都会で暮らすこと~by Match Box~

東京で暮らしていて、思ったことを勝手気ままに書いています。(by まっちばこ/JK1FBA/能登尚彦)

「文章」と「話し言葉で書いた文」

2006年09月26日 18時19分12秒 | 一般
先日、ある方から「話し言葉」そのままで書かれたメールをいただきました。

その内容は私の親しい友人に対する非難めいたものでした。(そのこと自体については自分のことでもありませんし、そう考えるのは勝手ですが、そのメールは私にとって極めて不愉快に感じるものでした)

この方はメールを送信する前にもう一度その文を読み返したのだろうか と疑いたくなるような「思いつきをパッパ」と書いているような文面でした。(読んだ人間がどういう感情で受け止めるかなどまったく考えていないと思われるものでした、もし考えていたとすれば怒らせようと思って書いたのでしょう。)

毎日ブログを書いていると、何度も読み返したつもりの文であってもupした時に読み返して誤字脱字があったり、意味が通りにくい文だったりすることに気がついて修正をしたりするのが日課のようになってしまっています。

言葉は時として人の心を刺したりします。でも、面と向かって話している「コトバ」 肉声が聞こえる状態での「コトバ」というものはある程度それを発した人の意図などが、その時の声の調子や表情で読み取ることが出来ると思います。
(悪意があるのかどうかもある程度は判断できるかもしれません。)

文になってしまったものというのはなかなかそれが伝わりにくいものでしょう。そしてどういう形であれ、何度も何度も読み返すことが出来ます。それだけに「曲解」をしてしまったものは、どんどんねじれてしまい元に戻すことは容易ではありません。もしかすると元に戻すことなど不可能なのかもしれません。

「話し言葉」をそのまま文にしてメールで送るのは「ケータイメール」ぐらいにしておかないととんでもない誤解を与えることもあるな と思ったここ数日でした。

ps:疲れているのはそのせいもあるかと思います。