主の父親の名前は賢助さん
御本人にはそうお呼びしなかったが
主との会話の中では愛情を込めて
「けんちゃん」と呼んでいる
平成25年の春のお彼岸の中日にけんちゃんは倒れた
お彼岸の法要を執り行い、まだ雪が残る冬道を
2時間掛けて釧路まで駆け付けた
…脳梗塞だった
命の灯火は取り留めるも、けんちゃんとはもう
会話もままならずに病院で会えるのみの生活になった
夏場は片道2時間、冬場は2時間半の道のりを
多い時は週に4回はけんちゃんに会いに通った
冬の爆弾低気圧で道が八方塞がりになった時は
釧路の私の叔母が好意で洗濯物を取りに行って
洗濯もしてくれた
26年の7月にけんちゃんの灯火は私達2人に
見守られて静かに消えた
寡黙で能く耐えた生涯だった
リビングに一鉢だけあった君子蘭の鉢
植物はこの一鉢のみだった
形見分けはこの君子蘭とけんちゃんが退職祝いでいただいた
ミニチュアの囲炉裏セットで充分だった
寡黙でも静かでも必ず何処かに心繋がり
理解して下さる方がいる
その精神はけんちゃんから受け継いだ
お彼岸の時期に咲き始めた君子蘭は
けんちゃんの君子蘭
春の使者、供養と感謝のオレンジの花である
御本人にはそうお呼びしなかったが
主との会話の中では愛情を込めて
「けんちゃん」と呼んでいる
平成25年の春のお彼岸の中日にけんちゃんは倒れた
お彼岸の法要を執り行い、まだ雪が残る冬道を
2時間掛けて釧路まで駆け付けた
…脳梗塞だった
命の灯火は取り留めるも、けんちゃんとはもう
会話もままならずに病院で会えるのみの生活になった
夏場は片道2時間、冬場は2時間半の道のりを
多い時は週に4回はけんちゃんに会いに通った
冬の爆弾低気圧で道が八方塞がりになった時は
釧路の私の叔母が好意で洗濯物を取りに行って
洗濯もしてくれた
26年の7月にけんちゃんの灯火は私達2人に
見守られて静かに消えた
寡黙で能く耐えた生涯だった
リビングに一鉢だけあった君子蘭の鉢
植物はこの一鉢のみだった
形見分けはこの君子蘭とけんちゃんが退職祝いでいただいた
ミニチュアの囲炉裏セットで充分だった
寡黙でも静かでも必ず何処かに心繋がり
理解して下さる方がいる
その精神はけんちゃんから受け継いだ
お彼岸の時期に咲き始めた君子蘭は
けんちゃんの君子蘭
春の使者、供養と感謝のオレンジの花である