ、なかなか便利ですね(*^_^*)
 手元がフリーになるし、なんだか気楽さが段違いです。


 電話が一層、楽しくなりました。

タカシマヤのクリスマスツリー

2012年12月19日 06時34分47秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 新宿のタカシマヤの入り口には、こんなツリーが立っています。

 カラフルな感じで、見ているだけで楽しくなりました。
 何枚も撮りたくなるツリーですね(*^_^*)

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本質は簡単。

2012年12月18日 22時44分19秒 | 青裸々日記。
プレーリードッグ(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 私は、仕事に入る前、必ずお祈りをしています。
 その内容はひとつ、「楽しく平和に過ごせますように」。
 これだけです。


 どんな仕事でも、色々な規則や決まりごと、マニュアル、そして役割や人間関係があるものです。
 そして、仕事が進むにつれ、規則にせよ、人間関係にせよ、細かい問題がたくさん出てきます。

 そうすると、意識は「規則」や「雰囲気」を守ることが全てになっていき、
 「なんでこんなことを守らなきゃいけないんだ…」と、だんだん嫌になっていくんですよね


 でも。

 仕事というのは、「細かいこと」を守るためのものではないはずです。
 むしろ、「細かさ」とは反対の、かなりシンプルなところを目指すためのものではないでしょうか。
 これ、もちろん「成果」にしたって、同じことだと思うんです。


 まず始めに「目標」があって、目標のために必要なものだから、色々と細かいことが出来ていくんですよね
 だから、目標がわからないままだと、どんなに闇雲にルールを守っても、
 「守る目的」がわからないのですから、積み上げようと思っても、なんにも積み上げられない気がしませんか



 これ、仕事に限ったことではありませんね。


 「人間の願い事」って、だいたいはシンプルなところに落ち着くものではないでしょうか


 自分の元気。
 大切な人たちの無事や幸せ。
 与えられた物事へ、感謝したい気持ち。
 日々の平和。

 たとえばこんなあたりだと思いますが、どうですか?



 細かいことにこだわるのは、もちろん悪いことではないかもしれません。
 でも、細かいことに対してムキになっている時って、だいたい自分の願いの本質を見失っている場合がほとんどではないですか。


 目標のためなら、なんでもしていいということはありません。
 しかし、「目標への道筋」って、そんなに狭くて、選択肢の多様性が許されないものなのか
 つらい時、悲観的になっている時に、思い直していただきたいのです。


 なんのためにやっているのか
 人間、意味がわからないものには弱い生き物ですが、
 目的ひとつあれば、意外なしなやかさを発揮できる生き物でもあります

 だから、いつも理想だけは、どうか描いていていただきたいのです



 いつだって、本質は簡単なところにあります。
 そして、簡単なところから、あなたを見守っているのです。

レインボーブリッジ

2012年12月18日 05時37分53秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 レインボーブリッジです。

 これ、ピンと来ると思いますが、
 年末年始、レインボーブリッジは、読んで字の如く「虹の橋」になるんです(*^_^*)


 撮れてよかったです!

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許し上手へ。

2012年12月18日 04時53分42秒 | 青裸々日記。
野路菊の花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人を許す力って、馬鹿になりません

 いくら機嫌のよい人とて、一日生きていれば、腹の立つことの一つや二つ、ありますよね。
 それて、「腹が立つなぁ…」と、嫌なことに囚われてしまうと、
 目の前を流れていくいいことを、みすみす逃してしまいかねません
 逆に、「まあ、そういうこともあるよね」と思えるようになれば、
 結果として、囚われもなくなるもの。
 そうすると、機嫌を保てますよね。

 ここまで、大丈夫ですか?


 それでは、「許すこと」にはこんなに効能があるのに、
 どうして人を許せないのでしょうか。

 それは、一言で言えば見返りを求めているからです。


 当たり前ですが、負担を押し付けられたら、だいたいはそれに見合う代償が欲しくなるものです。
 嫌なことをされたら、やっぱり謝ってほしいとか、穴を埋めたりとか、見返りが欲しくもなりますよね。

 …と、ここで納得してしまってはいけないのです。



 人間には、「プライド」や「虫の居所」というものがあります。
 特に問題がない場合でも、「なんだか気に食わなかった」とか、「誠意が足りない」などと、
 自分の尺度で、何の罪もない人を断罪してしまうことがあるのですね。
 たしかに、プライドが傷つけられたり、心証を悪くさせられては、
 被害や負担がなくたって、許せないような気分にもなるでしょう。


 しかし、です。

 「プライドを傷つけられたから人を許せない」という場合、
 守りたいのはなんなのか、深呼吸をして、考えてみていただきたいのです。
 自分のプライドを守りたいのなら、怒ったり許さない態度でいてもいい。
 しかし、せっかくの関係なり、相手の心なりを守りたいなら、
 そうそう簡単に「許せない!」という発想は出てこないのではないでしょうか。

 そして。
 「許せないこと」のうち、「プライドなど、こちらの気分でどうとでもなること」がなくなれば、
 どれだけ過ごしやすくなるかと思うのです。


 人間、「許せない」と言っているうちは、「被害者面」をしていられます
 しかし、どんなにもっともな理由があっても、それと引き換えに守りたいものがなければ、
 誰も幸せにはなりません

 そして、許したほうがエネルギーのロスが少ないということは…、もうお分かりになると思うのです


 息を吐くように許すことは無理でも、許す幅を広げることは、誰だってできます。
 お互いに、ちょっとずつやっていきましょうね。

この輪っか、なんて言うんですっけ!?

