こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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うらら 術後2週間の一喜一憂

2014-06-01 21:21:38 | うらら
フレンチブルドッグのうらら。

術後祈るだけの3日が過ぎ、カレンダーにバツ印をつけながらの7日間が過ぎ、とりあえず脊髄軟化症の危機は脱してほっと一息。
でも、人間次々と欲が出るもので、今度はなんとか歩けるようになって欲しいと思うのです。

しかも、自分での排尿はいまだできず、朝夕は導尿に頼っています。

できる限り面会に行っては、いつもちょこんと足を投げ出してお座りをしているうららを、マジックミラー越しに見て帰るだけの日々。

体を吊っても、足を振るもののお尻が上がらないとのこと。
立とうという気があまりないようだと言われて、なんだか不安な毎日。


そんな中で、犬仲間とのバーベキューに参加して、同じく椎間板ヘルニアで下半身が麻痺してしまったワンコや、頑張ってリハビリしているワンコの話を聞いたり、みんなに応援してもらってすごく元気をもらうことができました。

          
           

ただものすごい暑さで、30度は軽く超える炎天下での作業にかなり疲れて、帰宅後はあっという間に昼寝に突入してしまいました。
そんな中でも夢に出てくるのは、元気なうららの姿です。
どういうわけか、うららを抱きかかえていて、そのお尻はいつものようにプリプリで筋肉質で、その感触をずっしりと感じながらハッと目が覚めたのです。
何だ、夢か・・。

そう思いつつ、夕方からうららの入院する戸塚の動物病院へ向かいました。
仕事の都合で金曜日に行けなかったので、二日ぶりの面会です。

名前を呼ばれて、電気を消した診察室のマジックミラーに向かう私に、先生が「今日は立っていますよ。」と言って微笑みました。

え?

そこには、体を軽く支えてはもらっているものの、4本の足ですくっと立っているうららの姿があったのです。

 

「たってるんですね?すごい!一昨日は立てなかったのに!」
先生は、「いやいや、一日で立てたわけじゃないんですよ。」というものの、とにかく今この瞬間立っているじゃないですか。

とにかく嬉しくて、ありがたくて、家族や犬友たちに片っ端からメールや画像を送りました。
みんなもすごく喜んでくれて、たくさんの返信で一緒に喜んでくれました。

そして、昨日の喜びに勢いがつくことを祈りながら今日も面会に行きました。



ありゃ??
昨日よりもへっぴり腰で、なんだかフラフラしているうらら。
昨日は軽く手を添えていただけで4本のあしてシッカと立っていたのに、今日は支えられてやっとたってる感じ・・・。

今日はリハビリもしっかりやってちょうど疲れているのかも・・・と言われました。

おしっこは相変わらず自尿はなく・・。

ゆっくりゆっくりですね。
この分だと、退院をもう少し伸ばして、しっかりリハビリしたほうがいいかもしれません。とのこと。

一番気がかりなのは、やはり自尿が出ないことで、日中お留守番のうららには、それが一番の心配事です。

あと一週間。神様どうかおしっこが自分で出来ますように。

久しぶりにうららのこと ~ ヘルニアの恐怖

2014-05-20 23:41:57 | うらら
うららは、2歳のフレンチブルドックです。
2年前の4月に、我が家にやってきました。
「娘のために」という名目でしたが、結局は私のためにやってきたのです。
この2年間の、苦しみや悲しみや、悔しさや、辛さは、うららがいたから乗り越えて来れました。
私にとっても、うららにとっても、お互いはなくてはならない存在で、今の私にとっては、肉親そのものの存在です。

うららはよく遊ぶ子で、フレンチブルドックにしては珍しいねと言われるくらい、よく走る子です。
お友達のワンコ達と、野原を全速力で走り、じゃれあっては私のところに戻ってくるのです。



               

休日に、野原でワンコ仲間たちと一緒に過ごす2時間程のあいだ、楽しそうなうららを眺めながら、ワンコたちのパパやママと話をするのが、私の一番お気に入りの時間でした。

この前の日曜日も、暖かな5月の空の下、たくさんのワンコ達と走ったり、転がったり、じゃれあったり、本当に嬉しそうにはしゃいでいました。

いつものように,帰ってからは疲れて食事をたっぷり食べたあとは、私のそばでぐっすり眠っていました。

私もとても疲れていて、「おいで、先に行ってるよ。」と、うららに声をかけて寝室に行きました。

いつもなら、あとからとことこ付いてきて、ベットに登ってきて私のとなりに滑り込むのですが、その日は来ませんでした。
最近、時々居間で夜中まで眠って、深夜にやってくることもあったので、私もぐっすり寝こんでしまったのです。

ふと気がつくと、ハアハアと苦しげな声でうららがベットの下に立っています。

すごく荒い息と、辛そうな表情。
起きてみると足が異常に硬直して、変な歩き方ををしています。
何より、だこうとすると痙攣するようにもがいて嫌がるのです。

朝の4時でした。
嫌な予感、ただ事ではないと感じました。

24時間診療の近くの病院に連れて行きましたが、夜中なので検査はできないと鎮痛剤の注射をしてもらいましたが、朝までには再び苦しそうにして、横になって眠ることができなくなっていました。

かかりつけの獣医さんに預け、仕事に行きましたが、2時間ほどすると獣医さんから電話が有り、「麻痺がすごく進んでいます。早くMRIがあって、緊急手術ができる大きな動物病院へ運んでください!待てません!」と言われました。

この時職場の知人に戸塚にある高度救命救急の動物病院を紹介されて、かかりつけ医の情報提供書も持って車で運びました。
すでに抱き上げることもできず、ケージを借りて行きましたが道中の麗は、本当に不安と苦痛と恐怖の中にいました。

それからCT,MRIをとり、結果椎間板ヘルニアの最重度の状態とわかりました。
このとき、すでにうららの痛覚も失われていました。

私はただただオロオロとして、結果を待つあいだも、泣いてばかりいました。
一番辛いのはうららなのに。

残された選択肢はそのまま手術するしかありませんでした。
どうか、うららを助けてください。痛みをとってください。

手術を待つ間、娘を迎えに行き一緒に待ちました。


そして、手術が終わりやっとうららに会えると思ったら、それはマジックミラー越しでした。

麻酔から覚めたばかりで、ぼんやりとした目でしたが、じっとミラー越しにこちらを見ていました。
体を支えられ、頭を撫でてもらっていましたが、ふるふると全身を震わせて、どうしようもなく儚げで悲しげで、娘はドアの前にうずくまって泣いていました。
私もその場に立ち尽くしたままで、ボロボロ泣くことしかできませんでした。

愛しくて、愛しくて、何故こんなことになってしまったのか、考えても後悔しても致し方のないことを、とめどなく考えては泣きました。

手術は成功しました。

けれど、今の状態では下半身は完全に麻痺が残ってしまいました。

このあとは、リハビリのため3週間入院が必要だと言われました。
そして、その間家族はこのミラー越しにしか会うことを許されないと言われました。

あってしまえば、興奮して暴れたりすることもあるからと。今は絶対安静が必要だと。
会ってしまえば、一緒に帰れないことが理解できず、余計可愛そうだと言われました。
今は、心を鬼にしてくださいと。

