北欧スウェーデンの生き方、楽しみ方、生活・・・面白くつたえられたらいいな
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本日の内容は、メールマガジン本日発刊のものと同じです。
素敵な偶然ですが、今日はムーミンの日なのだそうです
トーベ・ヤンソンのお誕生日を記念日にしたとのこと。
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8月の終わり。北欧の気配は秋になる。夏至をすぎて陽が短くなるのが、はっきりと感じられる頃でもある。
私は、スウェーデンの夏が大好きだが、8月の終わりの、妙に物悲しい季節が一番好きかもしれない。
賑やかな晴れやかな季節が終わって、人々が徐々に、落ち着いた冬の準備をし始める。
スウェーデンの人々は、夏の終わりに何かと理由をつけてはパーティをする。
あっという間に過ぎ去った夏を惜しむ。
このあと、また、何ヶ月も続く秋と冬の日々も夏の間に思いっきり太陽を浴びていたからこそ耐えられる。
でも、わかっていながらも1日でも長く夏を味わっていたい。
ムーミンもこう言う。
「なにか不思議なことが起こりそうだから、夏の最後の時期がいつでも一番好き」
ムーミンは子供のアニメという印象を持っている方、ぜひ、もう一度、ムーミンの本を読んでもらいたい。
平易な表現だが、そこに書かれているのは、生きるというものがどういうものかよくわかった一人の聡明な女性の人生観なのだ。
作者トーベ・ヤンソンは、1914年にフィンランドのヘルシンキで生まれる。
第一次世界大戦の勃発した歳である。当時のフィンランドはまだ、ロシアの支配下にあった。
スウェーデン系フィンランド人の父とスウェーデン人の母。当然、母言語は、スウェーデン語である。
そのため「ムーミン」を始めとする多くの著書がスウェーデン語で書かれている。
父は彫刻家、母が画家という芸術一家の長女として生まれる。
父は、生活できるほどの収入があてにできないにもかかわらず、職業芸術家であり続けた。自分の作品を幼少の頃からトーベに鑑賞させ批評をさせた。
火事があると、火事場に連れて行き、嵐が来るとわざわざ家族を連れて船出をしたりするような父だった。
主人公ムーミンの父であるムーミンパパが、ある日、突然、憧れとメランコリーに襲われて、
「ぼくはもうベランダでお茶なんか飲んではいられないぞ」
と、家出をしてしまうシーンがある。
ムーミンパパは幸せな家庭と多くの友達を持ちながら、それでも、どこかにふらりとでかけて放浪したい気持ちを抑えることができないタイプの人なのだ。
そして、放浪して生きているニョロニョロたちに憧れてついていく。
そして、気が付く。
「ニョロニョロたちが、喜ぶことも失望することもなく、誰かを好きになることも、怒ったり許したりすることもなく、寝ることも、寒さも感じることも、間違いを犯すこともなく、腹痛を起こすこともそれが治ることもない…」存在であることに。
そして、こう悟るのだ。
「家にいても、自分は十分自由で冒険好きでいられるのだ」
ムーミンパパの気づきは、私にも深い気づきを促す。
ここではない、どこかに自分の居場所があるはずだ。と探していても、結局は見つからない。今ある場所を居心地のいい居場所に変えていくしかないのだ。
トーベの母は、スウェーデンで初めてガールスカウトを作った人でもある。
「なんといっても大切なことは、あの若い少女たちが自由と責任を手にし、自分のことは自分ででき、他の人の助けにもなれることだったのよ」
自由を手にするだけではない。自由と責任を手にする。
自分のことは自分でするだけではない。他人の助けにもなれる人になる。
誰かの役に立てることが人の本当の幸せに繋がるということがよくわかった人でなければ出てこない言葉だ。
ムーミンママは、ムーミン谷の中心人物である。
誰もが、ママを慕って頼ってくる。しかし、トーベの鋭い感性は、そんな母性の弱点を見抜く。
「谷」から「海」に引っ越してきた時、ムーミンママは、いつまでも過去の「谷」での生活の記憶から抜けられない。そのために「海」の生活に馴染めないのだ。
すでに、「海」での生活と向き合って格闘を始めている家族と気持ちの開きができる。
ムーミンママはこう考える。
「愛する家族と一緒にいられないから孤独なのではない。彼らのそばにいて、毎日一緒に暮らしていても、心が通わなくなるから孤独なのだ」
なんという真理。平易で明快であるが、そこで語られている深い思想には、年齢を重ねれば重ねるほど、なるほどと唸る。
私が、最も好きなスナフキンに至っては、話すことすること全てが、詩と言ってもいい。
「お前さん、あんまりお前さんが誰かを崇拝したら、ほんとの自由はえられないんだぜ」
「なんでも自分のものにして持って帰ろうとすると、難しいものなんだよ。ぼくは、見るだけにしておくのさ。そして、立ち去るときには、それを頭の中へしまっておくのさ。ぼくは、それで、カバンを持ち歩くよりも、ずっと楽しいね」
「おばさんの部屋はだんだんひろびろしてきたんだ。一つまた一つと小包をおくりだしたものね。そうすると、持ち物が少なくなるにつれ、おばさんの気持ちが明るくなっていったんだって。最後には、おばさんは空っぽの部屋を歩き回って、自分を風船みたいに感じたんだって。いつでもすぐ飛んでいける幸福な風船みたいにさ…」
誰かの模倣をしている限り本当の自分からは遠ざかり不自由な自分になっていく。
ものにたいする執着を捨てることで本当の自由が得られる。
そんな哲学を児童文学を通してトーベは語り続けているのだ。
こんな一文もある。
「人の名前を忘れるとちょっと憂鬱になりますが、自分の名前を忘れることができるのは、とてもすばらしいことです」
人は誰も年老いていく。かつてできたものが一つ一つできなくなっていき、わかっていたものが一つ一つわからなくなってくる。それは、悲しい憂鬱なことだ。
でも、自分の名前すら忘れる状態になったら、それはそれで、とても素晴らしいことだ。
歳をとるのは、すばらしい。自分の名前を忘れるぐらい現世の執着から解き放たれたら、それは、究極の自由なのかもしれない。
そしてもう一つ。
「その後ろ姿には、別れにはいつもつきものの、寂しい影と、ホッとしたような様子が漂っていました」
すごいでしょ。寂しいだけじゃなく。ホッとするという心理。
人生が何かをわかっていないと書けない文章だ。
ね、読みたくなってきたでしょ。
ムーミンはトロル(北欧に住む伝説の妖怪)だ。多くの人が誤解しているように、カバではない。
小女時代のトーベが、喧嘩した弟への嫌がらせで書いた似顔絵がオリジナルというから、名作のきっかけがどこに転がっているかわからない。
日本で質の良いアニメが作られて、そしてそれがヨーロッパに逆輸入されてもう一度ムーミンブームを巻き起こしたことも特筆しておくべきだろう。
トーベ・ヤンソンは、ずっと、長い間、親友と二人で夏の島暮らしをして芸術活動を続けたが、ボートを自力で島に引き上げられなくなった1991年を最後に、島暮らしをやめた。
そして、2001年6月27日、ヘルシンキで86歳の命の幕を閉じた。
ナチス隆盛のさなかに、ヒトラー批判を書くような反骨の人でもあった。
ムーミンが好きだという夏の終わりをもう一度、見ることはできなかった。
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