あっというまに、11月も半ばに・・・。
毎日時間に追われて、余裕のない暮らしは同様ですが、その中にあっても、たくさんの人と出会い、たくさんの人と別れて行かなくてはなりません。
そう、みなそれぞれの物語を自分で紡ぎ出すように、静かに完結させていくのです。
終末期のケアの話には、必ず「選択」という言葉が出てきます。
選択とは、自分で選ぶことですよね。
自分の最後を、自分で選ぶ。
それがどんなことなのか・・。
まだ自分自身のこととしては、とてもイメージできそうにありません。
それでも、私はその選択のお手伝いをしなくてはならないし、その選択をも守らねばなりません。
自宅では、医療機器も多くはありませんし、在宅で出来うる医療処置も、決して強制するものではありません。
病院であれば、点滴と酸素くらいは、最低でも行われるのでしょうが、それも選択できるのが在宅です。
全身の浮腫と、急激な病状の悪化のなか、薬で朦朧とする意識の中、下顎呼吸が始まったMさん。
ヘルパーさんの報告で駆けつけると、苦しそうな呼吸状態の中、彼は思いのほか穏やかな表情で目を閉じていました。
もう、残された時間が少ないことはひと目でわかりましたし、血中の酸素飽和度を測るパルスオキシメーターの値は、80%を切っていました。
そんな彼が、ふと目を開けました。
「Mさん、呼吸苦しくないですか?酸素入れることできますよ。酸素してもらいましょうか?」耳元で、そう声をかけると、彼はしっかりと首を横に振ったのです。
「酸素は、嫌ですか?」
彼は首を縦に振りました。
そのまま見開いた目を、「もう、目を閉じていいですよ。眠りましょう。」というと、彼はゆっくりと目を閉じて、深い眠りに入っていきました。
顎を上げて、喘ぐように呼吸をしている彼は、すごく苦しいのではないかと思ったのですが、はっきりと彼はそれを拒みました。
でも、その表情は、眉間にシワもなく、穏やかでした。
そうして、彼は点滴も酸素も希望することなく、家族の見守りの中静かに旅立っていきました。
小さなことの一つ一つが、叶えられればいいと思います。
全部が全部叶えられなくても、家だからこその選択が出来たらと思います。
家にいること。
家族と、一分一秒でもそばにいたいと願う人がいます。
多少のリスクは覚悟の上でも、1分でも早く家に帰して欲しいと懇願される方がいます。
そうであれば、その手配を病院とのあいだに立ってすることが私の仕事です。
半年前に、息子を亡くした母がいました。
母ひとり、子一人の親子でした。
母は、自分も末期のガンに犯されていました。
その母は、自宅で死ぬことを強く望み、自分のこれからのこと、自分が逝ったあとのことも、すべて考え、手配をしていました。
やがて、病気は進み、あと数日かもしれないというある日、担当の看護師がこう切り出しました。
「Aさん、こんなことを聞いてごめんなさい。でも、お別れのあと、Aさんの思わない形で勝手に事が進んだら、きっとすごく嫌だと思うから。教えてくださいね。」と。
お別れのあとのお手当を、彼女は看護師に委ねました。
「Aさん、何を着て行かれますか?」
「そのタンスを開いて頂戴。そこにあるワンピース。それを着せて欲しいの。」
「素敵ですね。」
「それね、息子の幼稚園の入園式の時に着たの。そのあと、中学も高校の入学式も、それを着ていったのよ。」笑顔でそう話してくれたそうです。
大切な時にだけ着た、思い出のいっぱい詰まったワンピースだったのでしょう。
「それなら、息子さんもすぐに見つけてくれますね。」
彼女は終始笑顔で、あれこれと思い出話をしてくれたそうです。
自分の死装束を選ぶ患者さんは少なくありません。
今までにも、そうしてご自分の選ばれた服や着物を着て、旅立たれたかたはたくさんいます。
「生きている時に、自分の死装束を選ばせるなんて、なんてこと。」
と思われるかもしれません。
けれど、その方の生き方を見せていただいているうちに、今この時なら、きっと普通に話ができるだろうと、私たちにはわかります。
いろんな背景があって、それぞれの生き方があるし、それぞれに自分の死の受け止め方があると思います。
その方のそばにいいることで、そのタイミングを逃さねいようにできれば、もっともっと本音で話ができるのかもしれません。