それでも、うららが痛みから解放されたことにほっとしました。

たとえ、足が動かなくても、生きてさえいてくれたなら、私たち家族でどんなことでもしよう。
大事な家族なんだから、ずっとずっと大事にしようと、単身赴任先の夫からも、何度も電話がありました。

でも、それだけではないことがわかりました。

この病気の恐ろしい合併症。

この術後の1割未満の確率で併発する、致死率100%の恐ろしい病気。

術後3日を乗り切れば第一関門突破。1週間乗り切れて始めてほっとできる状態になるらしいのです。

「脊髄軟化症」
脊髄に炎症と虚血が起こることで、進行性に脊髄が壊死し始め、やがて全身麻痺から呼吸筋麻痺をきたして死亡する恐ろしい病気が、虎視眈々とうららを狙っているのです。


怖くて、怖くてこの病気をネットで知って、読み進んでいくうちに手が震え、気が遠くなるほど恐怖でした。
うららが連れ去られるのではないかと、喉が詰まって動悸がしました。
今朝、その病気の危険性を電話で担当医に聞いたら、「まず3日、それから1週間が山場。予測もつかないし、発症したら絶対に助けられない、」と改めて言われてしまったのです。

今日で1日目クリアです。
とりあえずあと2日、そこを超えたらあと6日。

うらら、絶対に大丈夫だよね。一緒におうちに帰れるよね。
信じるしかないし、待つしかないことはわかっているのです。

今朝、息子も「俺、4時まで眠れなかった。うららのこと考えると、過呼吸になちゃいそうだったよ。」と、暗い顔でやってきました。
昨日から、犬仲間や友達がメールや電話で何度も励ましてくれます。

怖いことばかり考えてしまって、悪い方へ悪い方へばかり心配していて、気が変になりそうです。

うららは、フレンチブルドッグですが、大切なかけがえのない家族です。
どうか、どうかうららを助けてください。

もう一度一緒に暮らせることを、今は祈るだけです。


大阪 呼吸セミナー <吸引チューブの一件も・・>

2014-05-10 22:58:47 | 訪問看護、緩和ケア
認定呼吸療法士の更新のための講習、近場でいよいよ見つからず、6月いっぱいの期限を前に、大阪まで行ってきました。
内容は、人工呼吸器に関連することが多くて、在宅現場の私にはあまり興味が持てない・・と言ったら怒られるかな(^_^;)。
でも、その中でも興味深い話はあって、安全な気管内吸引の話のなかで、以前にも問題となっていた<吸引チューブの根元を折るか折らないか>という話が出てきました。

そう、あれは随分以前、吸引カテーテルは根元を折り曲げてはいけないことになったと書きました。
なぜなら、急に圧をかけることで気管内の粘膜損傷を起こしやすいからだと。

でも昨年、吸引指導講習の報告で、よくわからないけれど、また根元を折る方が良いという指導に変わったとお伝えしました。
この時、講師の先生に聞いたら、「そうなんですよ・・。私たちもそう指導するように言われたので・・」ということで、はっきりした答えは聞けませんでした。

何なんだ、どっちなんだと思っていたら、今日の呼吸セミナーでその話が出てきたわけです。

「安全な気管内吸引」コヴィディエングループジャパン 日本コヴィディエン株式会社クリニカルサポート課看護師 小川 加奈絵先生のお話の中です。

日本呼吸療法医学会の「気管吸引のガイドライン2013」では、「挿入中は吸引を止めておく」方法になっていますが、一方では「吸引圧をかけながら吸引する」という意見もあり、賛否両論ではあるようです。

では何故「挿入中は吸引を止めておく」のかといえば、圧を最小限でかけるので、低酸素血症のリスクが低くなる。しかし、上部にある分泌物を下部に押し込んでしまう可能性があるということです。

逆に「吸引圧をかけながら吸引する」場合、分泌物を吸引しながら挿入することで、効果的な吸引ができる反面、吸引時間が長くなり低酸素血症を起こすリスクが高くなる。

ということで、どちらがいいということではなく、ケースバイケースでより効果的で安全な方法を選択してけば良いということのようです。

大切なのは、アセスメントをして必要最低限で行うこと。
チューブを挿入する長さ、太さを適切に選択すること。
きちんと解剖・生理を理解し、気管分岐部をつついたり、気道を擦ったりしないこと。(迷走神経反射や、気管内肉芽形成を起こさないために)
1回の吸引時間は10秒以内とし、吸引圧も150mmhg以下とする。
感染対策を遵守すること。

というわけで、気道の上の方に痰が貯留しているような場合は、最初から圧をかけて吸引して、まだ下の方にある場合は圧をかけないで挿入する(根元を折ったり、穴を塞いだりして)など、聴診や触診でのアセスメントによって決めればいいのだと思います。

それから言えば、口腔内から咽頭部にかけて、ゴロゴロ痰が見えるような場合に、なにもわざわざチューブをおる必要があるのかな??とも思いますよね。


最近でも、コメントでこの件の質問がちょくちょくあるので、ちゃんと説明できるようになって良かったです。

で、最後の講義は神戸協同病院の山本昌司先生の「呼吸に関する解剖・生理のABC」という基本のお話でした。

人には言えないけど、何度聞いてもよくわからなかった基本のABCですが、ものすごくわかりやすい先生でしたよ。
なんだか、怒っているんじゃないかと思うくらい、力強い大きな声で、ガツンガツンと説明してくれた「酸塩基平衡」。
本当に苦手な部分ですが、なんかうっすらわかったような・・。
時間が短すぎたので、もっと一から十までこの先生に聞きたかったなー。今日一日、全部この先生なら良かったのにー。
なんてことを思いながら(ほかの先生に失礼ですよね)大阪での講習を終えました。



ちなみに、金曜日の夕方に大阪上本町(うえほんまちです。かみほんちょうではありません。)のホテルに着いて、昔大阪に住んでいた頃時々来ていた鶴橋まで、散歩がてら行ってきました。
鶴橋って、大阪にある大きなコリアンタウンです。
駅からそのままガード下の韓国街に直結していて、その周辺はもう焼肉で白くモヤモヤと煙っています。
四方に連なる焼肉屋さんの呼び込みや、細い路地に出ているちぢみやキンパの屋台、色とりどりの布地のお店や、キムチ屋さんなどなど。

  

珍しいキムチを四種類位買ってプラプラしていたら、匂いに負けて禁断のひとり焼肉に手を出してしまいました。
なんか、やっぱり淋しいかも。カウンターで中年のおばはんがビール片手に肉を焼く・・・。(ToT)

翌日は、朝からセミナーだったので、セミナー終了してから、新幹線の予約時間までのわずか1時間半のあいだに、難波で降りて早歩きで道頓堀まで行き、法善寺をちらりと覗いて帰ってきました。


                 


なんだかどっと疲れたセミナーでした。
もっと自由な時間があれば、京都とかも見れたんだろうけど・・・。
早く自由になりたいですわ。ほんまに。

詐欺にもいろいろあるらしい。( ̄▽ ̄;)

