青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

オンリーワンにならなくてもいい。

2013年02月19日 21時50分58秒 | 青裸々日記。
山茶花の花(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人間は、多かれ少なかれ、個性を求めてやまない生き物だと思います。

 人より優れた点、魅力的な点、あるいは特徴的な点があれば、
 それだけ自分の存在感も出れば、人にも求められやすくなります。
 あるいは、個性が豊かであるほど、自分の存在のかけがえなさを感じやすくなるのもまた、悲しいですが、人間というものだったりします。



 そうすると、です。

 個性を求め、実感しようとすることが、人間のひとつの幸せの形になるわけですが、
 問題がでてきます。
 「善悪」ではなく、「個性の強弱」が絶対基準になってしまうのです。


 たとえば、人に親切にしたいとします。
 人に親切にするのは、相手に幸せになってもらいたいからですよね。
 そこを、個性を出したいからと、「親切のやり方」について、「相手がどれくらい喜んでくれたか」より「どれだけ個性を出せたか」を重んじてしまっては、
 結局、なんのための親切かという話にもなりませんか。
 そう、「個性を求める」ことは、ややもすると、自分にしか関心が向かなくなる分、人との距離を作ってしまいやすいのです。
 さらに、時と場合によっては、個性は個性でも、誰にも見向きもされなくなる危うさすらありますよね。
 そこまでして求める「個性」に、なんの意味があるというのでしょうか。


 個性的な嫌われものと、存在感に乏しい優しい人、
 素直に言えば、皆さんは、どちらが良いですか?
 そうです。
 個性は自分を幸せにするものかもしれませんが、他人を幸せにするとは限らないのです。


 心ひとつ、希望ひとつ、優しさひとつさえ、あればいいのです。
 その心で、自分なりでいいから、人のために色々考えると、
 価値観や信念、得意分野ができますよね。
 そうやって自分なりに一生懸命伸ばした人柄なり、表情なりが積み重なるから、
 「個性」が磨かれ、存在感が出てくるのではないでしょうか



 個性は、奇をてらえばなんでもいいのではありません。
 むしろ、地味な積み重ねやあったかい心、前向きな意欲から生まれるものではないでしょうか。



 個性的な人ほど、実は根が真面目な人格者なのです。
 底抜けの個性や明るさの裏には、必ず影や涙があるのです。


 そうした足跡を、感じられるようになってみませんか。

羽田空港国際線・展望ラウンジから

2013年02月19日 05時42分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 羽田空港・国際線ターミナルの展望ラウンジです。


 雰囲気も良く、なんだか暖かかったらずっといたかったです。
 オシャレでくつろぎたくなるスポットです(*^_^*)


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対岸の夜景

2013年02月18日 05時15分06秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 羽田空港から、多摩川を臨んだ写真です。

 なんだかロマンチックな感じじゃないですか!?
 いい時間帯に撮れたと思います。

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しなくていいガマン。

2013年02月17日 22時23分34秒 | 青裸々日記。
夕焼け雲(東京都品川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 我慢は大切ですが、ないに越したことはありません。


 こう聞いて、皆さんは「そうだよね!」と思うでしょうか。
 それとも、「我慢をしなくなったら、ダメになっちゃうんじゃない?」と思いますか。

 私は、「ガマン」というのは、場面に応じて、必要な時もあれば、むしろ邪魔になる時もあるのではないか、
 そんな気がするんです。


 肌が痒くなったら、普通はちょっと掻いて、ラクになろうてしますよね。
 わざわざ不快感をそのままにしたところで、誰も幸せにはならないでしょう。
 しかし、これがアトピーだとか、深い傷がある場合は、
 下手に掻き回すと、かえって良くありません。
 つまり、「ガマン」そのものに良し悪しはなくて、
 むしろ、どんな前後関係でガマンをしているかを考えることのほうが重要なのです。



 ところで。

 皆さんは、ガマンしてよかったと思うことはありますか?
 反対に、無理にガマンすることもなかったなぁと思うことはありませんか?

 この差って、どのへんから来るのでしょうか!?


