こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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さすがだね。お父さんは。

2013-07-30 22:03:58 | 訪問看護、緩和ケア
このところ衰弱が激しくて、危篤状態が続いていたYさん。

担当のナースが訪問するとすでに意識もなく、下顎呼吸が始まっていたそうです。

ここ数日、妻は入院をさせるか入所をさせるかで大きく揺れていました。

苦しそうな夫を見ているのが、とても辛かったのです。

支えてくれる家族はなく、たったひとりで危うい呼吸の夫を、どんな思いで看ていたのでしょうか。

「こんなに良くしてもらっているのに、入院させたいなんて、申し訳なくて言えないですよね。でも、こんなに辛そうなのに、何もできないで見てるのが辛いんです。」担当ナースにそう打ち明けてくれました。

家で看取ることが絶対良いわけじゃない。
我慢しないで、入院先を探しましょうね。

そんな話をした矢先、すでに命の火は消える寸前になっていました。

退院した日に「やっとここまで戻って来れたな。」そう言った夫の言葉を思いだし、残り少ない時間をやはり家で過ごさせたいと、妻は言いました。
「また、気持ちが変わってしまうかもしれないけれど、今はここで見送りたいと思います。」と。
「だれでも、気持ちが揺れて当たり前です。いつでも話は聞きます。出来るだけのお手伝いをします。だから我慢しないで、なんでも言ってくださいね。」

そしてこの日、Yさんは担当ナースの訪問を待っていたかのように、訪問時間の中でその生涯を閉じたのです。

妻は、「こんなにあっけないななんて・・」そう言いながらも、取り乱すこともなく、担当ナースと死出の身支度を整えました。

訪問から帰って、Yさんの死を知った私は、そのままYさんにお別れをしに行きました。

髪を洗って綺麗に整え、藍色のアンサンブルの着物を着たYさんは、うっすらと笑みを浮かべて、とても穏やかな表情で眠っていました。


「頑張ったね、お父さん。ちゃーんと逝きどきを考えてくれたのね。奥さんひとりじゃない時に、これ以上奥さんが疲れすぎないうちに、一番いい時間を選んで逝くなんて、やっぱり、奥さんのこと、大事に思ってたのね。さすが、かっこいいねお父さん。」

妻は「あの時、どこにもやらなくて良かった。どこかに入院させてたら、わたしきっとすごく後悔してたと思うの。本当にここで見送れて良かった。」何度もそう言っていました。


いいご夫婦です。
頑固おやじの見本みたいなYさんの、それでいていたずらっ子のような満面の笑顔を、私たちはわすれません。
そして、Yさんに寄り添って、いつでもYさんの心配ばかりしていた、頑張り屋の奥さんも。

もう1人の担当ナースが、やはり訪問後にお別れに向かいました。

やがて、ステーションに戻った彼女はぐちゃのぐちゃの顔で、泣きながら帰ってきました。
うちに就職してかれこれ一年近く立ちましたが、今でも担当の患者さんとのお別れは、彼女にとっては身内同然とても苦しいものなのです。

人の死に慣れる必要はないよ。
その感受性が、優しさとなって患者さんへの支援につながっているのだから。
お別れに泣いたからって、プロとしてやれることはちゃんとやっているのだから。
一緒に泣いてくれる人がそばにいるのも、嬉しいものです。

寂しくなるけど、私たちの大好きだったYさんが、これからはずっと上の方から、愛する奥さんを見守ってくれることを信じてお別れです。
いってらっしゃい。

在宅の視点

2013-07-27 14:08:01 | 訪問看護、緩和ケア
先日退院されたYさん。

頑固一徹うん十年で、そのYさんにぴったり寄り添う健気な奥さんが、みんな大好きです。

頑固だけど、時折見せる無垢な赤ちゃんのようなYさんの笑顔にも、担当ナースはメロメロでした。

そんな愛すべきYさんですが、このところ具合が悪く、入退院を繰り返していました。

それでもやっと退院したYさんですが、退院当日に担当ナースが翌日の訪問時間を伝えるために電話をしたところ、退院直後から再び具合が悪いと聞きました。
退院前にゼロゼロし始めて、吸引して帰宅したものの、かなり苦しそうとのことで、吸引器を持って緊急訪問しました。
確かに痰がらみがあるし、左の背中の音が聞こえません。

熱も38度近くあり、SPO2は80%をきっています。

今さっき退院して、また逆戻り??

でも、奥さんは不安でいっぱいです。
吸引をしようとすると、本人はチューブをかんでしまい、「やめてくれ。もういい。」と拒否します。

とにかく体位交換をしながら、スクイージングをし、とろみの水分を少しずつ飲ませていると、痰が少しずつ動いてきました。
やがて喉元まで上がってくると、吸引を待たずゴクンと飲み込んでしまいます。

それでもなんでも、痰が上がってくるのはいいことで、何度かゴックンしていたら、SPO2も少しづつ上がってきました。

ずっと寝たきりで沈下していた痰が、退院のために体を動かしたことで、急に移動してどこかの気管支を塞いでしまったのかもしれません。

また病院?!
でも・・両手首にくっきり残った青いあざとカサブタを見ると、再入院の気持ちが萎えます。
一応病院に連絡をすると、「ええ?朝は99%取れていました。」とのこと。

とはいえ、場合によっては、逆戻りも出来ることを確認して、次に在宅の医師に連絡しました。

急遽酸素を導入し、翌日担当ナースが訪問すると「お腹がいたい。」と言っています。
胆石による炎症が再燃したのなら、再入院になってしまいます。

でも、今回の痛みの原因は違っていました。
座薬を入れようとおむつ開くと、硬い便が少し出ており、しかも肛門が便で押し広げられていました。

可愛そうですが、摘便をすると、なんと両手いっぱいの粘土質の便が詰まっていたことがわかりました。
退院前日に最終排便の記録がサマリにありました。
便が出たあとは、Yさんはスヤスヤと寝息を立てて眠ってたそうです。

病院から退院後にこういうことはよくあることです。

病院では、少しでも出ていたら「排便あり」になるようです。
体力のない、腹圧のかけられない患者さんが、どれほど排便に問題を抱えているか、あまり関心を持ってもらえないのです。
量が少なかったら、直腸内の残便をちゃんと見て欲しいのですが、こういうことが本当に多いのです。

