ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

187. ジャカランダの蕾

2022-05-01 | 風物

葉を落とし枝の先端に紫色の蕾。開花準備のジャカランダ。(2022-04-30アトリエから撮影)

 

 今年はいろんなことが変だ。

 まず、ロシアがウクライナに軍事進攻したこと。

 ウクライナはれっきとした独立国なのに、ロシアはウクライナがNATOに入りたいと言うのを阻止するために、おびただしい戦車部隊を送り込んで脅しをかけた。そこにウクライナのゼレンスキー大統領が出て来て、国民に抵抗を呼び掛けた。ゼレンスキーは小柄な男性で、しかし良くしゃべる。元々はコメディアンだったらしいが、たちまち国民だけではなく、他国の大統領や首相たちを魅了して仲間をつぎつぎにと取り込んだ。NATOとしては、戦闘介入をしていることは絶対にロシアにしられたくないから、ひそかにウクライナに武器などを供給している。もし知られたらたちまち第三次世界大戦のきっかけになることだろう。 

 その一方で、『ウクライナ戦争で最も悪いのは米英。』という意見もある。米英はロシアを経済制裁し、ロシアと中国を弱体化する新冷戦体制を作るのを目的に、ロシアによるドンバス侵攻を促すために、ウクライナに武器を供与しウクライナ兵を訓練しようとした。だがウクライナ兵の士気は低く、ヨーロッパ各地への亡命が相次ぎ巧くはいかなかった。それで米英はウクライナ国内に居るネオナチとヨーロッパ各国に居るネオナチを傭兵としてウクライナへ送った。ネオナチの傭兵はロシア民族が多く住むドンバスで虐殺を行った。そのロシア民族を守るためにプーチンはロシア軍をウクライナに侵攻させた。だから正当防衛的な侵攻だと言うのだ。

 セトゥーバルは古くからの労働者の町と言われ、労働組合、共産党の強い地盤だ。ポルトガル政府ははっきりとウクライナ支援、ゼレンスキー支援を打ち出しているが、セトゥーバルだけは少し異なり、ウクライナ難民受け入れに消極的だ。ときょうのニュースでも取り上げられた。それはプーチンに配慮しての行動とも受け取れる。

 

 ポルトガル元首相のグッテレス国連事務総長がモスクワに行きプーチン露大統領と会談をした。その後ウクライナのキエフにも行き、ゼレンスキー大統領とも会談、未だグッテレス国連事務総長が滞在しているキエフをロシアはミサイル攻撃をした。これはどう読むべきか?

 

 このごろ気象がかなり変だ。もう4月も終わりかけなのに寒い。数日前にはエストレラ山に雪が降った。TVのニュースでも「4月の雪!」と大騒ぎ。しかも数十センチほども積もっていて、居合わせた家族が雪だるまを作ってよろこんでいた。

 3月ごろは、「雨が降らない、ダムの底が見えた」などと騒いでいたのに、突然強烈な風が1週間ほど吹き荒れて、その後、毎日大雨が降り続いた。こういう現象は例年なら11月ごろに起きる筈だ。ところが去年は10月も11月も雨がいっさい降らず、その結果ダムが干上がった。大雨が降った後、ダムの水がどの程度増えたのかは気になるが、そういうことはニュースではやらないからわからない。

 物価はどんどん値上がりしている。野菜や肉など食料品の殆どが上がった。まだ日本に比べたら価格は安いが、それでも物価が高くなるのは困る。

 ガソリンの値上がりは一番庶民の懐に響く。物流が上がれば全ての価格に反映する。庶民はどこにも出掛けられないはずなのに、道路はクルマであふれ、バイクなどは轟音を鳴り響かせて走り回っている。ガソリンは昔からスペインよりも常に高い。たぶんポルトガルの税金が高いのだろう。スペインとの国境近くまで行った時はわざわざ国境を越えてスペイン側の町まで行ってガソリンを入れた。でも国境の町まで数キロあるから、せっかく安いガソリンを入れても行き帰りで使ってしまう。ばかばかしくなって、いつのまにか止めてしまった。

 今までコヴィッドの影響で自粛していた祭りなどが、今年に入っていっせいに復活した。自粛ムードはもう飽き飽き。ついでにマスクも解禁になった。しかしスーパーマーケットなどではマスクはしないといけない。ややこしいので、私たちは外出するときは必ずマスクをするようにしている。

 露店市などももう2年以上行ってない。もうそろそろ自粛は止めて、解禁にしようかな。もちろんマスクは着けて。

 季節の移ろいは早い。街路樹は若葉を成長させている同じ今の時期、ジャカランダは逆に少しずつ葉を落とし開花の準備を始めている。先端を見ればほんのりと紫色の蕾が確認できる。開花は5月下旬から6月だが、お向かいとお隣の庭に大木が1本ずつ、我が家の窓からも鑑賞ができるが、私たちの蟄居生活はいつまで続くのだろうか。

MUZ   2022/04/30

 

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186. ウクライナからの避難民

2022-04-01 | 風物

3月に咲く野生蘭、Orchis italica

 

 ロシアがウクライナに攻め込んでもう一ヶ月以上が経つ。ポルトガルのニュースでも毎日やっていて、数局あるTVもそれぞれ特派員を現地に滞在させている。中でも激戦地の首都キエフに残ってレポートしている女性記者キャンディダ・ピントは凄い度胸だ。彼女はイラク戦争の時も激戦地の真っただ中からポルトガルに向けてレポートしていた。身体は細くて小柄なのに恐れを知らない女性だ。

 一方、ウクライナの避難民たちはポーランドやルーマニア、モルドバなどに命からがら逃げこんでいる。女性や子供達がほとんどで、ウクライナの男性たちは戦闘義務があり、国外に避難することが禁じられているそうだ。妻や子供たちがバスや列車に乗り込むと、外から夫たちがガラス越しに手を差し伸べて別れを悲しんでいる。家族がバラバラに分かれてしまう。

 ポルトガルに避難する人たちは少ないが、受け入れ体制はかなり整っている。今回ニュースを見て驚いたのだが、ポルトガルに住んでいるウクライナ人は意外に多い。彼らが組織立って支援物資をまとめて、バスのトランクにぎっしり、座席などにも詰め込み、ウクライナの国境付近の避難所に届けている。バスは3日程で到着し、帰りにはそのバスに避難民を乗せて帰って来るという。