2014-04-25 00:08:51 | 訪問看護、緩和ケア
先日のこと。
スタッフが、独居のおばあさんを訪問すると、なんだか様子がおかしかったので、よくよく聞いてみると、どうやら騙されて、気落ちしていたことがわかりました。
ある日、おばあさんのところに、一本の電話が。
なんでも、古い洋服なんかを買い取ってくれるということ。
死んだおじいさんの、仕立ての良い背広が洋服ダンスいっぱいにあって、捨てるには忍びないし、かといってデザインは古くて人にあげれるわけもなく困っていたところ。
十円でもいいかと思い、査定してもらうことにしたそうです。
やって来たのは、みるからに危ない世界の方のよう。
山盛りのスーツやらなんやら、果たして査定の結果は・・0円だったそう。
いくらなんでも、買いますって言ってきたのに。でも、怖くてなにも言
えず引き取ってもらうことに。すると、他に貴金属も見せろと言い出したそうな。
結局、おじいさんの形見のカフスボタンとか、小物もみんな0円でもってってしまったそうです。
なんだ効率の悪い詐欺ですね。

高齢者相手に、こんなことしてて、情けなくならないのかなー、

とにかく、自分たちの患者さんにも、注意喚起しないとね。

カフアシストE70

2014-04-03 21:06:30 | 医療機器・介護用品
神経難病などで呼吸筋が弱ったり、肺の機能が弱ったりすると、うまく痰が出せなくなってきます。

カフアシストは、こういう時に機械を使って痰を吐き出し安くしてくれる機械です。

一日何回か、この機械を使って痰を吐き出し、肺のお掃除をするわけです。

そのカフアシストですが、新しい機種ができたと聞き、勉強会をすることとなりました。

 カフアシストE70

                        

メーカーの方に来ていただいて、実際に装着してみました。

設定は、患者さんごとに医師から指示されます。

この機種では、呼気の時にバイブレーターをかけることができるので、排痰がスムーズになります。

以前の機種では、逆に痰が押し込まれるような気がすると言っていた患者さんも、このバイブ機能をつけることで、痰が出やすくなったと喜んでいました。

実際にスタッフみんなで交互に使用してみました。

マスクはぴったり装着します。

自分の吸気にあわせて送気されるので、思い切り吸います。
すると、機械が一気に気道から空気を吸い出します。

なれていないので、みんなびっくりしてマスクを離したりしてしまいますが、頑張って我慢すると・・・・
「ブハー!!」
「なにこれ??鼻水とよだれまで吹き出す!!」
と大笑い。



なあるほど、こんな感じで痰を出すのをサポートするんですね。

今までは、一部の神経難病しか保険適応がなかったのだそうですが、気切している方や慢性肺疾患のかた、脊髄損傷の方にも適応範囲が広がったそうです。

たしかに、脊損の方などは、風邪をひくとうまく咳がでずに本当に苦しんでしまいますから、こういう機械があると、肺炎の予防にもなると思います。

機械もどんどん新しくなります。

どこまでついていけるかな??
在宅での機器もどんどん増えてきますし、なるべくアンテナを張っていたいな、と思います。

ところで、今週のはじめ暖かい日が続きましたよね。

そこで、いつもは出不精の私も、ちょっと自転車で訪問することにしました。
居宅周りをのんびり桜を愛でながら走ってみました。



まずは瀬谷市民の森から楽浪ハイツ周辺です。

 東野の森に沿ったこの道は、本当に気持ちのいい道です。

途中のグラウンドに咲く一本桜は、いつも見事に枝を広げます。
   
                   

横浜緋桜  

西部病院の前から楽老ハイツにかけての野境道路も、桜のトンネルが続きます。


そして、海軍道路。

畑越しに見る桜並木が大好きです。

海軍道路は花見渋滞ですが、自転車だと快適です。


菜の花は、さくらを一層綺麗に演出します。

たまには、自転車での訪問もいいですね。
ただし・・お尻が痛くであまり長くは出来そうにありませんが・・・。(^_^;)




指示書を貰えない理由

2014-02-22 19:42:21 | 訪問看護、緩和ケア
すっかりご無沙汰しました。(ーー;)
リフォームが、大雪の影響でどんどん伸びてしまって、今だにとなりの息子のアパートとの二重生活が続いています。
食事は姉が義母、私が義父の分を作ってそれぞれ運んでいます。
トイレは、二階にありますが、夜は階段昇降が危ないので、夜は二人で同じポータブルトイレを使ってもらっています。
水も1階では使えないので、それもいちいち運びます。
なんてことをやっているので、夕食の後片付けが終わると、私はヘロヘロになっているわけです。
たぶん、なんだかんだであと4日から5日はかかるんじゃないかと思っています。
早く出来上がらないかな〜。
そうそう、大工さんはすごいなーと感心しています。
ひとりでどんどん家を壊したり作り直したり・・・。
大工さんの大ファンになってしまいました。\(^^)/

話は変わって、本題です。


訪問中のご家族の健康相談などをしていると、そのご家族から訪問看護を受けたいと言っていただくことがよくあります。

ご高齢の夫婦となれば、患者さんの奥さんだったり旦那さんだって、それこそいろんな病気を持っていてもおかしくはありません。

Aさんの奥さんも、介護疲れもあって、あちこち体の不調を訴えて、体重もどんどん減って、食事が取れなくなっていました。
冷えもひどくて、足先も循環障害で真っ青です。

もっと自分の相談に乗って欲しい。
看護師さんにアドバイスをもらったり、足浴をして足のケアをしてもらったり、状態観察をしてくれたら、本当に安心できるのに。
そんな話を受けて、ケアマネさんと相談して主治医に訪問看護を希望する旨を伝えてもらいました。

すると、「僕には、訪問看護の必要性がわからない。」と簡単に却下されました。
その後も、ケアマネさんからお願いしたりしましたが、やっぱり「僕は書かない。」とのことでした。

それじゃあ、ほかの科でかかっている先生に書いてもらえばいいのだけれど、ご本人はどうしてもその先生に書いてほしいとこだわっています。

ある日、その先生から電話がかかってきて「ボクはよくわからないのだけれど、訪問看護ってどういうことで入るの?」と聞いてきました。

話の中で、やはりこの奥さんの件でかけてきたようでしたので、担当の看護師が変わりました。

訪問看護を何故希望されているのか、病気への不安や介護のストレスで、かなりナーバスになっていることや、末梢の循環状態も悪く、フットケアも希望されていること、なにより精神的な支援を必要とされていることなどを、丁寧に話しているのを、私もそばで聞いていました。

電話を切ったスタッフは、半分憤慨して半分情けなさそうな顔をしていました。

「先生なんて言ってたの?」

「精神的な支援が必要なら、僕は内科だから精神科に行って書いてもらって。デパスも出さないようにしているんだ。僕が書くことはできない・・・・。
だそうです!」


ひぇー!!
びっくりでした・・・。

内科の患者さんは、精神的な不安を抱えていないということでしょうか?
不安を抱えたら、精神疾患になるんでしょうか?
街のお医者さんとしての自覚あるんでしょうか?
内科のお医者さんは、不安に対応してはいけないのでしょうか?