患者さんのご家族は、そのベンの量を見ていつもショックを受けてしまいます。

病気を治してくれるのは嬉しいけれど、なんでこんなになるまでほっとかれるのか・・と、憤慨する方もいます。

摘便がいいとは思いませんし、できれば自然排便がベストなのはよくわかっています。
でも、ちょっと観察して頂ければ、こんなことにはならないはず。

今回の退院にかんしては、ほかにもちょっと感じることがありました。

たとえば、退院前カンファレンス。
訪問看護ステーションが入っていて、サマリも出していますが、一切こちらには連絡なし。
ケアマネさんも「明日、退院前カンファに行きますから、退院が決まったら連絡します。」と電話で話すので、「え?ちょっと待ってください。退院前のカンファがあるなら、私も行きます。ただでさえ連携を取れない病院なので、いいチャンスです。私も出席します。」と伝えました。
当日は、散々待たされた挙句、担当ではない病棟師長が「忙しいのでちょっとだけ」参加してくれました。
ケースワーカーは、あくまでもケアマネさんに視線を合わせて、ほんの20分ほどでカンファは終了しました。
そして、退院時Yさんが預かってきた書類は、「○○ケアマネジャー様」宛の「看護サマリ」でした。

なんなのかな?このサマリは・・。
ケアマネ宛のサマリだとしたら、訪問看護あてのサマリはないのかな?
どういうわけか、訪問リハあてのサマリは別にあるし・・。

全国津々浦々にある大きな病院なのだけれど、いつも連携がとりにくくて、困難事例の時なんかは、区役所の担当係長が電話しても連携できなかった病院です。

救急車は断らないし、ありがたいのだけれど、地域連携ができない不思議な病院。

それでもケアマネとはやっとカンファの話が出るようになったんだ・・と感心してたのだけれど。

看護サマリの問題は、ずいぶん昔からあって、看護サマリはあくまでも看護師間のものであることは、繰り返し言われていることなのだけれど、なんで病院が理解していないのか、私には理解できないです。

そんなこんなで、全く視点の違う病院との連携にかかわる攻防は、これからも続くことになりそうです。

危機一髪「母さん助けてサギ」

2013-07-19 23:41:43 | 訪問看護、緩和ケア
最近の詐欺は、銀行振込をさせるオレオレ詐欺はもう古くて、直接お金を取りに来る「母さん助けてサギ」が横行しているのだとか。

先日半休で家に帰ると、うちのおばあちゃんが「○○君(うちの息子)からさっき電話があって、友達にお金かしてくれって言うんだよ。すごく困っていて、今あるだけのお金でいいから貸してくれって。だからないって言ったんだよ。お母さんに言いなさい、って。」というのです。

よくよく話を聞くと、朝一度オレ君から電話が有り、その時おばあちゃんは「○○(うちの息子)かい?」と名前を出して確認したのだとか。
もちろん、敵は孫の名前をゲットしたので、「そうそう、俺○○」と言いますよね。
そこで、しばし雑談の中おばあちゃんは「お母さんは一時には帰るって言ってたよ。」と情報提供しちゃいました。
すると、昼前にまた電話がかかってきてこういったそうです。
「友人が福島の復興を兼ねたアルバイトで、浄化槽を余分に仕入れすぎて、今日中の支払いに困っているから、明日必ず返すから、わるいけど今あるだけお金を貸して欲しい。」と言ったとか。

おばあちゃんは、それもなんだかよく理解できなかったようで、「なんかよくわからなけど、お金なんか持ってるわけないでしょう?お母さんに言いなさいよ。」と強く言ったそうです。
それでもいろいろ言ってくるので「もしかして、それ詐欺っていうやつじゃあないの?」と聞くと「違う、違う。」と否定。
結局、「あとでお母さんが帰ってきたら、また電話しなさい!」というと、それきり電話は無くなったといいます。

これだけ言うと、おばあちゃんは完全に詐欺を見抜いたかのようですが、私には「○○から今電話があったのよ。全くなんでお母さんに言わないのかしら・・」というのです。
え??
「おばあちゃん、まさか本当に○○だと思った?たぶん、○○はそんなことでお金貸すようなやつじゃないし、ましておばあちゃんには絶対言わないから、完全に詐欺だよ。」といいその場で息子に電話をしました。
もちろん息子は大学に行っていて「何のこと??俺?ありえない!」と一蹴。

とにかく事なきを得ました。

翌週、Oさんの訪問から帰ってきたナースさん。
今日訪問中、Oさんにサギの電話がかかってきたのよ!と報告がありました。

やはり、午前中に小細工の電話があったそうです。
「俺、今日品川駅で財布やカード一切入ったカバンをなくしちゃったんだ。駅に届出を出しているから、あとでもし見つかったら品川駅から電話が来るから聞いといて。もう全財産入っているんだよ。今日は仕事で使う大事な書類も入ってるんだ。。ほんとに困っちゃったよ。」と。

ちなみに、「携帯電話もそこに入っていて、電話に出れないから、こっちから30分おきに連絡入れるよ。」とも言ったそうです。

Oさんは、びっくりして息子が大変なことになったと思っていたら、その5分後に「品川駅の遺失物預かり所ですが、息子さんの紛失したバックが見つかりました。印鑑と証明書を持って取りに来てください。」と電話が入り、Oさんはもう大喜びだったそうです。

その間にナースが訪問し、足浴しながらその経緯を教えてくれたんだそうです。
「えー??なんだか怪しいな・・?」と思っていると、息子さんを名乗る男からまた電話が入りました。
「おまえ、よかったね。お母さんお仏壇にお願いしていたら、品川駅から電話があったよ、見つかったって!」と大喜びで話していましたが、そのうち「え?お金?とりあえずすぐに必要なの?いいよ。いくらでもあるよ。いくらいるんだい?」という話になっていったとか。
これは完全に怪しい。怪しすぎる。
するとOさんが電話口で「え?!100万?!お母さん家にそんな置いとくわけ無いでしょう!そんなにないわよ!・・あなたちょっと、ここの住所言えるの?」
Oさんもさすがにおかしいと思ったようで聞き返しています。
すると相手は住所を復唱し始めたのです。
しかし・・、あいてはお馬鹿でした。
「せやく・・みつ・・みつさかい・・」と言ったのです。
自分の実家の住所の読みがな間違えるバカはいません。三ツ境はみつきょうです。
じっとやり取りを聞いていたが、「私が代わる。」と合図して受話器を受け取り「もしもし」といったとたん、電話はガチャン!ときられたそうです。