 ポルトガルには元々『バンコ・アリメンタール』(食品銀行)というボランティア活動がある。その活動時期になると、スーパーの入口で買い物客に専用の袋を配る。強制ではないが、それに何か一つでも品物を入れて寄付をするのだ。

 米1キロの一袋でも良いし、スパゲティの一袋でも缶詰めなどでも良い。私たちもそんな時は米1キロの一袋を寄付する。せいぜい1ユーロ足らずの負担で済む。それがボランティアの人たちの手で仕分けされ、貧しい一人暮らしの老人や、母子家庭、ホームレスの人たちなどに配られるボランティア活動だ。その制度そのままが今回のウクライナ避難民への支援に活用されている。

 そうした支援の輪はポルトガル全国各地で組織されて、主だった町ではそれぞれワゴン車や大型バスやトラックに支援物資を満載してウクライナとの国境付近の町に運んでいる。中には支援物資だけではなく、ボランティアのポルトガル人もそこまで行って現地で手助けをしている。

 ポルトガルに到着したウクライナ人家族はそれぞれ避難所に集められ、食事や寝具を与えられ、それから後日、ホテルやAL(民間宿泊所)などの部屋に移動する。ALなどはこの数年で急速に増えてきた。でもコロナ騒ぎで旅行客が激減して、空き部屋が多い。そこに避難民を収容しているようだ。北部の小さな田舎町にも空き家にウクライナ難民の一家がやってきた。田舎の老人たちは親切だ。困っている人たちを助けようと、自分の持っているわずかなものでも持ってくる。その老人は自分の庭に生ったリンゴを2個ほど持ってきた。

 

 そんな中、3月31日に閣僚の新旧交代式が行われた。ポルトガルの政治家は資産家の子弟が多いから、語学教育はしっかりと受けていて、英語はもとより、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語など普通に会話している。ポルトガルのマルセロ・デ・ソウザ大統領も、国連総長のグッテイレスも数か国語を操っている。EU議会で他の国の政治家との会話も相手国の原語で喋っている。

 でも今回のウクライナ戦争を見て、なにもできない国連の不甲斐なさを感じた。

 日本の経済は世界のランクから大きく後退し、周りの国から領土をねらわれている。

 ロシアは北海道を狙い、中国は尖閣諸島や沖縄を狙っているらしい。日本の国防は弱そうだから、そうなったら日本の国民はどこにいけば良いのだろう。周りは海ばかり、ウクライナの様に地続きの国境などないから、日本人は逃げようがない。

MUZ 2022/03/31

 

 

 

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185. ポルトガルは干ばつ、ウクライナは戦争勃発

2022-03-01 | 風物

 毎日日照りが続いている。本当なら去年の11月ごろに雨が降り続いていたはずなのに、ほとんど降らなかった。毎日良い天気で、実は私は喜んでいた。でも農家は大変なことになっている。雨が降らないから、ダムの水が空っぽになってダムの底が見えてきた。しかも全国的にダムが空っぽ。ダムを作った時に底に沈んだ村が現れた。その村を歩き回る人々。教会までもそっくり現れた。水の底に沈んでもほとんど傷んでいない。日本と違って、村全体が石造りだからちゃんと残っているのだろう。それにしても不思議な光景だ。

セトゥーバル郊外の森に咲く野生のサフラン

 雨が降らないと牧場がまず困る。草が生えないから牛や羊の餌がない。するとトウモロコシなどの飼料を買わなければならない。

 今日のニュースで見たのだが、その飼料はロシアやウクライナから輸入していたそうだ。でも2月24日に突然ロシアがウクライナに爆撃を始めた。そして今日はますます激しくなっている。ウクライナの首都キエフは爆撃で悲惨な状況だ。人的被害もすでに200人近くが亡くなったそうだ。人々はあらそって逃げ出している。幼児を数人連れた若い家族が多い。ウクライナに国境を接した国は、ポーランド、ルーマニア、スロベニア、ベラルーシュなど。みんな汽車やバス、クルマで国境を目指して押しかけている。ウクライナ人だ。去年のニュースでは同じ国境を遠いシリアやイラク、アフガニスタンなどから難民が押し寄せていた。彼らはいったい今どうしているのだろうか。この戦争でまた新たに難民が増える。

 ポルトガルにはウクライナ人が数万人住んで働いている。それを頼ってウクライナからの難民が増え続けるだろう。ポルトガル政府は歓迎している様だ。

 我が家の向かいにもウクライナ人の家族が住んでいる。御主人は塗装工、成人近い息子と娘が一人ずついる。みんな穏やかで静かに暮らしている。

 彼らは早い時期にポルトガルに移住してきたから良かったと思う。寒い国からやって来て、温かいポルトガルで暮らして、物価は安いし、治安は良いし、彼らにとっては天国ではないだろうか。反対に、ウクライナにはポルトガル人が数十人住んでいるらしい。彼らはウクライナ人の女性と結婚してウクライナで生活している。生活の基盤ができているから、動くに動けないのだろう。でも戦争が始まった。高層マンションはミサイルに爆撃されて上階の部分が吹き飛ばされている。

 ウクライナ人は大きな荷物を抱えて地下鉄の構内に避難したり、ポーランド行きの列車に乗るために駅に詰めかけている。ウクライナの空港は破壊されて使えないが、隣の国にたどり着けばなんとか安全地帯に避難できるのではないかと判断しているようだ。

 まさかプーチンが戦争に踏み切るとは思わなかった。

 でもまさかというのが戦争の始まりだ。

 日本は大丈夫だろうか?

 日本の領土は、竹島を韓国に乗っ取られ、尖閣諸島は中国に占領されて、それでも日本政府は何も抗議しない。次は沖縄が狙われている。

 先日、映画を観た。ブラピの主演する「チベットの7年」で、ダライ・ラマの幼少時代、チベットの政治家が中国に取り込まれて、毛沢東一団を大歓迎する。それを良いことに中国人たちは武器を持ち込み、闇に紛れて武装した人民軍が大量に押し寄せてチベット軍を大量に殺害し、チベットを占領してしまう。

 これは日本の沖縄に当てはまる。中国が支配している尖閣諸島から闇に紛れて沖縄に中国人民軍が潜入してくるのは簡単だ。赤子の手をひねるように簡単にできそうだ。しかも沖縄県はそれを歓迎しているようだ。どうしてなのか私には理解できない。中国に占領されて酷い目にあいたいのだろうか。そうなってからでは遅い。

 日本の政府よ、早く目を覚ましてくれ!