 私は、結局は「見返り」なり「成果」、言い換えれば、「幸せに繋がっているか」次第ではないかと思うのですね。
 もし、自分は耐えたけど、それでつらい思いしか待っていないようなら、
 救われないような気分にしか、なれないと思うんです。


 そうです。

 逆算して、目的が見えないようなガマンなら、する価値は少ないとも言えるのではないでしょうか。


 こう言い切ってしまうと、なんだか打算的というか、自分勝手な話に聞こえる方も、いらっしゃるかもしれません。
 しかし、現実に、自分が幸せになれないようなガマンばかり強いられる側だったとして、
 未来永劫、それに耐えられるという人は、いないと思うのですね。


 「ガマンは美徳」と言えばたしかにそうかもしれませんが、
 正確に言えば、ガマンのうちの一部が美徳なのであって、
 何でもかんでもガマンすればいいということはないのです

 ガマンの目的がわからなければ、しなくていいのです
 ガマンが好きな人は、無理をして、ガマンした先の幸せまで考えられていないことがあります
 無理に生きるより、もう少し自分を大切にする方法を考えても、いいのではないかと思うのですね


 どうせするガマンなら、積極的にしましょう。
 そして、嫌なガマンからは、積極的に逃げてもいいのです。

自分撮り?@羽田空港

2013年02月17日 11時40分05秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 羽田空港シリーズに戻ります(*^_^*)


 ラウンジががら空きだったので、
 全景を撮ることができました。
 さすがに一眼レフは違いますね。


 その一眼レフで撮った写真、よーく見ると・・・。
 判別できないと思いますが(笑)

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自己愛の意味。

2013年02月16日 23時42分29秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の山茶花(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「自分を愛する」と言うと、どこか照れくさいというか、こそばゆい感じがするものです。
 また、どこか自分や自分の世界に酔っているようで、
 自分を律して生きている人には、ちょっと嫌な感じがしたりもするものです。



 しかし。

 「自分を愛する」というのは、実は、人のためという側面も強いのです

 自分のことが嫌いで、仕方ない人がいたとしましょう。
 そんな人が出る行動というのは、だいたい人に嫌われるものがほとんどですよね。
 これは、なんでかというと、「こんな醜い自分でも、受け入れてくれますか?」と、
 有り体に言えば、自分で愛せなかった部分を、人になんとか愛してもらおうと押し付けているからです。
 普通は、人に嫌われにいくことはありませんし、
 雰囲気を悪くする理由もないはずです。
 しかし、自分を悪い人間だと思っているから、嫌な仕打ちを受けて当たり前だと思って、
 わざと自分が悪者になる方向へと動いてしまうわけです。

 ところが、話はこれで終わりません。
 一応の「望み」通り、自分が悪者になったとして、
 その後で、「ああ、悪者なんだ」と納得することは、極めて稀ではないかと思うのです。
 人間、誰だって自分がかわいいもの。
 完全な悪者になりきるなど、耐えられるものではありません。
 だから、悪者になった後、必ず自分を擁護したり、周りに言い訳をしたり、
 あるいは、自分の殻に閉じこもるわけです。


 でもこれ、考え方の問題だけですよね。
 つまり、勝手に自分を悪者だと思って、一人相撲を取っているだけの話ではないでしょうか。



 結局、人間は、自分の愛情がなければ生きられないもの。
 それを認める勇気が、自立心や人への愛情として、昇華していくのではないでしょうか。


 自分を愛するのは、恥ずかしいことではないのです
 自分を愛せなかった分を、人に押し付け、迷惑をかけてしまうほうが、よっぽど恥ずかしいのです
 「愛情」というのは、何も暑苦しくて大袈裟なものだけではないのです



 ちなみに。

 私は、「自己愛」という言い方は、かなり堅苦しく、誤解を招きやすいと考えています。
 「自己愛」という言葉が引っ掛かる皆さんは、好きな言い方を考えてみて下さい。
 それだけでも、かなり勉強になるはずです。

東京都庁から

2013年02月16日 06時29分34秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 空気が澄んでいるうちに、東京都庁の展望台に行ってきました。


 こうやって見ると、東京に住んで本当に良かったなぁと思います。
 また近く、行ってみたいです。

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夢をこわさない。

2013年02月15日 23時23分54秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の臘梅(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 キレイゴトは、どこに行っても嫌われがちです。
 現に、皆さんは、キレイゴトを聞いているだけで、嫌な気持ちになることはないでしょうか。