でも、実はこういうタイプのドクターたくさんいます。
医師会では、ホームドクターを持ちましょう!みたいなキャンペーンを以前やっていましたが、そういうホームドクターとして、いろいろな健康面での相談や、心の支えとなってくれる先生は本当に少なくなっているんです。

「僕は糖尿病以外のことは知らない。関係ない。」って言っちゃう先生もいます。

大きな病院では専門外来でそんな言葉をよく聞きますが、開業したら街のお医者さんとしての役割があると思うのだけれど、本当に困ってしまいます。


どちらにしても、こういう主治医との連携は困難なわけで、他にかかっている先生にお願いするしかないようです。
本当は、主たる病名の主治医と連携関係にあるべきだとは思うのですが、ケースバイケースですね。
時々こういう話を聞くたびに、どうやったら訪問看護を分かっていただけるのか、本当に悩んでしまいます。






リフォーム直前

2014-01-25 00:30:04 | 家族のこと
いささか老朽化が進んで、床のおあちこちがたわんだり、ガス台に至っては、五徳が折れてしまったりしていた我が家。
義父の建てた、義母の思いの詰まった家なので、何か一つ捨てるにもお伺いを立てなければいけないので、リフォーム前の片付けは難航しています。

それでも、古い鍋を捨てることを了承してもらい、残す食器やらなんやらを振り分けつつ、少しづつ片付けています。
義姉もずっと手伝ってくれていて、本当に助かっていますが、いらなくなった大きな食器棚二つは、まだ運び出せずにいます。

28日の朝から、このダイニングキッチンは使えなくなります。
その間10日ほどは、となりのアパートで食事を作るしかありません。
続いてトイレ、風呂、洗面所、さらにはフローリングの廊下全面の上張りもあり、約3週間家の中は全面工事中となるのです。

問題は両親で、要介護の義母はかなり不自由な暮らしを強いられることとなります。

でも、そこさえ我慢してもらえれば、あとはきっと今よりも暮らしやすくなるはずです。

段差はすべて解消し、余分な出っ張りもなくなり、トイレも快適になるはず。
そして、お風呂の湯船にも入れてあげられるかもしれません。

いろいろ問題はあるし、あれこれめちゃくちゃ言われることの多いなか、それでもここまで来たらやるしかないわけで、残すところあと3日弱で、準備を完了させなければなりません。

工事が入ったら、うららだって大騒ぎをするんじゃないかな〜。
おばあさん、転ばせないようにしないと・・・。
なんといっても、トイレは最大の問題だけど、とにかくポータブルで凌ぐしかないわけで、うーん考えると頭がごちゃごちゃになります。


もうこうなったら、早く始めて早く終わって欲しいんだけど。
きっと、これからもひと波乱、ふた波乱あるんだろうな〜。

そして私は、貝のように余計なことは言わず、ちくわのようにいろんなことを聞き流せるようにしないとね。



でも・・、おかげで嫁の立場を骨身にしみるほど体験しているから、患者さんの支援の中では、かなりそこをフォローしてあげられるようになっています。

誰かのせいにしないことを最初に約束してもらったり、一番立場の弱い人に声をかけたり、
そんなことが介護者の力にもなるってことを、再確認しました。

落ち込んでいる暇はない!
ということで、最近のうららさんです。
                   
海軍道路でばったり会ったら、声をかけてくださいね。




本末転倒でしょうに。

2014-01-23 20:54:35 | 訪問看護、緩和ケア
退院調整にかなりに時間をかけ、在宅スタッフには区担当ケースワーカー、病院連携室のMSW、ケアマネ、訪問看護師の綿密な調整から始まりました。

気管切開、IVH、離開創、経済的な困窮・・・

吸引指導に点滴の管理、頻回の緊急訪問を経て、やがて体調は改善していきました。
フラフラだった足腰は、IVHのバックをぶら下げて散歩できるようになり、この頃から経口摂取の訓練を開始しました。

長い長い時間をかけ、ヘルパーも看護師も、歯科医師も主治医も、みんなで気切の閉鎖とIVHの抜去を目指しました。

何度も担当者会議を繰り返し、栄養士も入り大きなチームとなりました。

その甲斐あって、やがて気切は閉鎖され、とろみ水から始まった訓練は順調に進み、二度と経口摂取はできないと病院で断言された食事を、3食とれるようにもなりました。

その間にも、次々と不幸が彼を遅い、歴代の主治医も担当者もチームスタッフもずっと彼を支え続けてきたのです。

でも、あるとき、どこかで道を間違えたようです。

その人は、今は毎日ビールを飲み、朝から酔っ払っています。

ヘルパーは公費で入っていながら、ビールは自分で買いに行きます。
最初は、時々だったビールがどんどん増えて、ヘルパーの前でも飲酒をし、そのビール缶はヘルパーが片付けます。

うるさいのは看護師だけです。

おかしいでしょう?こんなことのために、みんなで頑張ってきたんじゃないはず。

寂しくて朝から飲むんだという彼の言葉を間に受けて、さらにヘルパーさんを送り込むのは理解できなかったし、「それはおかしい!」と言い続けて、ケアマネさんに煙たがられたスタッフは、とうとう担当をおりました。

これが、希望を叶えたと入れるのでしょうか??

彼は、話し好きで人と関わることが好きです。
お酒だって、やめようと思えばやめられるはず。今までもそうでしたから。
でも、お酒が重なる理由はどこあるのか・・・。

もっと違う支援の仕方があるはずだし、寂しくて朝から飲んで、デイサービスで寝ているなんて、絶対におかしいでしょう。

本末転倒。

介護保険は何のためにあるのか。

看護師はうるさい。細かい。鬱陶しい。
と思うのは、いったい誰なのか・・と。



公費と介護保険が作り上げたのは、アルコール依存症だったなんて、申し開きできないと思うのだけれど・・。

でも、今度は私が引き継ぎました。
さて、どんな作戦をたてようかな。
思案中です。


足にご用心 PADとCLI

2014-01-22 22:25:51 | 訪問看護、緩和ケア
先週、恒例の在宅皮膚科医会主催の勉強会に行ってきました。
今回のテーマはフットケアと末梢血管障害に分かれていて、とにかく足についてたくさんお勉強をしてきました。

その中でも、神戸医科大学形成外科の寺師浩人先生の末梢血行障害のお話は、目からウロコのお話だったので、ご紹介します。

足の先端や踵が紫色になって、やがて黒くなって腐っていく・・。

こういう病変の原因は、糖尿病が原因だったり、踵などは褥瘡だったり、冬場などは動脈硬化による血流障害だったりします。
今回は、この末梢血行障害の専門的かつ最新のお話でした。

こういう足の病変を見たときに、まず考えるのはこれが褥瘡なのか、重症下肢虚血なのかの判別が、その後の明暗を分けるのだということでした。

その前に、今まで私たちはそう言う末梢の動脈閉塞に伴う足先の病変をASOと呼んでいました。
ASO 閉塞性動脈硬化症
ところが、この呼び方がまかり通っているのは日本だけなのだそうで、世界的に通じる疾患名は、末梢動脈性疾患PADなのだそうです。
そして、そのなかで重症の下肢虚血がCLIと言われています。

そうか、ASOとはもう言わないんだ~。でも、ネットなどではASOで検索したほうが圧倒的に出てきます。
でも、専門医療機関だとやはり「PADとは・・」に変わっていました。