いやー、危ない、危ない。

ほとんど信用していたOさんですが、金額の多さで怪しんで住所で違う!と気づいたのですが、この金額が欲を書かずに数万から数10万単位なら、もしかしたら出してしまったかもしれませんね。

どちらも、すぐ近くにお金を取りに来る役の人間がいたはずです。
これが今の手口なんですね。

まず、伏線をはって、先に最もらしい電話を入れておく。
そして本番は振込ではない取立て。
一人の時間を狙って来るので、多少のリサーチはしているのでしょうか。

でも、こんなに信じちゃうお年寄りを間近に見ると、みんな騙されるんですね。
おかしいと思う気持ちと、困っているならなんとかしなくちゃ・・という気持ちのどちらが勝つのか、相手がぼろを出さなければ持って行かれちゃうわけです。

訪問中の強引なセールスにも時々遭遇しますが、できれば周囲が早く気づいて、阻止できればいいですね。

うちのじいちゃん、ばあちゃんのところには、これまでにも数回怪しい電話が来ていますので、きっとその手のリストに載ってしまっているんでしょうね。

とにかく普段から、お互いの確認方法をちゃんと決めておくことをおすすめします。

自分たちしかわからない質問をするのはかなり有効だと思いおます。

ああいう輩に、長年コツコツ貯めたお金を持っていかれないように、普段から繰り返し家族間で話会う機会を作っておくと、いざというとき役に立ちますよ。

喀痰吸引指導者研修に行ってきました。

2013-07-08 22:33:53 | 訪問看護、緩和ケア
先週末に、各たん吸引の指導者研修に行ってきました。

これは何かというと、ヘルパーさんや介護福祉士さんの、各たん吸引研修の指導者となるための研修です。

対象は、施設看護師、在宅では訪問看護師です。

だからといって、指導者が全部指導してOKを出すというわけではありません。
27年度までの介護士は、指定の研修施設で50時間の座学の講習と、シュミレーション研修を終えたあとの、現場での実技研修の指導をできるようになる、ということです。

とりあえず午前中は講習を受けて、午後から指導DVDを見て、そのあとはグループごとにロールプレイで指導者、受講者、読み上げ係に分かれて、お互いの指導方法を検証するというものでした。

     

この中で、すごく気になったことがひとつ。

以前、このブログで何度か吸引の方法について触れたことがあります。

吸引時は、吸引チューブの根元を折って、痰のあるところでぱっとチューブを開放する従来の方法は、粘膜に急に引圧がかかるのでしない方向になったと書きました。

ところが、今回の吸引指導では口腔と鼻腔吸引は根元を折って行い、気切部の吸引は半分だけ開く??というものでした。

あとで、指導員に質問すると「そうなんでよ。今回の指導要綱も、最初はそのように指導するよう言われていたのですが、最終的に逆の方法にするということになったのです。」とのこと。

理由は、粘膜にくっつくから・・とのこと。
???いや、粘膜に急激に圧がかかるのは、根元を折ったほうだと思うのだけれど・・と、ほかの受講者とも話していたのですが、「厚生労働省が決めたので、その方法でしてください!」とのことでした。
じゃあ、気切の吸引の半分おるっていうのは??
「粘膜の吸引じゃないから。」だそうで、じゃあ半分開ける意味がわかりませんでした。


何しろ、指導内容はコロコロ変わるのだそうで、現場も悩ましいことです。

そして、もうひとつ「なんでよ!」と思ったのは、胃瘻の酢水充填のことです。
この酢水を充填せず、お湯で通して空気を充填するということになったそうなのです。
(というか酢水は、酢水は保留中??)

最近、横浜市大病院で起こった医療ミスに端を発しています。
それは、経管チューブの詰まりに対して、看護師がお湯で薄めた濃度約25%の酢酸18ミリリットルを注入し、それが原因で小腸が壊死し、多臓器不全で50代女性が亡くなったという
事件でした。

でも・・、どう考えても在宅でも老人施設でも「高濃度酢酸」なんて置いていないし、特に在宅では食酢をさらに薄め10%の食酢の注入をしているだけなのです。

この酢水、在宅では大活躍していて、ちゃんと充填して綺麗に管理しているのと、しないのとでは、チューブ内の汚れが全然違うんですよね。

そんなことでいちいち使えなくなるのなら、例えばお湯で充填ということで、熱湯入れちゃうことだってあるかもしれませんよね。

まあ、リスクは回避しないといけないでしょうがないのでしょうか・・。

胃瘻といえば、ボタン式の胃ろうは、認定を受けても直接ボタン式の慰労には注入してはいけないそうで、介護福祉師やヘルパーは、ボタン式のものの場合、接続チューブをつけてそこから注入するのだそうです。
たった20センチほどの延長チューブをつければOK、ボタンに触っていけない・・というのも、なんだかなぁ・・と思いました。