 

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184. 広場の工事と石畳

2022-02-01 | 風物

 

 広場の工事では12月30日に親方と主任が二人で仕事をして、セメント袋を一つだけクルマに積んで帰って行った。それから一度も姿を見ない。

 もう一ヶ月近くになる。残ったセメント袋や工事用の水を入れておく大きなタンク、そしてセメントをこねるミキサーもそのまま。まるで夜逃げをしたような感じだ。

 そういえばあの親方は気の弱そうなタイプだった。ひょっとしたら、倒産して夜逃げをしたのかもしれない。そうでも考えないと、説明がつかない。

 主任をはじめ、働いていた労働者はみんなポルトガル人ではなく、移民だ。

 彼らはどうしているのだろうか。ポルトガルは今、建設ブームというか、公共工事を盛んにやっているので、人手不足らしい。公共機関が道路や公園などの手入れをしているから、労働者は引く手あまたで、労働者は仕事にあぶれることはないはずだ。ここの空き地の工事だって、敷き詰められていた石畳を掘り起こして、かわりにセメントカラーブロックを敷いている。私は石畳のほうが良かったと思っている。どうしてやり替えるのか判らない。石畳は大雨の時、洪水で一部が流されたあと、傷んだところだけ石を取り替えたらすむ。職人が石を手に持って、一個ずつこんこんとハンマーで削ったものを取り替えていく。

 町なかの通路などはベージュ色の石の中に黒い石を埋め込んで模様を描く。その町の特徴をとらえた図柄なので、町によって異なる。

 旅に出て初めての町を歩くときは、足下の歩道を見ながら進む。すると思わぬ発見がある。石畳の中にいろいろのものが埋まっているのだ。

 

 

ヨハネの黙示録より、ラッパを吹く天使

 

蟹、味噌が旨いサパテイラ

 

アルガルベ地方のラーゴスで見たタコ

 

タツノオトシゴ

 

石畳を泳ぐエイ

 

ランタン、六角形に割られた周りの石が特徴的。石畳職人のこだわりを感じる。

 

ホタテ貝は巡礼への道しるべ

MUZ

 

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183. おおい!

2022-01-01 | 風物

2022年1月1日、7:55ベランダから撮影、セトゥーバルの初日の出

 

 2022年は帰国出来るのだろうか?

 2020年2月に日本行きのチケットをキャンセルしてから間もなく2年、その前の9か月をポルトガルで過ごしているから3年ちかくも帰国していないことになる。もうそろそろ大丈夫かなと思っていた矢先、「オミクロン株」という耳慣れないヴィルスが出現した。その実態はぜんぜん判らないが、規制だけがどんどん厳しくなっていく。

 わたしたちは二人ともワクチンを3回接種した。そしてカフェにもレストランにも露店市にも一度も行かなかった。唯一行くのは、週に一度のスーパーへの買い物だけ。それも二人ともきっちりマスクを付けて、入店、出店時には備え付けの消毒液を手に吹きかける。スーパーに行く時間も空いている時間帯を狙って、他の人が昼食を食べ始める13時ごろに行くようにしている。その時間はお昼のニュースが始まるのだが、ニュースを見るのは諦める。確かにその時間は人が少なく、通路もレジも混んでいない。ちょっと人が多くなってきたかなと思うと、15時近く。昼食後にゆっくりした人々が買い物に来る時間だ。それからどんどん波が押し寄せる様に人が増えて来るので、急いで帰宅する。

 帰り道に薬局が2軒あるのだが、モザンビーク通りの突き当りの薬局前には仮設プレハブが出来上がり、壁には『COVID-19―TEST』と書かれている。そして20人程の行列。もう一軒にも外に長い行列ができている。たぶんそこでもCOVID-19にかかっていないかどうかをテストしてもらうために並んでいるのだろう。

 今の時期、クリスマスと新年の休暇を取って親子兄弟の家族が一緒に集まって食事をしたりするので、誰かに感染させないために検査をしているのだろう。

 それだけではなく、検査結果がないと空港でも飛行機に乗せてくれないし、レストランやカフェでも入店時にスマホの陰性証明を見せなければならない。コンサートやサッカー観戦などもそれは必要だ。検査費用は月6回までは無料とのことだが、町によっては有料のところもあるらしい。

 サッカー観戦といえば、昨日行われたFCポルト対ベンフィカの2位対決。日本の巨人vs阪神の様なものだが、事前に検疫をしていない人はサッカー場の前に設置された仮設検疫所でも受けることが出来た。昨日は6700人が検疫を受け、その内117人が陽性であった。

 今、雨季なので毎日の様に雨が降る。雨の中、傘をさして長い時間、検疫を受けるために行列をする。雨季といっても日本の梅雨時の様な事はない。だいたい1週間ほど降り、次の週は天気が良くなる。それを見越して検疫を受ければ良い様なものだが、人それぞれに事情があるだろうからそうはいかないのだろう。検疫テストの映像を見ていると、鼻に長い綿棒を挿入し粘膜を採取している。私などはポルトガル人に比べて鼻が低いから突き破られてしまうのではと映像を見ているだけでクシャミが出そうになる。そこまでして検疫などしたくはない。検疫をしないと何も出来ない。引き籠り生活がまだまだ続く。帰国も出来ない。

 おおい!日本!

 故郷は遠くなりにけり!

 MUZ 2021/12/31

 

 2022年

 新年あけましておめでとうございます。

 旧年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

 

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182. 『ボルト』に何人乗られるか?