話を戻します。

この説明に入って最初のスライドは、禿げたおじさんの頭のカサブタでした。

何故、ツルツルに禿げたおじさんの頭の傷が治りにくいか・・。

その訳は、傷は毛根から上皮化するからだそうで、禿げてしまうと毛根がないので、産毛とかからそろそろと治ってくるので、なかなか治らないのだそうです。

反対に足の底はエクリン汗腺から上皮化するそうで、糖尿病などで自律神経障害を合併すると汗をかかなくなって、ドライになってやはり上皮化しにくくなるのだそうです。

褥瘡であれば、環境を整え除圧、栄養、外科処置をおこなうことで、上皮がが正常に行われるわけです。

でも、CLIなのに、褥瘡と同じ外科処置を行ったら、血流がないのに新たに傷をつけるので、そこからどんどん壊死が進行して、あっという間に切断する羽目になったりします。

なので、そこの鑑別診断が最も重要となるのです。
病院であれば、ドップラーによる血流の確認ができるし、ABI,SPPなのどの血流検査ができるので確定できるのですが、在宅はそんなものはないので、所見で判断するしかありません。

どこを見るか。

1)下肢の動脈を触知する。必ず両足。
 大腿動脈から始まり膝窩動脈、足背動脈そして一番重要なのが後脛骨動脈です。
後脛骨動脈が足首から下の血管の元なので、これが触れればCLIではないですし、足背動脈が触れていても、後脛骨動脈が触れなければCLIということになります。

2)痛み。
CLIは、激しい痛みを伴います。
そりゃあそうです。血流が止まってしまって、そこから先が腐っていくわけですから、輪ゴムをぐるぐる巻きにしているようなもんですよね。
間歇性跛行と言って、歩いていると痛みで足を引きずってしまいます。
特徴的なのは、足を下げると痛みが緩和し、上げると痛みます。
3)Red Ring Sign
踵の褥瘡かな??と思っているとそうじゃないのが良くわかります。
中心に白い壊死した部分があり、その周囲が輪っかのように綺麗な赤いふちどりになっています。けれど、それは毛細血管が充血して見えているだけで、よく見ると肉芽がありません。
褥瘡だと、白色壊死組織とか黒色壊死組織とかはあっても、その周囲の赤いところには、プツプツと肉芽が存在します。

たぶん、普段そう言う足の創を見慣れている方は「あれか!」とわかると思います。

この3点で、即デブリをしても良い褥瘡なのか、絶対いじっちゃいけないCLIなのかを判別するのです。
肉芽がある=血流がある=褥瘡 なのです。
その他にも、CLIは皮膚が冷たい、毛が生えていない、変形がない、皮膚が平滑でテカテカしている、足の指と踵が高発部位、慢性的で重篤な感染がないなどが挙げられていました。

CLIであれば、まずは血流を再建しなければ、創は治らないばかりか悪化の一途をたどるのです。

最近、問題になっているのは術後のバンテージやストッキングです。
血栓予防でとても重要なツールですし、下肢のリンパ浮腫でも使われます。
しかし、きちんと既往歴などを確認しないと、ものの数時間で下肢の壊死を招くことがあるのだそうです。
全身の重度の動脈硬化、血管の石灰化などがベースにあると、ただでさえ血流は悪くなっています。そこにもってきて平均15~20mmhgと言われるストッキングを履いたらどうなるかということです。
これはSSPという皮膚還流圧を測ると明確になるようですが、在宅にはありませんから全身の血流の状況で判断しないといけないですね。

ちなみに、心臓や血管のOPE後などに、急に足先が紫色になり、激しい痛みを訴えた場合、コレステリン結晶塞栓症を疑がわなくてはいけません。
足先が紫色で大理石みたいにムラムラした模様になり、これをBlue Tou Syndrome というそうです。

これに関しては、現状でも皮膚生検をして確定診断をすることが多いそうですが、寺師先生は生検は禁忌!と言っていました。
病院医師からは、今でもやっているし大丈夫だ、という反論もありましたが、10人中1人でもそのリスクがあるのなら、絶対やめるべきだと言っていました。

なるほどー。
CLIの診断が付けば、寺師先生はステロイドを開始し、血流障害の原因がわかれば再建術をしてから、創の治療を開始するのだそうです。

その間壊死した足先はドライになっていきますし、血流が回復すれば指先も自然脱落するそうです。血流があるから自然脱落は起こるのだということでした。

そして、最後に一番みんながざわついたこと。
「腱や腱膜に達した創は、入浴も足浴も禁」だと言うのです。

シャワーで流すのはいいが、水圧がかかり腱に沿って細菌感染が広がるということでした。

これは寝耳に水でした。

今までもずっと足浴や入浴は進めてきただけにびっくりです。

やはり医師からも疑問だという意見が出ましたが、これも「ほとんどの人が改善しても、そういうリスクがわずかでもあれば、それはNOなのである。」との見解を崩しませんでした。

褥瘡も最近入浴禁止という説もあるそうで、うーんこれはどっちなんだろうか〜。

現場経験では、ほとんどの患者さんが褥瘡でもCLIで炭酸浴で著しく改善してきましたし、昨年の形成外科の勉強会では、その先生もエビデンスがある!炭酸浴は効果がある!って言っていましたから、この話で全部やめちゃう気にはなりませんでした。

ただ、今後腱の露出した創に関しては、医師と十分に相談していきたいと思っています。

時期としては、PADまっさかりの冬なので、皆様足先に十分注意してください。

後脛骨動脈触知をお忘れなく。


遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

2014-01-19 23:52:35 | 訪問看護、緩和ケア
なかなか編集画面を開けずに、1月も半ばになってしまいました。
この間も、伝えたいこと、勉強したこと、腹が立ったこと、感動したこと、たくさんたくさんありました。
いくつも出会いと、悲しいお別れと、いろんなゴタゴタも山ほどありました。

でも、私のキャパはめいっぱいで、そこから先になかなか進めないでいます。

12月にはPIPCの勉強会もしたので、在宅緩和ケアではこんなこともできるよ!とお伝えしたかったのに、あっというまに時は過ぎ去り・・

 
                    

そうそう、これはDIBという会社の薬液持続注入ポンプです。

モルヒネなどの持続注入に使います。(皮下でも側管でも)
癌性の消化管閉塞などのひどい吐き気にサンドスタチンなんかも使えます。

モルヒネなどは、途中についている小さな袋(リザーバー)をピコっと押すだけで、安全にレスキューできるので、面倒な輸液ポンプでなくても、在宅でのモルヒネ管理ができます。

これを袋に入れて、首から下げていれば、移動も制限されないし、いろいろな使い道があります。

全身麻酔で開腹手術をした方などは、背中から管を入れて、術後に風船を首から下げていた経験を持っているのではないでしょうか。
あれは、硬膜外に管を留置して、こういうバルンをつけて、術後の痛みの緩和を図っているのです。
私も子宮筋腫で全摘したとき、これを数日首からぶら下げていました。

まあ、そんな感じでちょこちょこと勉強会もやっていて、先日は恒例の皮膚科の増田先生からのお誘いで、PAD(末梢動脈疾患)の勉強会にも行ってきました。

これは、かなり目からウロコで、しかも昨日の常識は今日の非常識的な話で、出席していた先生方も「ええー??」って感じでしたので、次回はぜひこのお話をしたいと思います。

ということで、夜中になったので、続きはまた今度です。

今年もよろしくお願い致します。


いろいろ書きたい。でも今日は酸素!