まあ、これからもきっとちょこちょこと変わっていくのでしょうね。

ただ、在宅でヘルパーさんが胃瘻の注入ができると、随分と需要は増えるのじゃないかとは思います。

まずは、大手のヘルパー事業所が手あげするのでしょうね。

ということで、久々のブログ更新です。
誤字脱字、お許し下さい。

ありがとうm(__)m

2013-07-02 21:17:58 | 訪問看護、緩和ケア
みなさんの温かいコメントが、とても嬉しくて、またのこのこと出てきました。

今は、一人何役もやっていて、やっぱり時間に限りがあります。

でも、ちょっとお休みしていたおがげで、お勉強も少しできました。

今までより、少し早めにベットに入れます。

なのでもうちょっとだけ怠けますね。


そういえば、今日ある包括のケアマネさんから、ちょっと笑えるご依頼がありました。

いつも、彼女の急な招集を受けて行くと、かなり病状の悪くなった患者さんがいるということが多くて、彼女からの電話はちょっと身構えます。

その彼女からの伝言を、事務さんから渡されました。

「電子レンジもテレビもないロハスな生活。緩やかなアルツ」

メモにはそう書いてありました。

ほほー。

ものは言いようで、そんなおしゃれで可愛い感じになるんですよね。

「テレビもレンジもないんですよー。奥さんはアルツなんですー。」って言われるより、なんだかいい感じですよね。

そのおしゃれな言葉の裏が怖い・・と感じつつ、「ふふっ・・」て笑っちゃいました。

こんな言葉でも、なんだか「ほわん♡」と受け取れました。

もちろん「ロハスな患者さんのご依頼、ありがとうございます。」って折り返したのは言うまでもありません。


そんな些細なことが妙にホッとする私ではありますが、またそのうちちょこっと現れますので、よろしくお願い致します。

「しょうがないこ」とだらけの在宅

2013-06-25 22:32:14 | 訪問看護、緩和ケア
「しょうがないよ。」
こんな言葉をよく聞くのが在宅です。

在宅だからって、ちゃんとしなくちゃ医療や看護とは言えない・・と、きばってぶつかって大破する人も、この世界には多いのじゃないかと思います。

いくらこちらが、ちゃんとした計画の上、確実な情報を得て、きちんと病状管理をしようとしても、それができないのが在宅です。
なかには、そりゃ細かくチェックして、痒いところに手の届く介護をされている方もいらっしゃいますが、生活の中で日々生きていくためのあれこれに追われていれば、病院みたいな介護はなかなか望めないのが現実です。

心臓も肝臓も腎臓もあまり良くなくて、バルンカテが入って帰宅した患者さん。
病院の退院指導書やサマリには、「毎日同じ時間に尿を破棄して、その量を記録してください。」と書いてあります。
当然、入院中にもその説明とともに、ご家族に破棄方法は伝えていたはず。

でも、実際在宅が始まってみれば、なんと本人がつかまりながら一日に何回かトイレに行き、その都度破棄しているということが判明しました。
当然尿量は不明です。
(ーー;)うーん、腹水も胸水も貯まる人なので、尿量は知りたかったなぁ・・
でもしょうがないから、体重だけでも測ろうと、お風呂場で体重計を発見して、乗っては見ても電池なし・・。

は〜〜〜

しかも、家の人に迷惑かけたくないからって、1包化した薬の袋から、緩下剤をポイポイ抜いては捨てるので、ここ数日排便もない・・。

お薬飲んでください。
ちょっとだけ、お腹とお尻確認させてください。
と懇願しても、「やだ!!」
「今日は、だいぶおかしなことを言ってるんです。」と家族。

そりゃそうです。
うんち出ていなければ、どんどんアンモニアも上がりますから、ますます変なことになってきます。

でも、だからといって強制的に何かすることもできません。
せいぜい、緩下剤を水液にする程度だと思います。

こんなことは日常茶飯事なわけで、いやはや「「しょうがないよね。」と言いながら、なんとか取り付く島を探すのも訪問看護というわけです。

認知症独居老人と訪問看護

2013-06-22 14:17:16 | 訪問看護、緩和ケア
核家族時代ですから、どうしても独居の高齢者は増えてきます。
最初の頃はなんでもご自分ででき、判断も出来ていて、大きなトラブルもなく過ごしていても、あるときから「あれれ??」と思うような言動がでてきて、ちょっとしたきっかけで、あとはもう急速に認知症状が進んでしまったりします。

でも、基本みなさんご自分が認知症だとは思っていないので、周りの干渉が鬱陶しくなり、下手をするといろんなサービスの拒否に繋がったりします。

とはいえ、そこは古き良き日本。

向こう三軒両隣、とはよく言ったもので、近隣の方々がいろいろ気にかけてくださって、声をかけたり様子を見てくださったりで、とても助かったりします。

ただ、場合によっては、それがトラブルのもとになることもあって、そういう近所付き合いをうまく活用できるかどうかで、安全・安心度が大きく変わってきたりします。

昔から良い関係で、買い物に声をかけてくださったり、何気なく様子を見てくださる方がそばにいると、本当にありがたいなと思います。
でも・・
時々出会うのは「ちょっと、ちょっと、おばあちゃんどう?何かあった?どんなことになってるの?うちもね、困るのよ。火でも出されたらさぁ・・。」なんてことを言いながら、家の中を興味本位で覗いてくる方。
さらに、根掘り葉掘り情報を聞き出そうとしたり、噂話を教えてくれたり・・。

私たちは、そういう話には一切乗りませんから、「ありがとうございます。ご心配いりませんので、大丈夫ですよ。」とかわしたり、なかなか対応が難しかったりします。
時に「火事でも起こさらたら困る!家族はなんで一人にしているの?施設とかないの?」なんてこともあります。


でも、近所の人の援助はやっぱりありがたいもの。
そういうインフォーマルなサービスをうまく使って生活できている人もたくさんいるので、関わる私たちもそこにうまく同調していければ、地域としての支援が確立できるのだとも思います。

たとえば、信仰している宗教団体が、通院や転倒時の介助なんかをしてくれるところもありますよね。
青年部みたいなのを作って、信者同士の助け合いしている人たちもいました。
うちも近所の教会も、牧師様が民生委員を長いことやっていて、ずいぶん独居の老人の面倒を見ていました。

同じような感じで、信仰している教会の人が、よく面倒を見てくれている患者さんがいます。
高齢で足も悪く、このところの認知症状の進行はかなり激しくて、周囲もかなり振り回されています。
サービスも勝手に断ったり、好き勝手にあちこち病院に行ったりと、ケアマネも行政も担当看護師もかなり困っている状況です。
そんな中、約束の訪問日に訪問すると、今まさにお出かけ直前の状況で「あんた、何しに来たの?あたしこれから出かけるから、お風呂なんて入らないから帰ってよ!」と言われてしまいます。
「え?今日はお約束の日ですよ。」「いや、これから病院に教会の先生が連れて行ってくれるからいいわよ。」
「お医者さんは、往診の先生になったから、行かなくてもいいんですよ。」「だって約束してあるのよ。今日は○×日でしょ?」
「いいえ、今日は××日ですよ。」「え?○×日じゃないの」「いいえ、××日」
「・・・。今日は何日?」「××日ですよ。ほらカレンダー」

