教育は難しい。常にどういう状況であっても諦めてはいけない。学生の成長は無限大である。学生が成長しないのは学生だけの責任ではなく、教育者の責任も大きい。………このようなことをいつも思っており、教育の信念にしていましたが、自分の思い、信念をくつがえすようなことがおきています。真剣に語っても改善しない、本当に真剣にしようと思っているかわからない。理学療法士という仕事をなめているとしか考えられない。今までは怒っていましたが、怒りは無くなりましたね。諦め のような感じがします。ダメですね。
現在、理学療法士の実習は学生側にたって実施することが良いという風潮がありますね。本当にそれで良いのですか?。自己解決能力のある基礎学力の非常に高い学生は良いです。しかし、多くの学生は自己解決能力を身につける必要があります。
問題点の解釈をさせても空想ですね。解剖学、生理学、運動学で現象を表現できないといけないですが、それができないですね。どこからの本から写してきて、例えば、「歩行が安定するためには、……筋が必要である。」という表現です。以前も「歩行の踵接地ができないのは大臀筋が働かないからである」という表現があり、運動学的に表現しなさいと指導したところである。
本学は、治せるセラピストを養成することを目的にしています。そのレベルまであげたいと思っている我々と、大学の単位が取得して、卒業、理学療法士の免許だけほしいと思っているものとのギャップであるような気持ちがしている。
学生たちはみな可愛らしく、「基本的な態度がよく、頑張ろうとしているので合格にします。しかし、基礎学力は………」ですよ。そんな評価が欲しくて教育しているのではないんだ と叫んでしまうわけです。
現在、理学療法士の実習は学生側にたって実施することが良いという風潮がありますね。本当にそれで良いのですか?。自己解決能力のある基礎学力の非常に高い学生は良いです。しかし、多くの学生は自己解決能力を身につける必要があります。
問題点の解釈をさせても空想ですね。解剖学、生理学、運動学で現象を表現できないといけないですが、それができないですね。どこからの本から写してきて、例えば、「歩行が安定するためには、……筋が必要である。」という表現です。以前も「歩行の踵接地ができないのは大臀筋が働かないからである」という表現があり、運動学的に表現しなさいと指導したところである。
本学は、治せるセラピストを養成することを目的にしています。そのレベルまであげたいと思っている我々と、大学の単位が取得して、卒業、理学療法士の免許だけほしいと思っているものとのギャップであるような気持ちがしている。
学生たちはみな可愛らしく、「基本的な態度がよく、頑張ろうとしているので合格にします。しかし、基礎学力は………」ですよ。そんな評価が欲しくて教育しているのではないんだ と叫んでしまうわけです。