2013-12-09 00:14:17 | 訪問看護、緩和ケア
書きたいことはいっぱいあるんです。
しかし・・。
PCのここにたどり着く前に、気がつけばコタツで爆睡しちゃうんです。

で、今日はさっきまで眠り込んでいて、風呂に入ったら若干目が覚めたので、久しぶりに更新です。
明日は、おばあちゃんが退院なので、お休みを取ったから、少し朝が遅いのでチャンスです。

呼吸器の病気で、呼吸が大変になってくると、在宅でも酸素を使うことができます。

一般的には、酸素濃縮器で空気から酸素を濃縮して、必要な流量の酸素を作り出してくれます。
これは保険が適応になり、酸素屋さんが医師の指示で、機械ごと貸出してくれるので、昔みたいに酸素ボンベを買ってもすぐにカラになっちゃうなんてことはありません。

で、以前にもあったのですが、それがあるのに苦しくなると、市販の登山用の携帯用の酸素ボンベを吸うという方がいます。

(以前には、苦しくなったら携帯酸素ボンベがあるから、酸素濃縮器はいらないと断言された方がいました。)

通常はカニュラで3.5L~4L使用していて、入浴時は5Lにしますが、それでも入浴後はSPO2が60%を切ってしまうほど酸欠になります。
リカバリーがいいので、5分ほどで90代まで上がりますが、それでも介助する方はヒヤヒヤです。

その方は、普段ご家族と一緒の時には、労作時に呼吸が苦しくなると、カニュラをしていても、登山用の携帯酸素を使うそうです。

「楽になる。」のだそうですが、これってどれくらい効果があるのでしょうか・・。

最近は、高圧酸素カプセルとか、酸素を吸える喫茶店とか、スポーツ選手に使ったりもしていますよね。
スポーツ選手は、ちゃんとエビデンスがあるのでしょうが、なかには???と思うものもありますよね。

以前行ったマッサージ屋さんは、マッサージチェアの横にチューブが固定されていて、そこから酸素が吹流しで出ていました。

「これって、何リットルくらいですか?」とスタッフに聞いたら「え?よくわかりません。酸素です。」って言われました。
顔から30センチは離れたところに固定してある酸素の吹き出し口。
とても、効果があるとは思えない感じでしたが、どうなんでしょうか。

調べてみると、あまり詳しい情報はありませんでしたが、
特別レポート:「オシャレな酸素吸入」は、酸素信仰の復活か?
-市販携帯用酸素ボンベの現状
というページを見つけました。

でも、実際のところはどうなんでしょうか。

登山家なんかは、これで山を登るわけで、イモトアヤコがよく吸っているいるシーンがありますよね。
いいやつは、ちゃんと流量計がついているみたいですが、そのへんで売っている酸素缶って、低酸素にどのくらい効果があるのでしょうか?

100%に近い酸素が入っているらしいけれど、数秒プッシュして吸うわけですが、やはりそんなに効果があるとは思えないのですが・・

逆に、CO2の蓄積している人に、これを一気に吸わせたらどうなるのでしょうか??

在宅なので、患者さんがそれで効果があると感じているならば、それでもいいのでしょうが、実際のところはどうなのか、誰か教えていただけるとありがたいです。

(Yamamotoせんせ〜、気づいてください!)




こういう年回り?!

2013-11-28 22:41:37 | 日々のあれこれ
またまたずいぶんとサボってしまいました。

あれは、2週間前です。
仕事から帰り、うららの散歩を終えて、夕飯の支度をしてじいちゃんたちに「ご飯だよー」と声をかけました。

「はーい」とじいちゃん。
でも、コタツで横になってテレビを見ていたばあちゃんが「いらない。」と言って起きようとしません。
「具合悪い?」「うん。」
すると爺ちゃんが「なんだか、滑舌が悪いんだよ」といいます。
そこに、義姉が顔を出して、「そうなの、ほうれん草ゆでた。っていうまく言えないって。」

「え?え?おばあちゃん、しゃべりづらい?」と聞くと、顔を撫でながら「そう・・なんらか、うまく・・しゃべれ・ない。」

どこかぎこちない喋り方・・。

しばらく話をしてみましたが、これはダメです。

すぐに救急要請をして、そのまま入院となりました。

そして翌日病院に行くと、部屋はステーション前の観察室に移動しており、おばあちゃんは完全に言葉を失っていました。
当然、嚥下障害もあって、その日はほとんど飲み込むことができませんでした。

前日にはなかった右麻痺も出現して、一瞬胃瘻まで頭をよぎりましたが、その後少しづつ回復して、今は介助でなんとかトイレ歩行はできるようになりました。

残念ながら、言葉はあまり改善ありませんが、意識障害もなく認知症状もないので、文字盤を使えば、コミュニケーションは良好です。
問題なのは、嚥下障害でした。

ムース食を、カテーテルチップに吸って喉の左奥に注入してあげなければ、うまく飲めません。
スプーンであげようとしても、なかなか飲み込めないのです。
それでも、日を追って少しづつ量は増えてきました。

数日前から主食が全がゆとなりましたが、これが難しくて、このご飯のつぶつぶ感がだめで、
喉の奥に入れても、食塊としてまとまらないので、口の中でバラけてしまううのです。

うーん。

これでは、今の食事形態から前進できないかも・・。

せめて、在宅に帰ったら「あいーと」くらいは食べさせてあげたいのです。(以前2回ほど、ここでもご紹介しましたが)
「あいーと」は、高齢者の摂食回復食で、特殊な酵素で食材そのものの形を保持しつつ、舌で潰せる程柔らかくなっているという食品で、目で食べることの喜びを味わえるすぐれものです。
これなら、家族が肉じゃがを食べていたら、「あいーと」の肉じゃがを食べればいいわけで、一人だけ見た目に何だかわからないミキサー食を食べるという疎外感を味あわなくていいわけです。(初月はおせち料理もある!!)

でも、今の嚥下状態では、「あいーと」はまだ早いようです。

これから、今の状態で家に戻った時のことを考えると、いろいろな調整やサービスの導入が必要になります。

しかも、段差だらけの古い家です。
あちこち痛みも激しくて、まずは1回スペースだけでも、リフォームしないとどうにもなりません。

うーん。困った〜。
仕事も目一杯です。

仕事を早く終わらせて、一日おきに病院に行き、食事介助をして帰り、おじいちゃんに食事を作り、うららの散歩をして、洗濯物を干すと、もう夜中に近くなりす。

子供たちも、ちょこちょこ手伝ってはくれますが、とてもとても時間が足りません。

なんだかなー。

職場の仲間も、認知の親を抱えていたり、友人の中にも、親の介護をしながら仕事を抱えている人がいます。
そういう、年回りなんでしょうが、いざ自分に降りかかると、ちょっと悩んでしまいます。

そうはいっても、そこを支援するのが私のお仕事なわけで、自分が泣き言言っていたら始まらないので、病院連携室のナースと話したり、昨日は区分変更申請を出したりしています。

リハビリ病院には、話し合いの結果行かないことになったので、STのいる通所リハを探したりしてます。

お騒がせ娘は、こんな時期になんと合宿免許を取りに行ってしまって、2週間は手伝ってもらえませんし、はてさて、これからどうなることやらです。

これも、あらたに天から与えられた使命なのかな????