そんな会話で時間が経っていくなんてことは、日常茶飯事です。

電話で確認しようにも、かなりの難聴で電話での会話はさらに成り立たず、訪問してはたびたびこんな会話になってしまうのです。

こうなれば、こちらから教会に連絡して、支援体制をこちらと協調していただけるようにお願いするしかなさそうです。

支援はありがたいけれど、やはりそこは連携していただきたいものだと思います。

さて、どういうルートで連絡したらいいかな、それが明日の課題です。

またまたターミナルの介護申請について

2013-06-20 23:19:46 | 訪問看護、緩和ケア
ずいぶん前にも触れたことがありますが、ターミナルの患者さんの認定について、いつも首をかしげてしまいます。

介護保険は病気で判断するのではないので、例えば脳梗塞の後遺症で麻痺があって、そのために生活に支障があれば介護度としてついてくるわけです。
こういう場合、重篤な疾患は現在は全くなくても何ら関係はありません。

認知症があっても、とりあえずADLが自立していて、介護の時間を取られるような周辺症状がなければそれも介護度にはあまり反映されません。

要は、人の手をかけて介護する上で、介護にかかる時間を計算して、ロジックに従い1次判定をするわけです。

そうは言っても、実際は見えないところで介護の手はすごくかかったりして、判定にそれが全然反映されないこともあるため、認定審査会では特記事項や医師の意見書と照らし合わせ2次判定を出すわけです。

だから、特記事項として、現実困っていることをしっかり記述してあると、そこで1段階ぐらいはアップダウンすることになります。

でも、これもある程度イメージした時に機能的な問題があることが前提になりますから、認定調査時のADLがなんとか自立していれば、介護度は低く設定されます。
あくまでも、機能と認知力が判定基準だから致し方ないのですが・・。

とはいえ、ターミナルの患者さんの申請をするときには、いつもながらそわそわしてしまうのです。
特に2号被保険者(市町村の区域内に住所を有する40歳以上65歳未満の者であって、各健康保険等に加入している者)のかたは、まだ若いので認知力は問題ありませんし、自律も強いためにどんなに辛くても、這ってでもトイレに行きますし、ギリギリまでシャワー浴などもこだわります。
どう考えても、どこにそんな体力と気力が残っているのだろうと思うくらい、排泄や清潔に関しては、ギリギリまで委ねられなかったりもします。
自分に置き換えれば、当然ついこの間までみんなと同じように日常生活を送れて、トイレも食事も入浴も更衣も出来ていたわけですから、急に下の世話になったり、裸を晒すようなことをしたくないのは当たり前です。

家族に抱えられて、亡くなる朝までトイレに通っていたかたはたくさんいらっしゃいます。

機能的に障害があるわけではないので、関節の拘縮などもないですし、足が動かないわけでもないわけですから、そこはまったく関係なく判定されます。
それに、調査時は比較的元気でも、その進行の度合いから審査会にかけられる1ヶ月後くらいには、既にベットから起きられない状態の時もままあります。
それどころか、調査の翌日には亡くなっていることさえあるのです。

それじゃあ何のために2号被保険者にがん末期を入れたのかわからないじゃないの??と思うことしばし。

だって、「機能は問題ないから、病名では取れないから、調査からひと月以上経っているけど、要支援ね。」っていう話で、必要なサービスを使えないのなら、残り僅かな時間のために介護申請する理由がわかりませんよね。

国の言いたいことはわかるけど、現実問題がん末期の申請を許可するのなら、その特殊性を考慮できる何かが欲しいなと思います。
こうなうると認定審査会の委員の考え方で、かなり最終の判定が変わってくるような気がするのです。

一番必要なのは、きちんと問題を明確にして、予後予測や早期に起こりえる病状の悪化、それに伴う介護力の必要性まで書かれた意見書です。
次に、申請書類にきちんと使ってるサービスや、必要とするサービスを記入し、調査員には、困っている事実をきちんと伝え、特記事項にわかりやすく記入することでしょうか。
もし、家族関係や在宅療養上に問題があれば、申請時に行政の担当者に相談をしておくことも必要だと思います。
この手間を惜しむと、全く誰の注意も惹かず1次判定結果のままに終わってしまうことがあります。

不要な申請は避けるべきですし、介護度が上がればいいってもんじゃないけれど、独居で終末期で強い在宅希望なんかがあると、前倒しでサービスをどんどん入れなきゃならないこともあるので、医師にも声をかけ、周囲にも声を上げて周到な申請が結果につながります。

うちは居宅介護事業所でもありますが、支援のプランは立てられません。
病院から「この人は絶対に介護度が付きますから、ケアマネごとお願いします。」と言われて、さんざん動いて「2ヶ月後に要支援でした。」なんてことも経験していますので、とても慎重になります。

ケアマネさんによっては「申請中ですから、怖くてサービスをあまり使えません。最低限度で入れますね。」なんて言っているうちに、サービスを使いこなせず亡くなられてしまうこともありますから、それも避けたいものですね。

そんな攻防を繰り返しつつ、訪問看護ステーションの介護申請は行われているのです。

伝わらない悔しさ。

2013-06-19 22:25:05 | 訪問看護、緩和ケア
長く関わっていて、一生懸命向き合って来た担当ナースが、日々の問題点をピックアップして、最近の問題をステーション内で検討したとき、それをどうしたらうまく周囲に伝えるのことができるのか、とても悩むことが多くあります。

長い関わりの中で、患者さんの置かれている状況も、患者さん自体の状態も少しづつ変わってきます。

自分ではなにもできず、チューブ類につながれていた状況から、地域で作ったチームの懸命の支援体制と、もちろん本人の頑張りで、びっくりするほど回復して、食事も食べられるようになり、もちろんチューブ類もとっくの昔に抜去して、往診ではなく電車に乗っての通院までできるようになる・・・。

ここまで聞けば、大成功のケースなのだけれど、実際にはその後だっていろいろなことは起こってくるのです。

回復して自立度が増せば、必然的に介護度は下がります。
実際は、ここからが問題になってくるのです。

今までたくさんの人が毎日訪れて、あれこれと世話をやき、心配して声をかけてくれていたものが、ある時期から突然自立を強いられるわけですから、本人の不安や負担は膨れ上がります。

だからこそ、徐々に自分で出来ることを増やしながら、自立した生活への準備を進めてきたのです。
案の定介護度はどんと下がり、それによって使えるサービスは激減するのです。