2021-12-01 | 風物

 日本では昔から飲食店の出前など当たり前にみられる風景であった。それ専用のクッションばね付きのバイクが盛蕎麦やラーメンなどを載せてさっそうと走る姿など子供の頃から見慣れた風習であった。

 ポルトガルでは今まで『テレピッザ』以外は一切見ることはなかったが、コロナ禍と同時に出前が普及したと言っても過言ではない。『ウーバー』『グローボ』など複数の出前専門会社が出現、そのバイク姿を急激に見る様になった。背中に50センチ立方くらいの保冷バッグをリュックの様に担いで町中を走り回っている。

 それと同時に急激な普及を見せているのが『ボルト』という電動スケーターだ。

 我が家の前にも複数台が乗り捨ててある。そしてホテルの前にも数台。

 我が家のお向かいに住む、ウクライナ人姉弟もそろって利用している様だ。それまでは市バスで通勤通学していた様だが、市バスよりも便利なのだ。家の前まで戻って来てすぐにスマホを操作している。そこで乗り捨て完了となるのだろう。

 家の前に乗り捨てるということは、次には誰でもが使うことが出来る。

 

町角に乗り捨ててある3台の『ボルト』

 町中をクルマで走ると、あちこちに電動スケーター『ボルト』が放置されているのを見る。色はエメラルドグリーンで統一されていてすぐに目につく。ほとんど若者が乗っている。どういう仕組みになっているのだろう。私も乗ってみたいと思うのだが、老人が乗っているのを見たことがない。たぶんスマホをかざして料金を払うとロックが解除されて動きだすのだろう。

 本来は1人乗りなのだろうが、二人で乗っているのもよく見かける。未だ罰則規定は出来てないのかもしれない。

 2人乗りだけではなく、昨日は4人乗りを見かけた。一人乗りなのに4人も乗って、見ているこちらも驚いたが、乗っている本人たちは平気な顔をして楽しそうだ。

 

『ボルト』に4人乗り。

 『ボルト』はどれだけ重さに耐えられるのだろうか?

 『ボルト』とは巧く付けた名前だと思う。

 あのジャマイカの『ウサイン・ボルト』を思い浮かべる。これほど速くて力強い人は居ない。

 坂道の多いポルトガルではとても便利な乗り物だ。本数の少ない、いつも遅れて来る市バスや電車が来るのを待たなくて良いし、このところ煩雑にある公共交通機関のストライキにも合わなくてすむ。

 ニュースでは早朝の通勤電車に乗ろうとしている人々の足を奪い、平気な顔をして自己主張をしている労働組合の幹部たちの顔を見ると、腹が立つのは私だけだろうか?

 現在の政権与党はPS社会党にBE左翼党とCDU共産党が加わり連立政権を樹立している。労働組合はこの時とばかりにストライキを多発している。

 元々PS社会党は第1党ではない。PSD社会民主党が第1党だ。前政権はPSDとCDS/PP市民党の連立であった。それが第2党のPSに左翼寄りのミニ政党が加わり政権が左寄りに替わった。その煽りを受け、最近はCDS/PPから分離したCHEGAという極右政党が人気を集めつつある。これだけストライキが続けば嫌気が指し始めてPSDとCDS/PPにCHEGAを加えた連立を望む声も聞こえ始めている。

 私たちは未だ使ったことはないが『ウーバー』『グローボ』などの出前代行会社は政権が替わっても定着するのだろうと思う。

 電動スケーター『ボルト』の人気も上々の様だ。

 昔、ミニクーパーに何人乗れるか?などの実験があった。

 でもまさか『ボルト』に4人以上はサーカスでも無理だろう。MUZ

 

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181. 空き地の子猫

2021-11-01 | 風物

 

 以前は20匹ほどいた空き地のネコたちはいつの間にかどんどん姿を消して、メスの黒猫が一匹だけ残っていた。ところがその一匹も姿が見えなくなったと思っていたら、しばらくして子猫を2匹連れて戻って来た。どこかに隠れて子猫を生んでいたのだ。

 子猫は黒と薄茶で、2匹で元気よく遊んでいた。どちらかというと黒猫の方が力強いし、薄茶の方は少しおとなしい。黒猫はオスで、薄茶はメスかもしれない。とにかく空き地の猫は一匹しかいなかったのが3匹に増えて良かった。これで空き地も少し賑やかになるだろう。しかし安心してはいられなかった。おとなしい薄茶の子猫がいつのまにかいなくなった。このごろ空き地の上空にはカラスの一家が飛び回り、ときどき猛禽類も姿を現す。小さな子猫は簡単に捕まってしまうだろう。それとも人間に捕獲されたのかもしれない。

 

 周りのマンションには猫を飼っている家が多い。そうした猫たちは空き地で見かけたような猫が何匹もいる。模様のきれいな猫が引き取られているようだ。捕獲者は向かいのマンションの一階に住む男性。彼は朝出勤前に固形の餌を庭先に置く。すると待ち構えていた猫たちはいっせいに集まって来る。多い時は4か所に餌を置くから、餌代も大変だろう。その上、猫たちが食べている最中に鳩たちが寄って来て横取りしようとする。厚かましい鳩たちだが、猫たちはおとなしい。

 夢中で食べている猫の上から捕獲者が段ボールをすばやく被せると、動きの鈍い子猫は捕まってしまう。そうして周りの子猫希望者のもとに配られるのだ。引き取られた猫ははたして幸せかどうかわからないが、家の中の窓際に座ってずっと外を眺めている。衣食住は満たされているが、肝心の自由がないからうつ病にならないか心配だ。

 

 野生の猫はたっぷり自由がある。しかし自活で生きるのは大変だ。

 数年前、黒茶まだらの猫が子猫を6匹連れて来た。空き地デビューだ。6匹もいると賑やかで子猫どうしで追っかけをしたり、取っ組み合いをしたり。その中に黄色い縞々の子猫がいた。6匹の中で一番身体が大きい。運動能力も抜群で、木の枝に飛びついて身体をぶらぶら揺らしたりしている。どうやら雄猫らしいから、名前をつけることにした。映画「大脱走」のスティーブ・マクイ―ンなどはどうだろうか。黄色の猫だからマキーイン、それがなまってマキィ―ン、もうひとつなまってマッキィ。

 

 マッキィといつもいっしょにいる猫がいる。黒と白のきれいな猫。おっとりとした猫で、たぶん雌猫だろう。マッキィの妹みたいだから名前は「イモト」と名付けた。と言っても、我が家のキッチンから眺めている私は彼らに触ることはできない。ただ見守るだけだ。

 夏になると餌をくれる男性の庭では上に金網を張り、その上に寒冷紗を張って夏のひざしを防いでいる。マッキィはそこにするすると上がって寝ころがる。風が下から吹き上げてずいぶん気持ち良さそうだ。イモトも羨ましそうに下から見上げているが自分では登って行けない。マッキィは大得意で身体を揺さぶり嬉しそうに大笑い。そこがずいぶん気に入った様で、餌が出て来ても降りて行かないほど。