 キレイゴトがなぜ嫌がられるかといえば、理由は3つあるでしょう。

 まず、現実の実現性を、全く無視しているからです。
 「いつも人に優しく」とか「笑顔であいさつを」と言っても、
 世の中、人格者ばかりではありませんし、正直、気乗りしない日だって、誰だってあって当たり前でしょう。
 そこを、錦の御旗のようにいちいち言われても、「放っておいてくれ!」となるものではないでしょうか。

 また、理想に走りすぎているのも、嫌がられる原因のひとつでしょう。
 いくら「誰とでも仲良く」とて、嫌いな人、そこまではでなくても苦手な人がいない…という人がいたら、
 そっちのほうが、嘘っぽいと思いませんか。
 理想はあくまで目指すもので、現実は違うのに、理想ばかりが先行しては、たまったものではないでしょう。


 そしてまた、最後に、最大の理由をお話ししましょう。

 「キレイゴト」は、口先だけで、現実から目を逸らす人の言う言葉なのです。

 「頑張れ」という言葉があります。
 「頑張れ」というのは、一見、「つらいけど一生懸命やってね」という励ましの言葉に聞こえますが、
 本人からすれば、「それくらいわかっているよ!もっと頑張れって言うのか…」と思うのが、正直なところではないでしょうか。
 そしてまた、実際に頑張っているはずの本人の努力そのものを貶る(おとしめる)言葉そのものなのではないでしょうか。

 これを踏まえれば、耳障りのいいことというのは、何事に対しても言えるものではないということが、お分かりになると思うのですね。


 せっかく、理想を目指して一生懸命にやっている人がいるんです。
 そういう人たちのことを思えば、大風呂敷を広げるのも考えものだと思いませんか。


 理想は理想で、いいのです
 しかし、理想を汚すなんてもってのほかで、
 人の夢を壊すようなことがあれば、軽々しく口にするべきではないと思うのです

 それでも、もし、大風呂敷を広げたいというのなら、
 口ではなく、現実の行動で示していく必要があるのではないでしょうか



 キレイゴトは、キレイゴトで構わないかもしれません。
 しかし、キレイゴトを言うだけの人が、キレイゴトを実現できる人に、勝てる日も来ないのです。

シクラメンagain

2013年02月15日 11時48分47秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 絵葉書っぽく撮れたので、またシクラメンを載せてみました。

 シクラメンは花期が長く、色々撮れるので好きですね(*^_^*)
 梅と併せて、この季節の彩りです。


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春はそこまで(*^^*)/

2013年02月14日 06時37分23秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 あちこちで、菜の花が咲きはじめています。

 菜の花って、早いものは、意外にも1月ぐらいから咲くんですよね。
 厳冬が永遠ということはないようですよ
 (…と、寒がりな自分自身にも言い聞かせてみます(笑))。


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ゼロの日。

2013年02月14日 01時27分08秒 | 青裸々日記。
梅の花(東京都墨田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 成果の出ない日に、ありがたみを感じることはできますか。


 足踏み状態というのは、つらいものです。
 いくら休養が必要とて、調子のよい時が頭に浮かんだり、目の前に頑張っている人がいたりすれば、
 いてもたっても居られなくなるというのが、現実のところではないでしょうか。
 あるいは、成果を急がないといけない段になれば、誰だって生産性に思いを馳せてしまうことも、ごく自然な考え方だと思うのですね。


 しかし、それでも私は、あえて「生産性に乏しい時間」にも、意味を与えることはできると思うのです。


 100階建てのビルを80階から見ても、高くは感じないか、高いと思えても、それは頭の中だけで理解している場合がほとんどではないでしょうか。
 しかし、その高さも、40階から見れば、すごく高いとわかりますよね。
 そして、0階、つまり、地上から見た100階建てというのは、
 それはもう、ただ高いというだけでなく、本当の高さというか、スケール感もわかると思うのです。


 始まらない時、進まない時。
 あるいは、よくなると分かっていても、タイムラグがある時。
 その渦中にいると、苦しくもなって当然です。
 しかし、地球は宇宙から見ないと球体であることがわからないように、
 前進している間は、前進しているかどうか、本当の意味では理解できないこともあります。
 時に立ち止まるから、「進んでいるんだなぁ」という感覚が持てる、
 これが、現実ではないでしょうか。
 生産性ばかり求めると行き詰まる理由は、このあたりにもないでしょうか。