今まで毎日入っていたヘルパーも減ります。
訪問入浴は中止となり、訪問看護は生活支援のために30分に減らしました。

最初は何とか頑張っていても、やがて一人の時間を持て余すようになり、大好きだったお酒に手が伸びるようになります。
すると、飲んで寝てしまうので食事が取れません。
目が覚めれば、酔いの残った体では、ただでさえ面倒な食事の温めもしなくなり、また飲んで寝てしまいます。
すると、時間の観念はだんだん失われ、受診の日も忘れ目が覚めれば昼をとっくに過ぎている・・。もちろん薬なんて飲めません。
毎回、飲まなかった薬が山のように残ります。(この医療費はどこから出るのでしょうか。)

訪問に行くといつもまだ寝ていて、起こすと酒臭い息のまま、「淋しいんだよ。」と泣いたりすがったりすることが多くなってくるのです。

トイレに行くのも面倒なので、ポータブルトイレに排尿し、それを捨てることもなく朝までにあふれる寸前のバケツを、ヘルパーさんに捨てさせるのです。
ゴミは、ビールの空き缶でいっぱいになっていて、それを片付けるのもヘルパー任せになります。

こんなことを支えるのが自律を支援することなのか。

高齢になり、認知力もどんどん低下して、会話する相手もいないさみしさの中で、いくら自立しなさいといっても、それは難しいことです。
ましてその年まで、好きなようにその日暮しをされてきた背景があればなおのこと、支援の仕方はもっとほかにあると思うのですが・・。

伝わらないのです。

残念なことに。

あげく「管理するのではなく、支援しましょう。」と言われてしまった担当ナースは、もう本当にあんぐりですしがっかりです。
誰が管理をしようとしたのか。
「管理する。」と「支援する。」の意味は、言われなくても十分わかっています。

当の本人は、担当者会議で人が集まってくれて、それは上機嫌だったのでしょう。
「大丈夫。まだまだやれます。僕だって、いろいろ考えていますから!」と胸を張っていたそうです。

そうして決まったのが「区分変更」
区分変更をして、また人をたくさん増やすのだそうです。
再び往診も始まります。

でも・・お酒さえ飲まなければ、電車に乗って通院できます。
着替えもトイレも全部できます。
毎日ビールを買いに行けます。お弁当も買いに行けます。

独居で淋しいから、お酒を飲んじゃうから、それで低栄養になったから区分変更。

理解しがたいのは、私たちだけでしょうか?

ひとつの提案として、私は考えました。
声かけをすれば出来る人です。
話し相手が欲しいのです。
食事も声をかけて、一緒に食べてくれれば、美味しく食べれらます。
だれかの面倒も少しは見られて、自己の存在価値を見いだせれば、きっとまだまだ人生を楽しめるはず。

軽度の認知はあるけれど、ADLは自立しています。

質の良いグループホームの選択肢はどうでしょうか?

私たちは在宅療養の専門家です。
だからといって、在宅だけが全てではないと思っています。
適材適所。
家にいることを強く願い、確固たる信念のもとに在宅を希望されるのであれば、もちろんそれを支えます。
けれど、彼はみんなが帰ったあとに、「グループホームっていうの?見学に行ってみようかな。ずっと家なんて思ってないよ。」と看護師に言ったのです。

それをさっき言ってよね。

なんでうまく伝わらないのかな。
管理がしたいわけじゃないってこと。
支える意味が違うってこと。

あいーと 試食2!

2013-06-16 23:24:29 | 訪問看護、緩和ケア
「あいーと」を紹介したい患者さんがいて、ついでに最近出たメニューも試食用として送ってもらいました!

今回の試食はこれ。

そして、メイバランスのデザートムースも作ってみました。


これは、牛乳を入れて混ぜるタイプ。

こってりムース、これで2パック分。
味は、まあまあ・・かな。

あいーとは、お魚が美味しいです。

 鯖の味噌煮
鯖が好きな人にはいいかも。わたし的には、鯖特有の生臭い感じがしましたが、お魚感はしっかりしています。

この赤魚系はすごく美味しい!
生臭味もなく、味がしみていてお魚の味もしっかりしています。
添えてある栗も、すごく柔らかです。

これは豚の角煮。
ちょっとレバっぽい感じ。とても柔らか。

オカズの定番肉じゃがは、確かに肉じゃがって感じですね。
          
見た目も味も肉じゃがそのものですが、グリンピースまで舌で潰せます。

球麻痺などの嚥下障害の患者さん以外でも、十分食事を楽しむことができます。
量的には少ないように感じますが、そもそも食事量の少ない方がほとんどなので、1回食べきりサイズとしては適量なのかもいれません。
オカズの足りない人は、他の物と合わせればいいとおもいます。

値段的には300円後半から500円ぐらいとお高めですから、週に2回だけとか3日に一回だけとか、好きなオカズを頼んで食事を楽しまれるのもいいかとおもいます。

消化管の通過障害で、少ししか喉を通らない方も、時々楽しんでいます。

将来的には、もっと価格を下げて欲しいものですが、形があるものを食べるという満足感には変えられないものもありますね。


どうして入院できないの?!

2013-06-13 22:56:20 | 訪問看護、緩和ケア
タイミングよくいろんなことがスムーズにつながる人と、どんなに頑張っても、どうもうまく歯車が噛み合わない人がいて、その歯車をなんとかうまく噛み合わせようと、現場ではみんな四苦八苦しています、

たとえどんな病状でも、導入時点からトントン拍子に在宅医につながり、必要があればすぐに病院にもつながって、連携がスムーズにとれる。
こういうパターンは、動いている私たちも、気持ちが上向きで支援も楽しいのですが・・・

「どうしたらいいかわからない。病院にも入れてもらえず、途方に暮れています。」

そんな相談を受けて話を聞くと、今までも何回も救急搬送されては、あちこちの病院をたらい回しにされていることがわかりました。

ご本人は全身状態もあまり良いとは言えず、あげく転倒してひどい圧迫骨折をしていて寝たきり状態でした。
近くの開業医の先生が、好意で毎日点滴をしに来てくれています。

なんでこんな状態で入院できないのかな・・?