 

 元気で活発だったマッキィが成長するにつれてなんだかおとなしい猫になってきた。餌の時間になっても自分より小さな猫たちに遠慮して、彼らが食べ終わるのを待っている。いったい何があったのだろう。身体は大きいのに、気が小さくなってしまった。

 思い当たるのはひとつだけ。空き地の外から見るからに獰猛そうな大きな雄猫が時々姿を現すようになった。顔は傷だらけで気が荒そうな猫だ。ある日、マッキィはその猫に押さえつけられてじっと耐えていたが、すきを見て脱兎のごとく逃げ出した。その時から急に気弱な猫になってしまったようだ。自分が強い雄猫ではないと自覚したらしい。

 マッキィの姿はしだいに見えなくなった。ある時は北側の屋敷の庭にいて、そこの女主人に追い出されてすごすごと逃げて行った。ある日は北側のホテルから出てきた姿を見た。ホテルでなにか食べ物を貰ったらしい。私も乾いた猫の餌をスーパーで一袋買って来て3階からマッキィの姿を見つけては投げ与えたことがあるのだが、その音に怯えて餌を食べずにどこかへ行ってしまった。

 その後、姿を見かけたことはない。どこに行ってしまったのか?

 どこかで無事に生きていてくれたら良いが。 MUZ 2021/10/31

 

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180. 道路工事で何が起こったのだろう。

2021-10-01 | 風物

北側の道路工事

 

 ターバンがとうとう馘になったのだろうか。それと同時に働き者のキャップも姿を見せなくなった。先週の半ばから二人とも姿を見せないので、工事現場は四人の内、二人だけが残っている。背がひょろりと高いロングと、主任のような男のふたりだけ。二人とも真っ黒で顔つきも彫りが深く、かと言ってインド人ではなさそう。たぶんパキスタン人ではないだろうか。親方だけがポルトガル人だ。親方は腹がドンと突き出して、ほとんど労働はしない。ということはロングと主任が二人だけで工事を進めている。親方はスマホをいじるか、あちこちに電話をかけまくっている。仕事の手配をしているのだろうが、工事の労働力の加勢にはならない。昨日は親方が煉瓦運びを手伝おうとして、煉瓦を4個ほど抱えて下に置こうとした時、よろよろとこけそうになった。日頃鍛えてないからバランスを崩したのだ。それにドンと出っ張った腹が邪魔をしたのだ。

 ロングは20代に見える。それともひょっとして10代かもしれない。主任は30代かも。

 主任は仕事もできるし、親方にすっかり信頼されているようで、自分と同じ国の人間をつれてきて指導している。しかしターバンとロングがよると触ると喧嘩をしていたのも、誰も止めようとしなかったし、主任も黙っていた。まして言葉が判らない親方はそんな二人を無視していた。

 ターバンが来なくなってロングはなんとなく寂しそうだ。仕事の手を止めてぼんやりと立っている姿が痛々しい。それでもゆっくりと石割を続けている。ハンマーを振りかざして石を割る動作は身体への衝撃が強そうで、一振りしたら呼吸を整えている。若い身体にとっても疲労が重なる。そうして労働者は急激に歳を取って行く。いつも白い野球帽をかぶっているキャップは近くで見るとしわしわの爺さん顔だ。年齢は判らないが、意外と若くて40代かもしれない。しかし力はなさそうだ。セメント袋を持ち上げるのに、ターバンもロングもひょいと持ち上げるのに、キャップは持ち上げられなくて近くにいるロングに助けを呼ぶ。気の良いロングは自分の作業の途中でも手助けにやって来る。

 水曜日の朝8時過ぎ、作業トラックがやってきた。中から作業員がぱらぱらと降りてきた。親方と班長、ロング、白い野球帽のキャップ、そして最後にターバンものそのそと出てきた。もうやめてしまったのかと思っていたターバンとキャップが二人とも戻って来た。これで通常のメンバーがそろったことになる。ところがロングがターバンに近付いて文句をつけている。また始まったのかと、班長も白キャップも不安そうに二人を取り巻いて見ている。なかなか仕事が始まらない。10分ほど経って、しびれを切らした親方が呼びに来たので険悪ムードが収まった。

 

水道タンクの空き地。左から…トラックの荷台で作業をしているのがキャップ。中央黒いTシャツが班長、その前の白いTシャツが親方、蛍光ベストがターバン、右端のプロテクター作業ズボンがロング。これでオールスター。

 

 我が家の南側にある水道タンクの空き地が工事の石や砂などの資材置き場になっている。北側の道路が道路工事の現場で、今まであった石畳をはがして、セメント石に敷き替える工事を進めている。親方がショベルカーで掘ったところに班長が定規で幅を計っているのをみんなで見ている。

 ターバンの隣にロングがいて、さっきの険悪ムードはどこにいったのか、ロングがターバンの肩をさわり、二人で笑いあっている。和気あいあいと、なんだか兄弟の雰囲気だ。ターバンが兄で、ロングが弟。そう考えたら、よると触ると喧嘩をしていたのも納得できる。いつも兄弟喧嘩をしていたのかもしれない。

 ターバンは偉そうな態度で他人に指図しているが、よく見るとかなり若い。20歳そこそこではないだろうか。時々バックミラーに自分の顔を写して、被ったターバンをあちこちいじっている。ある日は仕事が終わってみんながクルマに乗り込んでいる時に、ターバンがバックミラーに写る自分の姿をああでもないこうでもないとしつこく眺めていた。仕事が終わって、これから恋人に会いに行こうとしている若者の姿だった。

 

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179. 広場の工事

2021-09-01 | 風物

 コロナ禍で家に閉じ籠りが多い。でも労働者は忙しそうだ。あっちもこっちも何かしら工事を始めている。下の階では老人が一人で住んでいるが、彼女が引っ越してくる前も彼女の意向で2年間も内装工事をしていた。電動ドリルを使って壁を壊す工事が長く続いたが、騒音が響いて飛び上がりそうに煩かった。彼女が入居して、やれやれと安心したが、しばらくしてまた工事を始めた。何をそんなに工事するところがあるのだろうか。不思議である。