2012年12月17日 10時14分34秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 ソラマチでこんなものを撮ってきたのですが、
 なんだかこの飾りの名前がよくわからないんですよ。


 私も部屋に、一個ぐらい飾りを買ってこようかな~

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ややこしくする人たち。

2012年12月16日 23時48分13秒 | 青裸々日記。
野路菊の花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 カレーライスを作るには、ご飯とルーがあれば、できますよね。
 これぐらいなら、誰にでもわかる話でしょう。

 しかし、世の中、どこを見てもこだわりの強い人がいるものです。
 たとえば、「玉ねぎが入っていなければ、カレーライスとは言えない!」とか、
 「ご飯が固いカレーライスなんか、食べたくない」など、
 十分に条件を満たしているのに、つまらないこだわりのために、その十分なものを捨ててしまう人がいるのです。



 もちろん、高みを目指して頑張ること、輝かしい理想を持って生きること、よりよい関係を築く努力をすることは、
 素晴らしいことに違いありません。
 むしろ、胸の踊るようなことの一つもなければ、生きている張り合いもなくなるでしょう。
 だから、理想があること自体は、いいことなのです。


 しかし。

 「木を見て森を見ず」という言葉もあるように、せっかく恵まれた幸せにろくに感謝もせず、
 やれ「あれが足りない」だの「ここがイケてない」だの、不満ばかり言っているようでは、
 どんなに理想的なものがもたらされても、幸せはおぼつきません。

 それに、です。
 仮に不満があるのなら、目標にしたり、足りない部分を埋めて100点にしていけばいいわけで、
 「今がすべて」というような刹那的な判断で可能性を切り捨てるのは、
 勿体ない以外の何物でもないと思うのです。



 夢は夢でも、全ての夢が遠い場所にあるわけではありません。
 つまり、ちょっと踏み出すだけで叶うものだって、当然あるわけです。
 そこを、自分自身で勝手にハードルを作り、勝手にハードルを高くするなんて、
 自分から理想を捨てているも同然ではないでしょうか。
 それに、もし本当に「要求に応えたり、満たしてくれない」という場合、
 不満を並べ立てることで余計にフラストレーションが溜まり、余計に実現が遠のいてしまうこともあるのです。



 いちいち構えなくても、叶うものはあるのです
 本当にやりたいことは、構えて構えて、それで難易度を上げることではないはずです
 叶うものは、全て叶えてしまいましょう
 それぐらいの軽い意識でいたほうが、やれることも増えるのではないでしょうか



 ややこしい願望は、ややこしい道筋に繋がっているもの。
 どうしてもややこしいことをしたいなら、簡単なことから順番に叶えていきませんか。

後楽園から 2

2012年12月16日 12時42分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 後楽園の写真、2枚目ー。


 この光のアーチ、撮るのが難しかったです。
 測光モードを色々変えてみたのですが、なかなか加減が定まらず…、
 結局、こんな感じに落ち着きました。


 よかったら、他の方の写真とも見比べてみてください(笑)

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フィードバック。

2012年12月16日 02時09分55秒 | 青裸々日記。
野路菊の花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人に感想を伝えることを、「わがまま」だと思う人がいます。
 もちろん、「感想」というのは、いいものも悪いものもありますから、
 「不満」や「改良してほしい点」を伝えることも、ありますよね。
 だいたい、人が必ず、こちらの希望通りに動いてくれたり、要求を完璧に満たしてくれることなんて稀ですから、
 不満がないなんていう人は、まずいないと思うんですね。


 さて。
 思ったことは飲み込んだほうが「立派」で、吐き出したほうが「わがまま」なのでしょうか!?