主治医が情報提供書を持たせ、大きな病院にやっとのことで連れて行っても、なんだか適当にあしらわれて帰されてしまいます。
私たちが関わりだしてからも、どんどん病状は悪化していて、連携室を介して救急搬送をしても、やはり処置だけして帰されてきました。

もう、1週間ろくに食べられていないし、ひどい血尿や腹痛もあり、ここ数日で傾眠状態にまで悪化してしまいました。

どんなに手を回しても、帰されてしまう・・。

このままでは危険です。
もう赤信号がずっと点滅しているのに、なんで入院できないのか。

大きな病院は、それぞれの科で別々にひとりの人間を見ます。

血尿は泌尿器、圧迫骨折は整形、肝機能障害は消化器内科・・・

それぞれの科は、その部分しか診ようとしません。
専門性が高まれば高まるほどに、人間の体をパーツでしか見ていないように感じます。
もっと全身を診て欲しい。
パーツで生きているわけじゃにんだから。

この1週間で2回も救急搬送されているのです。
いくつもの疾患で悪化しているのです。

「このままでは死んじゃいます!」「なんとかならないの?」

ただ情報提供書を書くだけじゃなくて、本当は主治医からも電話して欲しいのだけれど、そういう対応は慣れていないようで、結果すら自分で確かめてはくれません。
その情報はこちらで連携室から聞いて、それを先生に伝える状況では、全身管理も難しい。
同じような状況で、毎回なんでもないと言われ、結局全身の骨転移だった患者さんを思い出します。

それでも今日やっと、在宅支援診療所に繋げることができました。
事情を話し、あすには訪問診療を開始してもらえます。
とてもマメな先生なので、きっと総合的な判断をして、病院に繋げてくれると思います。
悪循環をまずは断つことで、リセットしたいのです。

ドクターショピングに困る。

2013-06-12 22:47:56 | 訪問看護、緩和ケア
世の中には、あちこちのお医者さん巡りが好きな方が結構いるようです。

お友達のAさんが「あそこの○×クリニックの先生がいいわよ。」といえばそこに行き、お隣のBさんが「いやいや、どこそこのバッテン大学病院が絶対いいわよ!」といえばそこに行って薬をもらう・・

そんことをしているうちに、どこの先生が責任をもって見てくれる先生なのかが、わからなくなってしまうのです。

家に行くと、何箇所もの病院からそれぞれの訴えに対応した薬が出ていて、何をどう飲んでいるやら、全くわからなかったりします。

特に独居の高齢者は、体調の変化に対しての不安が大きいので、そうなりがちなのかもしれません。

S子さんも、そんなふうにあちこちのクリニックを回っていました。
もともとかかっていた病院は遠くて、最近ではそこには行かずにタクシーで気の向くままに受診をしては、その中から気に入った薬だけを飲むという生活をされたいました。

なにしろ、90代でしっかりものだっただけに、周囲の意見は聞きません。

でも、ここ半年すっかり体力も落ち、転倒をくりかえし、食事も取れない事が有り、自分ではどこにも行けなくなりました。

呼吸も時折ゼーゼーしているし、何度もおすすめしている在宅往診医をやっと了解してくれたました。

薬は本当に思い込みで好きな時に飲んでいたため、数箇所から似たような効能の薬が出ているし、その薬も指示通り飲んでいないので、残数もバラバラ、ふるーい薬も混ざっています。

担当ナースが、何度も薬を整理させて欲しいとお願いしても、自分で飲めるから大丈夫と、頑として触らせてくれませんでしたが、今回は新しい先生が来るので、全部見せてくれました。


往診医が、「これからは、僕が全部薬を用意しますから、なにか欲しかったら僕に言ってくださいね。」と話し、ケアマネから「これからは、全部先生が見てくださるので、誰かに頼んで一人でどこかの病院に行ったりしないでね。ちゃんと教えてくださいね。」と言われて、頷いていました。

最近めっきり忘れっぽいS子さんですが、声をかけながら安全に穏やかに、大好きな我が家で暮らせるように、見守っていければいいな・・と思っています。

主治医で困ること

2013-06-07 23:43:31 | 訪問看護、緩和ケア
訪問看護の現場で困ることのなかに、主治医との連携が取りづらい、または取れないという問題があります。

どういう時に取れにくかといえば、一つは大きな病院が主治医で、間に連携室などが関わってもらえないときです。
そしてもうひとつは、開業医さんだけあちこちかかっている時でしょうか。

病院連携室は、おもに入院中の患者さんの退院支援をされているので、外来しかかかっていない患者さんの把握までは到底難しく、場合によっては「直接外来に言ってください。」で終わってしまうこともあります。

ご家族がうまく必要なことを聞ければいいのですが、ご高齢であったり、先生の説明がわかりにくかったりすると、全く生活の中で困っていることや問題になっていることが伝わらず、やっとこさ受診してもなんのコメントもなく帰ってきたりするのです。
「先生なんて言ってました?」
「なんにも言ってませんでしたよ。」
「なんか色々言われたけど、何言ってんだかわからなかった。」

・・・

事前にFAXを送ったり、手紙を持たせたり、四苦八苦して連携しようとしても、これがなかなか難しくて。
薬が飲めないのに、薬が増える。
インシュリンが射てないから血糖値があ上がるのに、インシュリンが増える。
痛いのに鎮痛剤が出ない。
ちゃんと診て貰いたいのに「近所の先生が診ているならそれでいいんじゃない。」

こんなことは日常茶飯事です。

ケアマネさんがよく受診についていきますがこれも限度がありますよね。

家族は全部おまかせで、ケアマネさんが受診の手配から付き添いまでして、病院もそのほうが話が通じるから、「ケアマネさんと来てくだい。」って言ったりする。

でも、ケアマネは家族じゃないし、ほかにもたくさん利用者を抱えていて、毎回みんなの受診ににつきそうなんてできません。

たとえば、ヘルパーが付き添えば通院介助料金を請求できます。(介護保険でも実費でも。)
でも、ケアマネは半日受診に付き合っても報酬はありません。
ケアマネは毎月国から支払われる一律の報酬だけですから、動けば動くほどボランティア状態です。
それでも、ケアマネたちは必要に迫られて動くのです。

そういう現実の中で、医師との連携がもっとスムーズに行けば、こんなことは不要になると思うのですが・・。

でも、患者さん側にも問題はあって、ドクターショッピングを繰り返されてしまうと、誰が主治医で誰が今の状況を一番把握しているかもわからないのです。
とりあえず最近行っているドクターに聞いても、「僕は主治医じゃないよ。ほかにかかってるんでしょ?」と言われてしまったりします。