 ある日、マンションの入り口のドアに工事を知らせる張り紙があった。ミセリコルディア広場で45日間の工事が始まるとのこと。今は駐車スペースになっているのだが、どういう工事をするのだろうか?今でも駐車スペースがけっこうあるのだが、いつも混みあっている。広場を掘り下げて地下駐車場を作るのだろうか。

 工事は一週間ほど遅れて始まった。今まであった石畳の歩道を全面的に剥がしてしまった。剥がした石は水道局の空き地に積み上げられている。相当の量だ。

 

 

 

 働いているのはポルトガル人の親方とあとは4人とも色の黒い外国人労働者である。その中に頭に黒いターバンを巻いた男が一人。インド人のシーク教徒かもしれないし、今ちょうどニュースで大騒ぎのアフガニスタン人かもしれない。この男は長身でがっちりして、見るからに体力がありそうだが、働きぶりをみるとかなりの曲者だ。だれかれ構わず捕まえて、身振り手振りで自分の意見を主張する。仕事の手を止めてしゃべり続けるから当然仕事がはかどらない。

 いつも野球帽をかぶった少し小柄な男とふたりでコンクリートミキサーを使う仕事をしている。ゴーゴーと回るミキサーに横に積み上げた砂山からスコップで砂をすくって放り込む。見るからにへっぴり腰なのが私でさえも分る。今日はとうとう親方からスコップの使い方の指導を受けていた。

 黒いターバンに比べて野球帽の男は真面目そうだ。黙々と仕事を続け、黒ターバンに偉そうに説教されてもじっと耐えている。しかしセメント袋やヘリ石は一人で持ち上げる力がないので、黒ターバンに頼らざるを得ない。二人でヘリ石を1個、2個と運搬用のネコに積み込んで現場まで運ぶのだが、要領の良い黒ターバンはべらべらと訓戒をたれるだけで手を出そうとしない。しかたなく野球帽がネコを押してふらふらと運び出した。その横をターバンはついて歩くだけで、いっさい手伝おうとはしない。

 そんな仲の悪いふたりでも、昼休みは木陰で持ってきた弁当を食べ、その後ベニヤの上で横になって昼寝。その他のメンバーはクルマで何処かに行ってしまう。たぶん食堂で昼ご飯を取るのだろう。

 そんなある日、夕方5時過ぎ、やっと仕事を終えてさあ帰ろうとすると、黒ターバンがすでにトラックに乗り込んでいた親方に苦情を言いだした。窓から顔を突っ込んで長々と喋っている。他の仲間は早く帰りたいはずなのにじっと待っている。もう6時を過ぎた。親方はしびれを切らしてターバンにクルマを出した後、門の鍵を閉める様に言い渡した。ターバンもようやく諦めてクルマに乗り込み、一緒に帰って行った。

 翌日もその次も黒ターバンは来なかった。いよいよ首になったのかもしれない。黒ターバンがいない日は野球帽の男はみんなと一緒に穏やかに働いていた。

 月曜日、黒ターバンが姿を現した。首になったのではなかったんだ。しばらく姿の見えなかった背の高い若い男ロングもやって来た。すると黒ターバンはさっそくロングにイチャモンをつけて説教を始めた。あまりのしつこさにおとなしいロングも言い返して口げんかになった。近くにいる親方も口げんかが聞こえているのだろうが、仲裁しようとしない。黒ターバンが興奮してロングの胸元を掴みかかったが、野球帽の男が気を利かせて二人の間に割って入ったので殴り合いにはならなかった。

 しかしこんな調子であと一ヶ月以上も広場の工事が続くのだろうか?

 

 

 

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178. ポルトガルのオリンピック選手たち

2021-08-01 | 風物

 

 東京オリンピックが始まった。ポルトガルでも有力選手がたくさんいる。日本ではあまりしられていないと思うが、主な選手たちを以下に上げてみた。(wikiより)

 

2021年7月29日、東京オリンピック2020でポルトガルに初メダル。柔道の100キロ級、ジョージ・フォンセッカ選手が柔道で銅メダルを獲得した。彼はアフリカの小さな国、サントメ・プリンシペの出身でポルトガルに帰化している。世界選手権では2019年東京で金、2021年ブタペストで金、など活躍している。「ほんとは金メダルが欲しかったんだ」と言いつつ、大きな身体で軽快にステップを踏んで喜びのダンスを踊った。ちなみに金メダルを獲ったのは日系人のウルフ・アロン選手。

ジョージ・フォンセッカ選手は7月31日リスボン空港に凱旋帰国した。記者の質問に答え「次のパリでは金メダルを約束するよ」サントメ・プリンシペの明るさは健在だ。

  

 柔道女子選手はテルマ・モンテイロがポルトガルの第一人者だ。2004年のアテネオリンピックで9位、2008年の北京オリンピックでは9位、2012年ロンドンオリンピックでは初戦敗退、2016年リオデジャネイロオリンピックでは3位、2020年(2021年)東京オリンピックでは9位で終わったが、同じ年の2021年ヨーロッパ柔道選手権大会では優勝している。今年35歳になったというが、まだまだ頑張ってほしい。

 

 陸上男子三段跳びのネルソン・エボラはカーボベルデ出身。2004年アテネオリンピックの三段跳びに出場したが、47人中40位に終わっている。2年後ヨーロッパ選手権では三段跳で4位、走幅跳で6位と入賞を果たした。この大会、三段跳の予選では17m23のポルトガル新記録もマークした。翌2007年にはさらに力をつけ、大阪で行われた世界選手権では自己ベスト、ポルトガル新記録、シーズン世界2位の17m74をマークし、ついに世界チャンピオンに輝いた。 さらに2008年には北京オリンピックに出場、3回目の跳躍を終わった段階でイギリスのフィリップ・イドウ、バハマのリーン・サンズリーンにリードされていたが、4回目に17m67を跳び逆転。最後はイドウを5cmおさえ金メダルを獲得し、ポルトガルに陸上競技のフィールド種目では初めての金メダルをもたらした。 翌2007年にはさらに力をつけ、大阪で行われた世界選手権では自己ベスト、ポルトガル新記録、シーズン世界2位の17m74をマークし、ついに世界チャンピオンに輝いた。

 