 答えは、「NO」です。
 しかも、大切に思う相手にほど、思ったことは、言ってあげたほうがいいんです。

 相手もまた、こちらとの関係なりをより良くしたいと思っている一人なのです。
 そうであれば、「じゃあ、こうしたら、もっと良くなるんじゃない?」と、あくまでアイデアを出すぐらいの気持ちで伝えてあげればいいだけの話ですよね。
 なんにも言わないまま不満を減らせずにいるよりか、ずっと良いと思いませんか
 はっきり伝えることで、お互いの意見が反映されるから、より良いものができるのです。

 また、「思ったことを言える」というのは、つまりは相手への信頼があるということです。
 「これぐらいなら、受け止めてくれるんじゃないかな?」と思うには、相手を信頼しなくてはいけませんよね。
 ということは、逆に考えてみれば、信頼関係を築いていくためにも、ちょっとずつでも意見は口に出して伝えてあげてもいいんじゃないかなという発想だって、
 あっていいと思うのです。


 これ、反対の立場、つまり「意見を言われる側」になった時も、大切な考えです。
 意見を言ってもらいやすくするためには、どういう接し方をすればいいかを考えるか考えないかでは、
 得られる意見の質も量も、かなり違ってくるはずです。
 だから、優しい人、敷居を作らない人ほど、うまくいくやり方なり関係ができやすいのです。



 何でもかんでも、意見を言い合えばいいというものではないかもしれません
 しかし、少なくとも、自分も相手も同じ方向を向いている限り、
 より前に進みたいのもまた、お互い同じだと思うのです

 それに、「意見を言えない」という場合、意見そのものよりも、言い方・伝え方の問題ということも、
 少なくないのではないでしょうか



 お互いの意見があるから、より良いものが出来るのです。
 一歩先に行く気持ち、これがあれば、人間、みんなより幸せになれるのです。

お寿司

2012年12月15日 20時56分57秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日、トングを使っていたら、トングの付け根の所が右手の親指を直撃してしまい…、
 しばらく血が止まりませんでした。

 なので、今日はスーパーで夕食を買い込みました。



 でも、最近、なんかお寿司を食べたくて、
 期せずして希望が叶った感じ(*^^*)
 何が幸せの種になるか、わからないものですなー。


 それでは、いただきます!

後楽園から

2012年12月15日 05時37分38秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 後楽園では、今年もイルミネーションが展開されています。

 広い園内に、いくつかのテーマで色々な装飾がなされいました。
 中でも、このドーム型のものが印象的でした。


 バレンタインあたりまでイルミネーションをやるそうなので、
 お近くの方は、是非時間を見つけて、ちょっと楽しんでみて下さい(*^_^*)

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銭湯大好き!!

2012年12月14日 23時32分24秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、銭湯へ行ってきました。

 私にとって、2週間ぶりの湯舟に、
 心も身体も、ほぐされました。
 やっぱり、リラックスできる場所があるって、いいことですよね。



 せっかくなので、今度は温泉に行ってこようかと思います。

自分の世界。

2012年12月14日 21時20分45秒 | 青裸々日記。
丸の内仲通りから(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 ちょっと、深い話をさせて下さい。


 自分の世界を持っていない人は、必ず行き詰まります。

 「自分の世界」というのは、「誰も踏み込めない部分」のことです。
 趣味でも、価値観でも、ポリシーでも、
 「これだけは譲れない!」というもの、「一人でやらせてほしい!」ということ、
 こんなもの、皆さんは持っているでしょうか!?


 「どんな人も立ち入らせない」なんて、なんて孤独でどす黒い話だと思う人もいるでしょうか。
 しかし、「誰にも立ち入らせない」から、孤独ではなくなるのです。

 一見、矛盾した話でしょうから、説明していきますね。


 私達は、多くの人と関わって生きています。
 人と関わるということは、人の気持ちや態度に合わせることが求められるわけです。
 たとえば、誰かとイルミネーションを見に行く時、まさか好みや体調、ペース、段取りまで自分の意見ばかりを押し通してしまっては、
 どんなに物分かりがいい相手とて、お互いにくたびれてしまいますよね。

 ということは、自分の意見を持ちつつ、自分の心を明け渡したり、自由に自分を使ってもらうことで、
 そこにある関係を、よいものにしていけるわけです。



 しかし。

 「自分自身を人に使ってもらえば、人も幸せになるから」と、
 自分を誰かにハイジャックされては、どうでしょう!?
 好きなことが出来ないばかりでなく、
 自分の大切な部分も守れず、
 そればかりか、「守りたい」という気持ちすら、許されなくなってしまうのなら、
 それはもう、極端な言い方をすれば、「生きている」うちには入らない気がしませんか。
 自分自身の何もかもを人に譲り渡すのなら、言い方は良くないですが、誰がやっても同じということになってしまいます。


 だから、自分の世界はあったほうがいいのです。
 自分の世界があるから、どこへ出ても、また戻ってこられる。
 その安心感が、結局は、人と上手くやる基盤になるのです。


 人間、大事なものが一つでもあれば、生きていかれるものです
 どんなに開けっ広げにしても、せめて「守りたいもの」の線引きはしておきましょう
 それが、結局は自分も人も救うのです


 自分の世界を持つことが、暗いのではありません。
 自分の世界「だけ」だと、たしかに暗いかもしれない。
 でも、自分の世界が全くないと、結局は自分自身が破綻して、暗い人格にしかなれなくなってしまうのです。

 明るく生きるためにも、自分の世界を大切にしていきましょうね。

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