毎日時間に追われて、余裕のない暮らしは同様ですが、その中にあっても、たくさんの人と出会い、たくさんの人と別れて行かなくてはなりません。
そう、みなそれぞれの物語を自分で紡ぎ出すように、静かに完結させていくのです。
終末期のケアの話には、必ず「選択」という言葉が出てきます。
選択とは、自分で選ぶことですよね。
自分の最後を、自分で選ぶ。
それがどんなことなのか・・。
まだ自分自身のこととしては、とてもイメージできそうにありません。
それでも、私はその選択のお手伝いをしなくてはならないし、その選択をも守らねばなりません。
自宅では、医療機器も多くはありませんし、在宅で出来うる医療処置も、決して強制するものではありません。
病院であれば、点滴と酸素くらいは、最低でも行われるのでしょうが、それも選択できるのが在宅です。
全身の浮腫と、急激な病状の悪化のなか、薬で朦朧とする意識の中、下顎呼吸が始まったMさん。
ヘルパーさんの報告で駆けつけると、苦しそうな呼吸状態の中、彼は思いのほか穏やかな表情で目を閉じていました。
もう、残された時間が少ないことはひと目でわかりましたし、血中の酸素飽和度を測るパルスオキシメーターの値は、80%を切っていました。
そんな彼が、ふと目を開けました。
「Mさん、呼吸苦しくないですか?酸素入れることできますよ。酸素してもらいましょうか?」耳元で、そう声をかけると、彼はしっかりと首を横に振ったのです。
「酸素は、嫌ですか?」
彼は首を縦に振りました。
そのまま見開いた目を、「もう、目を閉じていいですよ。眠りましょう。」というと、彼はゆっくりと目を閉じて、深い眠りに入っていきました。
顎を上げて、喘ぐように呼吸をしている彼は、すごく苦しいのではないかと思ったのですが、はっきりと彼はそれを拒みました。
でも、その表情は、眉間にシワもなく、穏やかでした。
そうして、彼は点滴も酸素も希望することなく、家族の見守りの中静かに旅立っていきました。
小さなことの一つ一つが、叶えられればいいと思います。
全部が全部叶えられなくても、家だからこその選択が出来たらと思います。
家にいること。
家族と、一分一秒でもそばにいたいと願う人がいます。
多少のリスクは覚悟の上でも、1分でも早く家に帰して欲しいと懇願される方がいます。
そうであれば、その手配を病院とのあいだに立ってすることが私の仕事です。
半年前に、息子を亡くした母がいました。
母ひとり、子一人の親子でした。
母は、自分も末期のガンに犯されていました。
その母は、自宅で死ぬことを強く望み、自分のこれからのこと、自分が逝ったあとのことも、すべて考え、手配をしていました。
やがて、病気は進み、あと数日かもしれないというある日、担当の看護師がこう切り出しました。
「Aさん、こんなことを聞いてごめんなさい。でも、お別れのあと、Aさんの思わない形で勝手に事が進んだら、きっとすごく嫌だと思うから。教えてくださいね。」と。
お別れのあとのお手当を、彼女は看護師に委ねました。
「Aさん、何を着て行かれますか?」
「そのタンスを開いて頂戴。そこにあるワンピース。それを着せて欲しいの。」
「素敵ですね。」
「それね、息子の幼稚園の入園式の時に着たの。そのあと、中学も高校の入学式も、それを着ていったのよ。」笑顔でそう話してくれたそうです。
大切な時にだけ着た、思い出のいっぱい詰まったワンピースだったのでしょう。
「それなら、息子さんもすぐに見つけてくれますね。」
彼女は終始笑顔で、あれこれと思い出話をしてくれたそうです。
自分の死装束を選ぶ患者さんは少なくありません。
今までにも、そうしてご自分の選ばれた服や着物を着て、旅立たれたかたはたくさんいます。
「生きている時に、自分の死装束を選ばせるなんて、なんてこと。」
と思われるかもしれません。
けれど、その方の生き方を見せていただいているうちに、今この時なら、きっと普通に話ができるだろうと、私たちにはわかります。
いろんな背景があって、それぞれの生き方があるし、それぞれに自分の死の受け止め方があると思います。
その方のそばにいいることで、そのタイミングを逃さねいようにできれば、もっともっと本音で話ができるのかもしれません。