 カルロス・アルベルト・デ・ソウザ・ロペスは29歳の時出場し1976年モントリオールオリンピックでは10,000mで銀メダルを獲得した。

その後、マラソン競技に転向し、1984年ロサンゼルスオリンピックにおける下馬評では前年の世界選手権優勝者ロバート・ド・キャステラや瀬古利彦などの評価が高く、彼自身の評価はそれほど高くなかったが37歳での出場にも係わらず2時間9分21秒の五輪新記録で見事金メダルを獲得した。

この記録は、2008年北京オリンピックでサムエル・ワンジルによって破られるまで、24年もの間オリンピック男子マラソンの最高記録だった(ワンジルの記録は2時間6分32秒)。また、オリンピックの男子マラソンの歴代金メダリストでは現在も最高齢記録である。

ロサンゼルス五輪翌年の1985年4月のロッテルダムマラソンで、世界で初めて2時間8分の壁を破る2時間07分12秒(電気計時2時間07分11秒68)の世界最高記録を樹立した。 世界最高記録樹立後は一度もマラソンを完走することなく引退した。

 

 ロザ・モタ 女子マラソンが正式種目となった1984年ロサンゼルスオリンピック、ロサンゼルスオリンピック前には、それまで彼女の自己記録が2時間30分台でメダル候補に名前も挙がらなかった。しかしロサンゼルス五輪の女子マラソン本番では、イングリット・クリスチャンセン(ノルウェー)との3位争いを制し、金メダルのジョーン・ベノイト(アメリカ合衆国)、銀メダルのグレテ・ワイツ(ノルウェー)に続いて、銅メダルを獲得。さらに自己記録を大きく更新する2時間26分57秒をマークし、一躍世界のトップランナーの仲間入りを果たした。

翌1985年のシカゴマラソンでは、優勝のジョーン・ベノイト、2位のクリスチャンセンに次ぐ、2時間23分29秒のゴールタイムで3位に入る。これが彼女の生涯の自己ベスト記録となった。

1987年の世界陸上ローマ大会女子マラソンでは、2位以下に7分の大差をつける圧倒的な強さで、2時間25分17秒のタイムで優勝した。そして、迎えた翌1988年ソウルオリンピックでも、銀メダルのリサ・マーチン(オーストラリア)や銅メダルのカトリン・ドーレ( ドイツ、当時東ドイツ)らを下して、2時間25分40秒のタイムで念願の五輪金メダルを獲得する。マラソン選手としては男女通じて史上初めて世界選手権・オリンピックの2冠を達成、さらに女子マラソンの種目でロス五輪に続く初のオリンピック2大会連続メダリストとなった。

日本のマラソン大会には、東京国際女子マラソン・大阪国際女子マラソンに出場し、東京は1986年、大阪は1990年に優勝を果たしている。実力世界ナンバーワンといえる女子マラソン選手で、日本のマラソン大会に出場したのは事実上彼女が最初といってよい。

その後も1991年の世界陸上東京大会女子マラソンにも出場し、世界陸上選手権で2連覇を目指したが、体調不良により途中棄権に終わった。翌1992年、母国ポルトガルの隣国・スペインで開催される1992年バルセロナオリンピックにも女子マラソンでの出場を目指していたが、体調が万全で臨めない為に断念。その後は復活を果たすことなく、第一線から現役引退となった。

コーチのペドローザとは、事実上の夫婦関係にあった(正式に結婚していなかったのは、カトリック国家であるポルトガルでの厳しい家族観が原因といわれる)。また、母国ポルトガルの陸上競技連盟とはしばしば軋轢があった。その反面、レース中に笑顔を絶やさないことでも知られ、日本からもファンが多く、また有森裕子は尊敬するランナーの一人にあげていた。

1995年9月に行われた総選挙に社会党(PS)から出馬して当選を果たし、ポルトガル共和国議会の議員を2期務めた。

2009年9-10月、コペンハーゲンで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2016年夏季五輪東京招致委員会のアスリートメンバーとして東京への招致を呼び掛けた(wikiより)

 

 上記のカルロス・ロペスは彼の功績をたたえてリスボンにカルロス・ロペス体育館が造られた。またロザ・モタもポルトにロザ・モタ記念館が造られ、ポルトガルの金メダリストの功績を称えた。

 

 このブログをアップしてすぐ後、次のビッグニュースが飛び込んできた。

 

 パトリシア・マモナは女子三段跳びの選手。2021年8月1日の東京オリンピック女子決勝戦で15m01cmのポルトガル新記録を跳び、銀メダルを獲得した。ポルトガルで2個めのメダル。ポルトガルのニュースで大きく取り上げられた。

フェルナンド・ピメンタはカヌー、スプリントの選手。31歳。ポルトガル北部のポント・デ・リマの出身。東京オリンピックで銅メダルを獲得した。

 

 ペドロ・ピチャルドは男子三段跳びの選手。28歳。キューバ生れだがポルトガルに帰化。セトゥーバル在住。東京オリンピック2020で8月5日に17.98mを跳び金メダル。ポルトガルで初めての金メダル。ひょっとしたらセトゥーバルに彼の名前を冠した道路ができるかもしれない。

 

 オリンピック委員会の組織の在り方、とりわけ経済優先、一部上層部への権力集中など問題点も多く、オリンピック自体の存続を疑問視する声などもある。

 でもオリンピックは世界最高峰のスポーツ大会だと思うし、そのために懸命に練習に打ち込んできた選手たちの為にはなくなって欲しくはない。頑張っている姿を今後も見たい。

 『オリンピックはギリシャに戻せ』と言う意見もある。私は賛成だ。ギリシャは美しい見所の多い国だ。

 高校野球は毎年『甲子園』で行われているし、ラグビーは『花園』だ。大学駅伝は『箱根』だし、選手たちはその目標に向かって練習を重ねている。

 オリンピック選手が『ギリシャ』を目指す。素晴らしい様に思う。

 『駅伝』という単語が出たが、駅伝が何故オリンピック種目にならないのだろう、と以前から不思議に思っていた。

 もう10年も前になるのだろうか?フランスの田舎町を旅していて『EKIDEN』の横断幕を見かけた。フランスの街ではエキデン大会が行われていたのだ。

 EKIDENは今や、JUDO、SUSHI、MANGA、ORIGAMI、そしてTSUNAMIなどと並んで立派な国際語なのだ。

MUZ

2021/08/01

 

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177. ユーロ2020は2021年の今、開催されている

2021-07-01 | 風物

セトゥーバル半島内で2021年6月9日撮影の ケンタウリウム・エリサラエア Centaurium erythraea

 

