北欧スウェーデンの生き方、楽しみ方、生活・・・面白くつたえられたらいいな
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で、長いです。覚悟して読んでね
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スウェーデンに来る前に、「スウェーデンでは母国語の教育が保証されている」という一文を読んで、びっくりした。
そして、実際に来てみたら、確かにそういう制度があった。
例えば、日本人の子供とその親が、希望すれば、できる限り日本語のわかる教師を探して、日本語能力の維持に努めてくれる。
かつては、たった一人の日本人生徒のためだけにでも、日本語のわかる教師(多くの場合、スウェーデン在住の日本人)をつけてくれた。ところが、ご多分にもれず、色々な予算が削られている昨今、なかなか一人のために母国語の教師をつけるのは難しい状況になった。一説では、五人集まれば、母国語の教育を受けられるそうだ。
ただ、この母国語の教育というのは、すべての授業を日本語で受けられる日本人学校のようなものではなく、基本的には、スウェーデンの学校に通うのだが、週に1時間ぐらいは、日本語の授業も受けられるということだ。
そして、現状では、日本語能力維持のためのクラスというより、スウェーデン語のわからない日本人の子供と週に一回接して、学校のわからないところや、テキストのわからないところを教えたり、教師との間の通訳をしたり、外国の学校で不安定になっている子供の精神安定の役目をしたりと言ったニュアンスが強い。
見知らぬ外国人ばかりの学校に、いきなり通う羽目になった子供たちにとって、学校で日本語が話せるというだけで、ずいぶん、うれしいことなのだ。
そういうシステムが、確立されているというのもすごいでしょ。
我が家の子供たちも、学校に行き始めた時、「日本語の先生がほしいか」とたずねられた。とりあえず、親は教師と英語で意思疎通ができるし、子供に必要なのは、むしろスウェーデン語の教師だろうと思い、辞退した。
「そうか良かった。教師の費用は、学校が出すが、この学校は遠いので、往復の交通費に関しては、ちょっと面倒なことになる。必要ないならちょうどよかった」
と、変な喜ばれ方をした。
しかし、これは、権利なので、学校としても意志を確認しないわけにはいかない。
さて、我が家のような田舎住まいはともかく、ルンドやマルモのような街中に住んでいると、日本人の生徒のいる学校を掛け持ちで、巡回してくれる日本人の先生がいる。親も、学校のことなどで、質問がある場合には、その時間を見計らって学校に行けば、その先生に会うことができる。繰り返しになるが、これは、いいシステムだ。
例えば日本で教師をしている知人の小学校のクラスにブラジルからの男の子が入ってきた。当然、コミュニケーションが不可能だ。特に、親との連絡がむずかしい。
そのうちに、少年は、多少の日本語を覚えた。個別面談の時、担任は、少年に通訳を頼まざるをえない。
「◯◯君は、ちょっと乱暴なところがあって、他の子との争いが絶えないんですが……」
少年が、横にいる母親に伝える。母親はニコニコしている。
「お母さん、わかっているのかなあ」
と少年に聞く。少年は、にっこり
「うん、わかったって言ってるよ」
「忘れ物も多いし、事業中もじっとしていないことが多いのですが」
少年が伝える。お母さん、相変わらずニコニコ……。
そして、面談の後も、お母さんは、ニコニコと帰って行った。
知人は、どう考えても少年が正確に通訳したとは思えない……とぼやいていた。
さて、ルンドの場合、移民を受け入れる体制ができているので、日本から来た子供たちはまず、移民のクラスに入れられる。そこでは、数人のスウェーデン語のできない子供たちが、学年を超えて一緒に授業を受ける。
そして、一般級に行っても大丈夫と判断されると、年齢と能力に応じたクラスに通うことになる。早い子だと数週間で、一般級に移るのだが、言語体系に大きく差がある日本人の子供は、いつまでも、そのクラスにいることが多い。
一年ぐらいの滞在だと、結局、移民のクラスのままで、帰国ということもある。
とはいえ、完全に隔離されているわけではなく、音楽、体育などの言語にあまり頼らない授業については、交流することも多いようだ。