ちょっと、与えてくれすぎじゃないですか??と誰に文句を言えばいいのか、結局は黙々とクリアし続けなくてはいけないのでしょうね。

週末は、単身赴任中の夫も帰ってくるので、とにかくリフォームの相談です。

弱音吐いてる暇がないので、とにかく頑張らなくっちゃね。

選択

2013-11-08 20:00:55 | 訪問看護、緩和ケア
あっというまに、11月も半ばに・・・。

毎日時間に追われて、余裕のない暮らしは同様ですが、その中にあっても、たくさんの人と出会い、たくさんの人と別れて行かなくてはなりません。

そう、みなそれぞれの物語を自分で紡ぎ出すように、静かに完結させていくのです。

終末期のケアの話には、必ず「選択」という言葉が出てきます。

選択とは、自分で選ぶことですよね。
自分の最後を、自分で選ぶ。

それがどんなことなのか・・。
まだ自分自身のこととしては、とてもイメージできそうにありません。

それでも、私はその選択のお手伝いをしなくてはならないし、その選択をも守らねばなりません。


自宅では、医療機器も多くはありませんし、在宅で出来うる医療処置も、決して強制するものではありません。

病院であれば、点滴と酸素くらいは、最低でも行われるのでしょうが、それも選択できるのが在宅です。


全身の浮腫と、急激な病状の悪化のなか、薬で朦朧とする意識の中、下顎呼吸が始まったMさん。
ヘルパーさんの報告で駆けつけると、苦しそうな呼吸状態の中、彼は思いのほか穏やかな表情で目を閉じていました。

もう、残された時間が少ないことはひと目でわかりましたし、血中の酸素飽和度を測るパルスオキシメーターの値は、80%を切っていました。

そんな彼が、ふと目を開けました。
「Mさん、呼吸苦しくないですか?酸素入れることできますよ。酸素してもらいましょうか?」耳元で、そう声をかけると、彼はしっかりと首を横に振ったのです。

「酸素は、嫌ですか?」

彼は首を縦に振りました。

そのまま見開いた目を、「もう、目を閉じていいですよ。眠りましょう。」というと、彼はゆっくりと目を閉じて、深い眠りに入っていきました。

顎を上げて、喘ぐように呼吸をしている彼は、すごく苦しいのではないかと思ったのですが、はっきりと彼はそれを拒みました。
でも、その表情は、眉間にシワもなく、穏やかでした。

そうして、彼は点滴も酸素も希望することなく、家族の見守りの中静かに旅立っていきました。


小さなことの一つ一つが、叶えられればいいと思います。
全部が全部叶えられなくても、家だからこその選択が出来たらと思います。

家にいること。
家族と、一分一秒でもそばにいたいと願う人がいます。
多少のリスクは覚悟の上でも、1分でも早く家に帰して欲しいと懇願される方がいます。

そうであれば、その手配を病院とのあいだに立ってすることが私の仕事です。


半年前に、息子を亡くした母がいました。
母ひとり、子一人の親子でした。
母は、自分も末期のガンに犯されていました。
その母は、自宅で死ぬことを強く望み、自分のこれからのこと、自分が逝ったあとのことも、すべて考え、手配をしていました。

やがて、病気は進み、あと数日かもしれないというある日、担当の看護師がこう切り出しました。
「Aさん、こんなことを聞いてごめんなさい。でも、お別れのあと、Aさんの思わない形で勝手に事が進んだら、きっとすごく嫌だと思うから。教えてくださいね。」と。
お別れのあとのお手当を、彼女は看護師に委ねました。
「Aさん、何を着て行かれますか?」
「そのタンスを開いて頂戴。そこにあるワンピース。それを着せて欲しいの。」
「素敵ですね。」
「それね、息子の幼稚園の入園式の時に着たの。そのあと、中学も高校の入学式も、それを着ていったのよ。」笑顔でそう話してくれたそうです。

大切な時にだけ着た、思い出のいっぱい詰まったワンピースだったのでしょう。

「それなら、息子さんもすぐに見つけてくれますね。」

彼女は終始笑顔で、あれこれと思い出話をしてくれたそうです。


自分の死装束を選ぶ患者さんは少なくありません。

今までにも、そうしてご自分の選ばれた服や着物を着て、旅立たれたかたはたくさんいます。

「生きている時に、自分の死装束を選ばせるなんて、なんてこと。」
と思われるかもしれません。
けれど、その方の生き方を見せていただいているうちに、今この時なら、きっと普通に話ができるだろうと、私たちにはわかります。

いろんな背景があって、それぞれの生き方があるし、それぞれに自分の死の受け止め方があると思います。
その方のそばにいいることで、そのタイミングを逃さねいようにできれば、もっともっと本音で話ができるのかもしれません。

久しぶりにブログを確認

2013-10-26 01:18:02 | 訪問看護、緩和ケア
最後に更新してから4週間近くたっていることにびっくり。

いろんなことが同時進行していて、自分自身がいっぱいいっぱいで、ブログをお休み宣言していたことをいい事に、自分のブログを確認することさえしないでいました。

だから、久しぶりに開いて、まだ私のブログを訪れてくれる人がいることに、本当にびっくりしたし、すごく嬉しかった。

10月に入って、訪問リハビリも遅ればせながら開始して、その広報活動やら挨拶回りやらをやりつつ、日々の訪問もバタバタと激しく出入りして、毎日が飛ぶように過ぎていき・・。

反面、自分自身のプライベートでは、未だ混沌として落ち着かない中で、気持ちはどんどん沈んで行きました。
眠れない夜も増えて、だるくて何もかも嫌になることもあって、「もしかしてこれってやばいかな?」なんて自分の精神状態が不安になったりもしています。

でも、基本私はポジティブ人間のはずなので、きっとそのうち抜け出すとは思います。

そう、私はいま自分の人生の物語の中で「苦しみと波乱の章」にいるだけ。

きっと次の章に移れば、そこからはいだして、苦悩を踏み台にもっと前向きな人生を歩んでいるはずなのだから。

人の一生は「ナラティブ(物語)」

最近、医療や看護、心理学や社会学のなかで、ナラティブアプローチという心理的アプローチが注目されいます。

でも、私自身ずっと前から、自分の仕事は「患者さんひとりひとり、その人の人生の中では主人公」なのだと思っていたし、だからこそ病にあって、その物語の終焉に向けて、少しでも素敵な物語を完結できるような支援がしたいと思ってきました。

今は、自分の人生の谷間にいて、人の人生の終末をなんとかしようなんて、おこがましいのかもしれないけれど、やっぱり私の居場所はここなんだろうなぁと思ったりして。
でも、一方では隙あらば逃げ出したい思いもあったりして(^_^;)。

まだまだだなぁ・・。



先日、長いお付き合いの患者さんが亡くなりました。
患者さんというか、私の中ではとても大切な人でした。

私がこの職場に入植した時には、すでにうちの患者さんだった方です。
正確には、患者さんのお義母さんだったのですが、寄る年波で数年前からお義母さんにも訪問看護が開始されたというわけなのです。