 乏しい状態ばかりでは、成功や繁栄をイメージすることは、難しくなってしまうかもしれません。
 いい状態、いいイメージを押し広げて、乏しい時間を減らすから、どんどん成功していく、
 これが誰もの理想でしょう。
 しかし、もし「ゼロの状態」に全く意味がないのだとしたら、
 世の中は挫折者ばかりになってしまいます(笑)



 成功者、ひいては幸せな人とは、「前進の尊さ」がわかる人です
 そして、前進の尊さは、必ずしも上手くいっている時にしかわからないものでもありません
 ゼロを学びに変えた時、そこが種になるのです



 焦らず、力まず、怖がらず。
 幸せは、思わぬ所から芽生えたり、繋がっていてもいるものです。

しもばしら~(*^_^*)

2013年02月13日 06時28分07秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 霜柱を撮ることができました。

 子供の頃、踏み潰して遊んでましたが、
 こうやって見ると、本当に綺麗な結晶なんですよね。
 また綺麗なものを見つけたら、撮ってみようと思います(*^^*)


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みどりの山手線50周年記念号

2013年02月11日 06時38分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 山手線に黄緑色の車両が走り始めて、今年で50周年らしく、
 1月から、黄緑色にラッピングされた電車が都内をグルグルしています。


 先日、撮れないかなぁと思っていたら、ちょうど新宿でバッタリ鉢合わせて、
 急いで一眼レフを構えました。
 うーん、いい感じでしたね(*^_^*)
 首都圏各線でやればいいのに(笑)

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コントラスト効果。

2013年02月10日 22時57分59秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社の梅(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人間の性格は、幅が広いほうがいいとされています。

 たとえば、繊細な人は、きめ細やかに気持ちを汲むことができる一方で、影響を受けやすい側面があり、
 ネガティブな環境に弱い傾向があるのもまた、事実だったりもします。
 逆に、鈍感な人は、人の悪い影響を受けにくい一方で、人の気持ちを察して、優しく接するのが苦手なもの。
 つまり、繊細さと鈍感さは、一長一短なわけです。

 そこで、「いいとこどり」をした人がいれば、その人は人一倍、魅力的になるわけです。
 図太くもあり、気持ちを細やかに感じ取ることもできれば、
 より上手く人と接することができるのは、もはや自明の理ですよね。


 そしてまた、「意外性」というのは、人を引き付けて止まないところがあるものです。
 「この人には、こんな隠れた魅力があったのか」と感じると、その意外さが衝撃となり、実際以上に素敵に見えてしまう、
 これが、人間の心理なのですね。
 そして、「正反対の性格を併せ持つ人が余計に魅力的に見える気持ち」は、
 心理学では、「よくあること」として、これを「コントラスト効果」と呼んでいるのです。



 こんな話をすると、「じゃあ、意外性というか、苦手な振る舞い方も磨いてみようかな」と思う方々もいらっしゃるでしょうか。
 もし、お思いなら、やめておくことを強くお勧めします。


 話の流れからすれば、全く矛盾するかもしれませんが、
 ちょっと立ち止まって、考えていただきたいのです。


 「正反対の性質を併せ持つ」というのは、上手くいく確率が2倍なのは間違いないかもしれませんが、
 裏目に出る確率も2倍になるのです。
 もし性格を作って、ぎこちなく終わったら、目も当てられなくなると考えるのが、自然ではないではないでしょうか。

 そしてまた、「悪いところもあるけど、いいところもあるんだ…」と、短所があるから長所が目立つといった考え方は危険だということを、
 ここで強調しておきます。
 たとえば、「普段は邪険にされるけど…」という場合、いくら他の特長があっても、
 人を邪険に粗雑にすることは変わらないのですから、そこを直したほうが、魅力的に見える近道にはならないでしょうか。
 「ギャップがあると素敵だ」というのはあくまで傾向のお話であって、
 明らかに人を遠ざけるようなものは、和らげるに越したことはない気がしませんか。



 人間関係は、テクニックではなく、愛情や良心で築くものです
 この話で言うと、「いかに魅力的に見せるか」という利己的な見方より、「いかに自分を楽しんでもらうか」という見方をすれば、
 先に書いたような「魅力」の履き違えもなくなります

 そして、同じ魅力でも、変な下心で磨いたようなものは、すぐに効かなくなるものです



 魅力を磨く前に、器を拡げましょう。
 それが、色々な個性を、長所として出す近道です。
 自然体でいる人が、一番強いのです。

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