しかし、移民のクラスは、問題が多く、例えば、生活が変わった上に、言葉がわからないという状況の中で、必ずしも、どの子も落ち着いていられるわけではない。なかには、ストレスから、他の子に暴力を振るったりという問題行動に出る子もいる。
特に日本人のように集団教育をきちんと受けてきた国民には、理解できないようなケースもあるようだ。
低学年で、言語があまり関係ない年齢は、そのまま一般級に組み込まれることもある。
また、難民の受け入れを拒否しているコミューン(自治体)では、移民のクラスを持っていないため、そのまま、一般のクラスに入る。
しかし、それらの場合でも、スウェーデン語の特別授業が保証されていて、週に何回かはほとんど個人レッスンに近いスウェーデン語の授業を受けることができる。
かつて住んでいた茨城県つくば市では、外国人研究者が多かったため、同じような日本語の特別授業が週に二回ほど行われていた。しかし、これは、父兄の中のボランティアによって成り立っていた。もちろん言語教育のプロではない。
自治体からきちんとお金が出て、権利として認められているスウェーデンとは大きく異なる。
そうした至れり尽くせりのシステムは、国の方針として、移民や難民を広く受け入れようという姿勢の表れでもある。難民については、以前書いたので、そちらを参考にしてもらいたい。
学校の話とは、少しずれるが、例えば病院や裁判など言語が障害になる場所には、通訳を用意してもらう権利もあるのだ。
さて、我が家では、子供たちもスウェーデン語が不自由な上に、親も面倒で辞書を引かないために、言語の壁を実感することはしょっちゅうである。
ホラーバーティにひとりだけ、普通の格好で娘を参加させたこともある。
お弁当なしで、遠足に行かせたこともある。
始業日を間違えて、知らないうちに休ませていたこともある。
その度に「ちゃんと連絡しないあんたたちが悪いんでしょ」
と叱って誤魔化していましたが……、全ては、学校からの連絡をちゃんと読んでいないお母さんのせいです。
艱難、汝を珠にす……っていうから、頑張って、立派に育ってちょうだい。
この時期、毎年書いている気もしますが、
森や空き地一面に広がる野の花畑が大好きです。
春を告げる花SCILLA(スキラ チオドノグサの一種)
森は、vitsipporと言われる白い花が咲き乱れます。
日本の季節では、秋がいちばんすきですが、
ヨーロッパでは、断然、春、そして、夏。
素敵な季節が始まります。
イースター休暇にオランダの友達を訪ねた時、
有名なキューケンホーフの周りのチューリップ畑に行きました。
花を売るのではなくて、球根を作るためなので、
刈り取られず、きれいです。
あまり広すぎて、全貌をお伝えできないのが残念。
ぜひ、自分の目で見に行って。
日本からも人気のツアースポットなんですけどねえ。
イースター休暇のこの時期
スコーネ中のいろいろな場所で、
地元の芸術家の展示会が開かれます。
新聞に公示されているだけで147もありました。
例えば、スコーネの城などは、展示会の格好の場所です。
ハッケベリー城でも、数人の芸術家の合同展示が行われていました。
でも、売れているのは1割ぐらい。
しかも、素敵と思うのは、やっぱり売約済みでした。
いえね、買う気も、買うお金もないんですけどね。
知人の家でポスクの食事をごちそうになっていたら、誰かが訪問のベルを鳴らしました。
「わたしの花」と呼ばれるごらんのピンを売りにきたのでした。
日本の「赤い羽」と似ています。
毎年、この時期に売りに来て、健康のための基金にするようです。
種類がいくつかあって、値段も違います。
「赤い羽」と違うのは、毎年色を変えて、昨年のものと差をつけていることでしょうか。
今も販売しているのかしら?
ルンド郊外のFlyingeと言う場所は、スウェーデンの競馬馬の繁殖地です。
日本で言うと日高のようなところでしょうか。
馬関係の仕事についている人が多いです。
その小さな町にあるすごく立派な建物。
どうやら、馬のトレーニングセンターのようです。
Kungsgård
と言います。
もともとは、王室の馬ご用達だったのかもしれません。
馬術学校の他に、馬の学者を養成する施設もあるようです。
これは、Flyinge Kungsgårdのホームページからお借りしました。