もともと、私が訪問していた患者さんの介護者だったお義母さんは、体が不自由になった義理の息子のために、就労中の娘に変わって、数十年にわたって本当の息子のように介護をしてきた人です。

そして、彼女は私たち訪問看護師にとっても、大切な存在に変わっていきました。

元気な頃から、よく冗談を言ったり、時には心配してくれたり、叱ってくれたりしましたし、口癖は「もう、あなたたちは親戚のようなもの。」でした。

彼女の体調が悪くなってからは、訪問看護も始まりましたが、なかなかの頑固者で、人の世話になることをだれよりも美とせず、時々担当の看護師を困らせたりもしました。

それでも、彼女がそこにいることは当たり前で、母を亡くしてからの私にとっては、どこかで第2の母のような存在になっていたのです。
ただ、そこにいることが分かっているだけで、安心出来る人・・。

かれこれ15年の歳月のなかで、看護師としても大先輩であり、無償の愛を義理の息子に捧げた彼女は、女性としても尊敬に値する人でした。

それが、あっという間に逝ってしまったのです。

呼吸器の病気のを患っていましたが、いつも凛としている人でした。

たくさんの患者さんを見送ってきました。
みんな忘れえぬ人です。
けれど、その中で私自身の成長を見守ってくれてきた彼女は、やはり特別な存在でした。

彼女の訃報を聞いた私は言葉を失い、その日呆然とするしかありませんでした。

夕方、会いにいくと娘さんたちが待っていてくれました。

彼女は、美しくきりりとした眉と、透き通るような綺麗な肌をして、静かに眠っていました。

大切な人が、またひとり逝ってしまったのです。


私は、落ち着く場所のない不安定な心を抱えたままで、日々の仕事に追われ、それでも誰かの為に働き続けることで自分を保ち続けています。


今の通信大学をあと1年で卒業できて、認定心理士の資格をもらえたら、漠然とですがグリーフカウンセラーに挑戦するのもいいかな・・。
漠然とですが、そんなことを思うようになりました。

悲嘆も喪失も経験した私だから、もしかしたらそこに向かうことで、私自身も救われるかもしれないと思ったりもします。

どうなるかはわかりませんが、そんな目標があってもいいんじゃないかと、ちょっとだけ思いました。


久しぶりだというのに、なんでこんな陰気な文章書いているんだろうかと、嫌になりますが、それも今の私の本当の姿です。
時々、こんなことを書くことで、また頑張れるのです。

というわけで、また時間が出来たら書き込みますね。
それでは。









「あきらめさせないパーキンソン病治療」を聞いてきた!

2013-09-30 22:35:28 | 訪問看護、緩和ケア
先週、パーキンソン病の講演会に、スタッフ8人で行ってきました。

一般講演はとにかく、特別講演は本当に感動ものでした。

東海大学医学部 内科学系神経内科准教授
 高橋 裕秀先生「あきらめさせないパーキンソン病治療:その実践」

ちなみに、主催は大塚製薬で、パーキンソン病の新薬で24時間血中濃度を安定的に保つことで、パーキンソン病のスイッチのon/offの改善が画期的に改善されるという「ニュープロパッチ」の紹介から始まりました。

そうですよね。
パーキンソン病の患者さんは、スイッチのOFFが恐怖なのです。

本当にこれが効果的なら、うちの患者さんたちだって、すごく良くなるかも・・・。
今後の成果に期待しつつ、高橋先生の講演です。


高橋先生のお話では、現在特定疾患となっているパーキンソン病は、近い将来特定疾患から外される可能性が高いということでした。
パーキンソン病の患者数の増加で、国が負担する医療費をかなり圧迫していることに起因するらしく、もっと希少疾患を手厚くするためにも、検討されているらしいのです。

先生は言います。
「パーキンソン病は、どんどん進行して、10年後には歩けなくなる。と思っていませんか?
そんな説明をする医者がまだいるのが現状です。
でも、諦めてはいけない。病状に見合った治療をすれば、10年経っても社会参加をすることはできます。」と。

先生は、パーキンソン病の初診時の動画をずっと撮っています。
そして、治療の経過も撮影しています。

初診時、前傾姿勢で腕を振ることなく、小さく片腕を震わせながら、すり足歩行をする患者さんも、車椅子で連れてこられ、両脇を抱えられてやっと立ち上がる患者さんも、1ヶ月後の診察時の動画では、みなスタスタと歩いているのです。
そんな動画をなん例も示しながら、適量のLードパを中心に管理することで、社会復帰ができるのだと力説されていました。(それでも効果がなければ、DBSという脳刺激手術があります)
社会復帰まで行かなくても、日常の生活が普通に営めれば、必要以上に医療費や介護保険を使う必要もなくなり、国の負担をも減らすことができ、たとえ特定疾患から外されてもなんの問題もなくなるというわけです。

私たちには処方に関することはよくわかりませんが、Lードパがパーキンソンの薬だということは知っています。
けれど、日本で一般的に使用される容量よりも、かなり多い量のL-ドパを、1日数回に分け生活状況に合わせて量を変えて処方するそうです。
L-ドパは副作用の多い薬という認識は、全くナンセンスで一番安全な薬であり、ジスキネジアさえ注意して投与すれば、とても効果的であるとしています。

実際の動画を見て、感嘆の声が上がったのは言うまでもありません。

先生は、検査内容も病状から判断して、一般的によく行われているMRIなどの検査も、全く必要のない検査は最初からやらないと言っていました。

何を疑って、何を検査し、何を使うか。
シンプルで的確、これぞ名医って感じでした。

けれど、看護師の私たちが一番感動したのは、患者さんに対する先生の姿勢でした。

診察室に入ってくるときの足音、姿勢、ごくわずかな指の震に気づくのです。
そして、今までの先生がちゃんと聞いてくれなかった、患者さんの訴えにきちんと耳を貸し、そこから真実を見抜く力。
はっきり物を言うし、他の先生に対しても、「そこが違う!」と言っちゃう先生。
でも、患者さんに対して、「俺が治す!」という信念が感じられる素敵な先生でした。

現在横浜近辺では、パーキンソン治療の専門家を求めて、東京の大学病院などに通っている方が多いそうです。

でも、この地域の人の病気は、この地域の病院で治すべき、と先生は言います。

そのために、地域に分けて講演活動をされているそうですが、残念なことにこの日集まった医師は10名にも満たなかったと思います。

それも、神経内科の先生はほとんどいらしゃらなかったのではないでしょうか。

先生は、現在若くて意気込みのある医師を集めて、事例検討会を主催していると言います。
本当にこういう意気込みのある先生が、沢山育ってくれれば、今苦しんでいる人たちがどれほど救われるかと思うと、「先生たち、ちゃんと勉強してよ!」と思ってしまいます。

うちの患者さんの多くは、スイッチのオン・オフに苦しんでいたり、主治医の心無い言葉に怒ったりしています。
まずは、もっと患者さんの声を聞いて欲しい。
パソコンの画面ばかり見ていないで、患者さんに触れて欲しい。

先生が怖くて、何も言えない患者さん、たくさんいますから。
無神経内科なんて陰口、患者さんから叩かれたりする先生もいますし・・。


本当に偉いのと、偉そうなのとは、こんなに違うんだな〜。と思いました。