隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その6・兼六園)

2024年12月16日 | 旅行記

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』  (その5・金沢城)  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/5822b42bf9687468eeaea5a4cc658ca1

 

旅の二日目、金沢城内を散策し、再び石川橋を渡り、次の目的地「特別名勝 兼六園 桂坂口」に着いたのが、午前10時35分頃です。

 

 


兼六園は、岡山の「後楽園」、水戸の「偕楽園」と共に “日本三名園” の一つと称される、江戸時代の代表的な林泉廻遊式庭園です。


延宝四年(1676)、加賀藩五代藩主前田綱紀(つなのり)が金沢城に面する傾斜地に別荘を建て、その周辺を庭園にしました。これが現在の兼六園の礎であり、当時は「蓮池亭(れんちてい)」と呼ばれていました。


金沢城の入場料は無料ですが、兼六園は320円の入園料が必要です。


城内を歩き廻って疲れていたので、入園して直ぐの場所にある、お食事・お土産処「寄観亭」に立ち寄り、ソフトクリーム 400円(税込)で、英気を養いました。

 

 


「霞ヶ池(かすみがいけ)」は、兼六園の中心部にある、約5800平方メートルの池です。眺める位置によって異なった様相を見ることができ、園内では一番大きい池になります。

 

 

赤戸室石の一枚岩の橋「虹橋(にじばし)」を渡ります。

 

 

橋を渡った先から見えるのは、右手に兼六園のシンボル「徽軫灯籠(ことじとうろう)」。片足だけを池の中に入れた二本足の灯籠で、高さは2.67メートル。前方にある虹橋を琴に見立てると、後方の灯籠が琴の絃(いと)を支える駒に見えるので、徽軫(ことじ=琴柱)と名付けられました。

 


中央奥が、「内橋亭(うちはしてい)」(赤矢印)。写真では分かりずらいかも知れませんが、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与えます。


左手に「蓬莱島(ほうらいじま)」(青矢印)。蓬莱とは、古代中国で仙人が住むといわれている蓬莱山(ほうらいさん)のことで、大きな亀の背中にある山と言われています。


池の畔に沿って歩くと、「唐崎松(からさきのまつ)」が出現します。第十三代当主・前田斉泰(なりやす)が、近江・琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てた黒松。

 

 


反対側にある「眺望台(ちょうぼうだい)」。海抜53メートルにあるこの場所からは、卯辰山や白山山系、能登半島方面が見渡せます。

 

 


並べられた11枚の石が、雁(かり)の列が飛んでいく様に見えることから名付けられた「雁行橋(がんこうばし)」(青矢印)。

 

 


その先では、冬の名物「雪吊り」の作業が、行われていました。

 

 


「霞ヶ池」を回り込み、「内橋亭」が良く見える場所に来ました。

 

 


池から離れ、日本で最初にできたと言われる噴水の前へ。霞ヶ池からの水圧だけで約3.5メートル上がっています。文久元年(1861)に斉泰が、金沢城内の二の丸に水を引くために試作させたと言われています。

 

 

 

★ 続きは、『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その7・近江町市場) で ★ 

 

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旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その5・金沢城)

2024年12月09日 | 旅行記

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』  (その4・金沢到着)  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/bf917c97e67441067a41dcc0ab777178

 

【2日目:10月31日(木)】金沢城、兼六公園など市内観光。富山県氷見市に移動、氷見温泉郷泊

 


旅の二日目の朝、宿泊先の「ホテルマイステイズ金沢キャッスル」で起床したのが、7時半頃。この日の金沢市内の天気予報は、晴れ。気温は、13~21℃と、絶好の観光日和です。

 

(写真は、前日撮影)


朝食は、1Fのレストランで、バイキング形式です。客室数が206の大型ホテルなので、レストランは多くの人で賑わっています。外国人観光客や、修学旅行生のグループもいます。


9時にチェックアウト。料金は、朝食・税・サービス料込みで、15,800円でした。ビジネスホテルとシティホテルの中間の様な同ホテル、観光シーズンなので、この価格でもやむを得ないですね。


金沢駅兼六園口(旧東口)に向かいます。キャリーケースを引いての移動ですが、徒歩3分程で、撮影スポットとして有名な、兼六園口にある「鼓門(つづみもん)」前の交差点に到着。

 

 