どうしたら、この現場のごちゃごちゃを改善できるのでしょうね。
まだまだ時間はかかりそうです。

ところで、あすは一泊二日での社員旅行です。

年に一度のスッタッフとの羽伸ばし旅行なので、楽しんできたいと思いいます。

緊急一番さんは、残念ながらお留守番ですが、お土産たくさん買っていきます。

いってきマース( ´ ▽ ` )ノ

監禁事件って・・・

2013-06-05 23:25:33 | 訪問看護、緩和ケア
昨日だったと思いますが、神戸の介護事業所と居宅支援事業所が、認知老人を監禁したとして、営業停止になりましたよね。
ちょっとびっくりな見出しでしたが、やはり徘徊老人だったようです。

たしかに、徘徊で行方不明になったり、自動車事故に巻き込まれたりというリスクはかなり高くて、多くはご家族が鍵をかけられたりしています。

今回は、ケアマネが言い出して、介護事業所がそれを実行していたようですが、問題は家族にも近親者にも了解をとっていなかったことでしょうか。
了解を取ったからやっていいかといえば、それもまた問題ですが、それじゃあほっておいて事故にあったり近隣の方にご迷惑をかければかけたで、またクレームが来たりするわけです。

全国的にみても、認知症のご夫婦や独居老人は増えていると思われます。

そういう方々を、どうすれば人権を損害することなしに支援できるか・・
とても難しい問題です。

外から鍵をかけるのは人権侵害で、嫌がる老人をすぐに施設に入れてしまうのは、人権侵害じゃないのでしょうか?

なんだかよくわかりませんね。
だからといって、この事業所やケアマネを養護するつもりは毛頭ないし、考えればご利用者の家に勝手に外からチェーンをかけるなんていうのは、ありえませんよね。

じゃあ、家族ならいいのかっていうのも、人権を訴えるのであればおかしいですよね。
家族でも、虐待は虐待です。
でも、実際には何十にも鍵をかけたり、大きな靴箱でブロックしていたりということも、昔を振り返れば経験しています。

じっさい、徘徊による問題はとても大きくて、夜中に高速道路歩いたり、毎日スーパーからお金を払わないで持ってきたりと、そのあと始末をするご家族は疲弊してしまいます。
わからないもの、どうしようもないわけで、身体的な危険を回避するために、最終的には拘束衣を着せたりすることもあるわけです。
特に病院では点滴を抜いたり、傷をかきむしったりする危険がれば、ご家族の同意書をもらって、拘束することもありますから、今回は無断でやったというこことが処罰対象なのでしょうね。

実際のところどのくらいの認知で、どのくらい危険な徘徊行動をとっていたのかはわかりませんので、何とも言えませんが、無理やり押し込めるよりは、安全を確保しつつ一緒に散歩するなり、通所を利用しながら、近隣の支援も求めるなど、ほかにやり用がなかったのかな・・と思います。
また、事業所内でのカンファや事例検討などで、こんなことをしていたら注意する人がいなかったのかも疑問です。
それほど、この行為に対してなんの違法性も感じていなかったとしたら、これはケアマネ以前の問題です。

それにしても、いつものケアマネやヘルパーさんがいなくなって、現在この方はどんな支援がされているのでしょうね。
それがちっと気にかかります。


わけがわからない日々もある。

2013-06-01 23:35:52 | 訪問看護、緩和ケア
訪問看護の管理者も、だんだん長くなるにつけ、いろんなことが起こってきます。

何が何だかわからないような、ありえないようなアクシデントに巻き込まれることもあり、ここ数日は帰宅しても何も手につかない状態でした。

それでも、時間はいろいろな混乱をほぐし、なんとか解決の糸口が見つかりました。

人と人との出会いは、多くの感動や喜びをもたらしますがが、それと同時にあらゆるアクシデントや、トラブルにもなる可能性を含みます。

いいことばかりではない訪問看護の現場ですが、それでもなお魅力的な現場でもあります。

その中で、自分はどこまで冷静でいられるのか。
自分の一挙手一投足が、あらゆる混乱を解決もすれば、増長を招くこともあるということを、身をもって経験することが出来ました。

また一つ、ステップアップできたのだと信じて、改めて明日を迎えたいともいます。

ちなみに、在宅現場はますます厳しい状況になっています。
訪問看護ステーションの乱立、新しい事業の参入、病院もそれらに参入してきていますので、これからは逆に淘汰されるステーションも増えていくのではないでしょうか。

うちがそうならないという保証はないわけで、これからの時代にどうマッチさせていくのかは、日々考えないといけませんね。

私はといえば、スライドを新たに二つ並行して作らなければならず、合間に大学のスクーリングもWeb試験も受けないければいけません。

夫が単身赴任をしている今、ポイッと夫にあとを任せて出かけることもままならず、私の24時間は見事に一瞬過ぎ去っていくのです。
しかも、この頃はめっきり持久力も体力もなく、集中力はさらに低下して、短期記憶は相当危ない状況になっています。

さて、来週は何から手をつければいいのだろう・・
優先順位を間違えないように、ひとつずつ課題をクリアしないと、道に迷ってしまいそうです。

そうそう、そんな中でもうららとの散歩は、唯一私の癒しの時間です。

このところ夕方の日が伸びて、水辺公園をよく歩いていますが、そこでフレンチブルドッグ仲間と度々会うことがあります。
フレンチブルドッグって、いないようで結構いることが分かり、なんだかとても嬉しくて、今日もお友達に会えないかな??と思いながら歩いています。

最近出会ったフレンチブルドックのだいすけくん。
フレンチブルドックは体の模様でホワイト・ブリンドル・バイト・フォーンなどがあるようで、うちのうららは黒に茶色の毛が混じっていて、お腹、足先、眉間に白が入っているので、ホワイト&ブリンドルという柄です。
お友達になた男の子は黒と白がはっきり分かれていて、バイトと呼ばれます。
フレンチブルドッグには、真っ黒はいないそうですが、バイトの子の黒いブチの部分は、本当にきれいな真っ黒です。
どちらにしても、お友達がいてうれしいです。



というわけで、ちょこちょことサボりますが、よろしくお願いします。