白江龍三氏設計の鼓門は、金沢の伝統芸能である能楽で使われる鼓をイメージしています。高さが13.7mあり、二本の太い柱に支えられた門構えは、荘厳的で圧巻です。

 


(写真は、前日撮影)


この日の第一の目的地「金沢城」を通る「城下まち金沢周遊バス」に乗るために、バスターミナル7番のりばへ行くと、既に長い行列が出来ていました。

 

 


それでも、最初にやってきた9時30分発の “右回りルート”(左回りルートは土日祝のみ運行)に乗車することが、出来ました。運賃は、均一で210円。全国共通交通系ICカードも利用可能です。


浅野川が流れる風情ある街並みで知られる「橋場町」を通り、「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所で降車したのが、9時50分前後。


「石川橋」の先には、重要文化財に指定されている「石川門」が見えます。天明八年(1788)に再建された、城の東に位置する重要な門です。

 

 


江戸時代は金沢城と兼六園を結ぶ土手の橋で、平成七年(1995)に架け替えられた石川橋を渡ります。

 

 


橋の上から、先ほどバスで通ってきた「兼六園下交差点」方向を望みます。

 

 


石川門は、四方を門と石垣で囲まれ、桝(ます)の形をした「枡形門」です。


最初に潜るのは、高麗門の「一の門」。

 

 


この石垣は、右と左で積み方が違います。右側は、“切石(きりいし)積” 。左側は、“粗加工(あらかこう)石積” となっています。同じ場所で違う積み方をした珍しい例で、明和二年(1765)の改修時のものと考えられています。

 

 


櫓(やぐら)門の「二の門」。

 

 


二の門を潜った先にある「総合案内所」で、「日本100名城」のスタンプを押印することが出来ます。

 

 

「日本100名城」とは、日本城郭協会が全国各地の名城探訪の手がかりとして 2006年に定めた日本の名城100選のことで、金沢城もノミネートされています。

 

 

尚、「日本100名城」の内、登城したことがあるのは、これでに29城になりました。詳細は、こちらの一覧をご参照下さい 

 

天候に恵まれたこの日、外国人観光客の姿も多く見かけます。

 

 


「三の丸広場」の先は、右から「菱櫓」、「五十間(ごじっけん)長屋」、「橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)」。

 

 


堀の脇を、「橋爪門」に向かった歩きます。

 

 


二の丸の正門に当たる橋爪門の「一の門」は、平成13年(2001)に現在の姿に復元されました。

 

 


一の門を潜り、後ろを向き撮影。

 

 


平成27年(2015)に復元された、「橋爪門二の門」。

 

 


二の門を潜りました。

 

 


「戌亥(いぬい)櫓」の石垣の一部は、元日の能登半島地震で崩落(赤矢印)したため、通行止めになっています。

 

 


城内を散策し、再び石川橋を渡り、次の目的地「兼六園」に向かったのが、10時30分過ぎです。

 


★ 続きは、『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その6・兼六園) で ★ 

 

 

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旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その4・金沢到着)

2024年12月03日 | 旅行記

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』  (その3・福井城跡)   https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/aef5f43d3010684f8a0ee33ddf06d496

 

旅の1日目、福井城跡の「御廊下橋(おろうかばし)」を渡り、城外へ出たのが、14時45分頃。

 

 

福井駅から北陸新幹線で金沢への移動は、指定席を予約していません。駅に到着後で一番早い列車に乗車しようと思っていたので、道を急ぎます。


駅構内のショッピングセンター「くるふ 福井」にある「松岡軒 くるふ福井店lで、土産用に福井名物 “羽二重餅” を購入し終わったのが、14時55分。


同駅15時03分発富山行きの「つるぎ26号」に乗車するために、駅舎2Fにある新幹線ホームへ駆け上がります。


自由席は、1号車と2号車なので、ホーム前方の乗車位置にたどり着いた頃に、「つるぎ26号」が入線して来ました。

 


 


始発の敦賀から終点の富山まで各駅停車で利便性が良いためでしょうか、予想していたより混んでいましたが、何とか着席することが出来ました。


金沢駅に到着したのが、15時39分。乗車時間が36分の旅でした。


今夜のお宿「ホテルマイステイズ金沢キャッスル」は、駅東口(兼六園口)から徒歩5分とのことです。


撮影スポットとして有名な、兼六園口にある「鼓門(つづみもん)」です。

 

 

白江龍三氏設計の鼓門は、金沢の伝統芸能である能楽で使われる鼓をイメージしています。高さが13.7mあり、二本の太い柱に支えられた門構えは、荘厳的で圧巻です。


Google Mapを頼りに、ホテルに向かって歩き始めたのですが、「堀河町交差点」を直進すべきところを、左に曲がってしまい、道に迷ってしまいました。


ホテルに電話して事なきを得たのですが、原因は「堀河町交差点」で分かれる道路がどちらも「県道200号」だったからです。交差点に、ホテルは直進の看板で出ていたら迷うことは、なかったでしょう。


金沢市此花町(このはなまち)10-17にある同ホテルにチェックインしたのが、16時10分頃でした。部屋数が206室の大型ホテルです。宿泊料金は、朝食付きで15,800円(税込)でした。

 

 


部屋で一時間ほど休息し、“金沢市民の台所” として親しまれている「近江町市場(おうみちょういちば)」に食事に出かけます。


今度は道に迷わない様に、ホテルフロントで貰ったmapを手元に、歩き始めました。


徒歩約20分で、同市場に着きましたが、約180軒あると言われる生鮮食品などを扱う小売店の殆どが時間外で閉店していました。

 

 


最近では、外国人を含む観光客で賑わっている市場ですが、元々は “金沢市民の台所” ですから、営業時間は早朝から遅くとも17時頃まででしたね。

 

 


数軒しか開いていない飲食店の中から雰囲気がある「近江町食堂」に入店することに決めました。

 

 

この時間、店内は食堂と言うより居酒屋のたたずまいです。

 

 


先ずは、“キリンラガービール小” 400円(税込)と、お通しの “たらこ” 200円(同)で、喉を潤します。

 

 


“刺身七種盛り 2人前” 2,580円(同)

 

 


“能登 カキフライ” 980円(同)

 

 


二杯目は、石川県白山市の地酒「菊姫」を飲みました。


大満足で同店を出たのが、18時50分頃。満腹で、もう歩くのがしんどいので、タクシーを拾い、ホテルに戻りました。


別館2Fにある大浴場で、一日の疲れを癒しました。本館から別館への移動は建物の外を歩くため、この日は、まだ寒くなかったから良かったのですが、冬は湯冷めしてしまいそうですね。


こうして、旅の一日目の夜が更けていきました。

 

★ 続きは、『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その5・金沢城) で ★ 

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旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その3・福井城跡)

2024年11月25日 | 旅行記

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』  (その2・永平寺)   https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/551a4b477be748d2a67d28ca7736dc0f

 

旅の1日目、福井県吉田郡にある「永平寺」の参詣を終え、「龍門」(正門)から境内の外に出たのが、12時半頃でした。


昼食は、ガイドブックに載っていた、龍門近くの “永平寺そば” で有名な「上街堂」で取ろうと、同店を訪れたましたが、臨時休業でした。そこで、店員さんにお勧めの店を聞き、「山侊(さんこう)」に向かいます。

 

 


土産物売り場を通り抜け、奥にある食堂へ。昭和の香りがします。

 

 


頂いたのは、“とろろそば”。“ごまどうふ” が付いて、900円のお代は、良心的ですね。

 

 


食事を済ませ、門前町の緩やかな坂道を下り、「永平寺門前バス停」から、13時30分発の「特急永平寺ライナー」に乗車します。運賃は、750円で、全国交通系ICカードを利用出来ます。


終点の福井駅東口に着いたのが、14時前後。駅構内の自由通路を通り抜け、西口の「恐竜広場」へ。


さすが、「恐竜王国福井」 。“フクイラプトル”、“フクイサウルス”、“フクイティタン”、“ティラノサウルス” が、鎮座しています。

 


 


迫力ある恐竜たちを堪能し、次の目的地「福井城跡」を、目指して歩き始めます。


ものの2分半ほどで、石垣が見えてきました。

 

 


「御本城橋」を渡り、城内へ。

 

 

福井城は、徳川家康の次男・初代福井藩主・結城秀康が、慶長11年 (1606) に築城し、約270年間17代にわたり越前松平家の繁栄の舞台となった名城です。築城当時は高さ37m・四層五階の雄大な天守閣が建っていましたが、寛文9年(1669)に大火で焼失してしまいました。


日本百名城」 には、ノミネートされていませんが、「続日本100名城」には数えられています。


「福井県庁」の脇を抜け、遺構として残っている「天守台」下に着いたのが、14時半頃です。

 

 

 

お堀の向こうには、歴史ある「福井市順化小学校」が見えます。こんな良い環境で学べる生徒は、幸せですね。

 

 


帰路は、「御廊下橋(おろうかばし)」を渡り、城外へ。

 

 


歴代の福井藩主が登城する際の専用橋として使われていた橋で、福井城の築城400年を記念して、平成20年(2008)に復元されました。

 

★ 続きは、『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その4) で ★ 

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旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その2・永平寺)

2024年11月16日 | 旅行記

旅行記 第45回 『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』  (その1・北陸新幹線乗車記) https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/5a4b7ddac2683cfc3b922a03a521f406

 


旅の1日目、福井駅東口の1番バス乗り場から、10時50分発の「特急永平寺ライナー」に乗車し、終点の「永平寺門前バス停」に到着したのが、11時18分頃。乗客の約半数が、外国人旅行客でした。

 

 


バス停の先にある「永平寺川」にかかる橋を渡り、直進します。

 

 


両側にみやげ店や飲食店が軒を連ねている、門前町の緩やかな坂道を上ります。


門前町の一番奥にあるそば処「てらぐち」に、外国人ツアー客が次から次へと入っていきます。

 

 


バス停から歩くこと5~6分、「龍門」(正門)に到着しました。

 

 


高さ四メートルほどの右の標柱には、「杓底一残水(しゃくていのいちざんすい)」という句が、左には「汲流千億人(ながれをくむせんおくにん)」の句が、刻まれています。ここから、境内に入ります。


当山は、寛元二年(1244)、道元(どうげん)禅師によって開かれた座禅修行の道場です。四方を山に囲まれた深山幽谷の地に、大小七十余りもの殿堂楼閣が建ち並び、中でも「七堂伽藍(しちどうがらん)」と呼ばれる七つのお堂(法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室)は、僧侶が修行をする清浄な場所として特に重要な建物とされています。

 

 


道元禅師は、正治二年(1200)京都に生まれ、十四歳の時に「比叡山」にて出家します。寛元元年(1243)、越前の国(福井県)の地頭・波多野義重(はたの よししげ)公の招きで、越前志比荘に移られ、永平寺を開かれました。


写真の正面が、一般の人が出入りする「通用門」です。

 

 


写真を撮影した場所の後ろには、永平寺川が流れています。

 

 


奥にある「唐門(からもん)」は、新しい住職を迎えるための門で、一般の参拝者は通れません。

 

 


通用門を潜ります。額には、入道者の求道を喚起させる「天童叢規勃興名巒(てんどうのそうき・ぼっこうのめいらん)」の句が書かれています。

 

 


門を潜った右手の拝観受付で、拝観料 700円を払います。


最初に目を奪われたのは、「傘松閣(さんしょうかく)」二階の156畳敷きの「絵天井の間」です。

 

 


昭和5年(1930)建築当時の著名な日本画家144名の筆になる、230枚の美しい色彩画が天井に飾られています。


「東司(とうず)」から「僧堂」に続く、長い木製の階段を上がります。

 

 


道元禅師を奉祀する御真廟の「承陽殿(じょうようでん)」。

 

 


七堂伽藍の一番奥に位置し、朝課(ちょうか・朝のおつとめ)などの各種法要が行われる「法堂」。

 

 


法堂から「山門」を、見下ろします。紅葉の時期には少し早かったのが、残念です。

 

 


七堂伽藍の中心に位置し、曹洞宗のご本尊であるお釈迦様(釈迦牟尼仏・しゃかむにぶつ)が祀られている「仏殿」。正面には、五十世玄透禅師の直筆「學皇寶殿」の額が掲げらています。

 

 


勾配の急な、木製の階段を下ります。

 

 


最後に、宗派を問わず一般の人の法要・納骨を行う「祠堂殿 ( しどうでん) 」を、参観しました。

 

 


御朱印を頂けるのは、「吉祥閣」一階にある御朱印処です。御朱印は、「承陽殿(じょうようでん)」の一種類。持参した御朱印帳に、浄写して頂けました。納経料は、300円。

 

 


尚、拝受した御朱印の数は、これで122印になりました。その内、第1印~100印は、こちらをご覧下さい

 


★ 続きは、『北陸新幹線で行く秋の北陸 4日間』 (その3) で ★ 

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