 コロナ禍で1年間延期されていたサッカーユーロ2020大会が毎日TVで放映されている。昨日ポルトガルはベスト8をかけベルギーと対戦した。ベルギーはドイツやフランスに比べて大したことはないだろうと思っていたら、なんとFIFAランキング1位。驚いた!ポルトガルはだいじょうぶかな。ポルトガルが属するチームは強豪ぞろい。ドイツ、フランス、ハンガリー、ポルトガルが入るF組は「死の組み合わせ」と言われている。ポルトガルはハンガリーに辛うじて勝ったが、ドイツには負け、フランスとは引き分けた。そうしてベスト16に生き残った。

 ハンガリー戦の3点のうち2点とフランス戦の2点をクリスティアーノ・ロナウドが得点し、これまで109得点はポルトガル選抜記録だそうで、ポルトガル国民は大いに盛り上がっている。町にはポルトガル国旗が数えきれない程はためいている。

 階下のマダレナ小母さんのところなど北側のベランダに2つと南側にも特大のポルトガル国旗が掲げられてその熱の入れようは計り知れない。マダレナおばさんは出戻りの息子と二人暮らし。てっきり息子が熱心なサッカーファンだろうと思っていたが「あの息子は見るからに偏屈そうやからサッカーなんてばかにしてるで。国旗を掲げたのはきっとマダレナおばさんやで」とビトシは確信的に言い放った。マダレナ小母さんはすごく元気だがもう80近い高齢者だ。いっぽう、息子は40代というところか。階段で出会うことがあるが、いつも暗い顔をしてぼそぼそと挨拶をする。国旗はやはりマダレナ小母さんがかかげたのだろう。何しろ賑やかなことが好きな女性だから。

 ベルギー戦はスペインのセヴィリアで開催された。ポルトガルから3000人の応援団がかけつけたという。セヴィリアはポルトガルから国境を越えてクルマで2時間たらずで到着する。しかし問題なのは気温だ。

 かなり昔の話だが、セヴィリアに旅行に行った。たしか7月だったと思う。なにしろ外は猛暑で影を求めて道を歩いたものだ。ペットボトルの大びんを抱えて、でもすぐに水は空っぽになった。ホテルは中庭がパテオになっていて、2階の部屋は風通しが良く、涼しかった。窓を開けると小さな噴水がある広場が見え、なかなか良い雰囲気だ。良いところに泊ったものだと、気を良くして出かけた。ホテルは下町のサンタ・クルス地区にあり、フラメンコの「ロス・ガリリョス」まで歩いて行ける便利なところ。小さな劇場のような狭い舞台と観客のびっしり詰まった客席。私たちはワインを飲みながら、舞台では若い男女のジプシーが踊り年配の男たちが手拍子をしながら歌うカンテ。素晴らしかった。

 ホテルのベッドでうとうとしていると、なんだか暑い。汗がむわーっと噴き出してくる。ビトシが飛び起きて、廊下にあったホーキとモップを取って来て床の掃除を始めた。「ベッドに熱がこもってて眠れんから床に寝るわ」

 でもタイル張りの床も周りの壁もどこもここも熱を持って、部屋中に熱を発散している。

 ビトシは綺麗に床掃除をして直接床に寝た。胸にぬれタオルを置いたがすぐに乾いた。それでもいつの間にか眠ったらしい。が、突然ガガーンという大音響で驚いて目が覚めた。そして男たちの大きな声がする。喧嘩のようだ。この夜中に一体全体何事か!恐る恐るブラインドを開けて外を見ると、二人の男たちがブリキのごみ箱を乱暴に動かして、広場の掃除をしていた。なんのことはない。男たちは掃除をしながらしゃべっているだけだった。

 翌日もまっぱれ。こりゃたまらん!

 大慌てでバスに乗り、ポルトガルに帰宅。セトゥーバルには涼しい風がふいていた。

 そのセヴィリアでポルトガルとベルギーがサッカーの対戦をするという。セヴィリャの殺人的猛暑を思い出した。あの暑さの中、サッカーの試合が行われるとは、選手は大丈夫だろうか。ポルトガルの選手たちは猛暑に慣れているだろうが、ベルギー選手たちは?

 結果はベルギーが1:0で勝ち、ポルトガルは敗退。

 ドイツはイングランドに負け敗退。フランスもスイスに敗れ敗退。

 「死のチーム」と言われたF組は4チームがすべて敗退して空中分解してしまった。

MUZ  2021/07/01

 

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176. フクロウと猛禽類

2021-06-01 | 風物

松の枝先にしがみついた猛禽類(2021年5月、台所の窓から撮影)

 

 コロナ禍で外出は控えている。1週間に1度スーパーに買い物に行くくらいで、殆ど外出はしない。

 家の中に居るだけだから、どうしても運動不足になってしまう。

 時たま思い出した様に、台所の窓に摑まって屈伸運動などを始めてみる。

 窓の外には途切れることなく様々な鳥が飛び交っている。

 鳩であったり、燕であったり、カモメであったり、シラコバトであったり、メルローであったり。

 その他にも名前の知らない小鳥たちが無数に訪れる。

 先月はお隣のマンション屋上に取り付けられた作り物のフクロウのことを書いた。

 陶器製のフクロウが5つ、屋根の上でにらみをきかせている。据え付けられてもう一ヶ月ほど経っただろうか。その間、不思議なことにその屋根には鳩は全然来なくなった。と言っても一度か二度鳩が止まっていたのを見たことがある。やっぱり鳩もあのフクロウは動かないから怖くないよと噂が広まったのだろうか。二羽の鳩は作り物のフクロウのすぐ下の屋根に止まって、フクロウを気にする様子もなく遊んでいたが、しばらくしてどこかに飛んで行った。

 その分、我がマンションの屋根には鳩が多く来るようになった様にも思う。

 今朝方、作り物のフクロウからは死角になる我が家の風呂の窓で鳩が寝ていた。窓をとんと叩いたら一目散に飛んで行った。でもすぐに戻って来たので追い払ったが、又、戻って来た。そして今度はつぶらな瞳でガラス窓をコンコンとノックした。餌を催促しているのであろうか。

 次の日、「ピー、ピー」と聞きなれない鳥の声が聞こえた。そして目の前を一羽の鳥が飛んで行った。初めて見る鳥。それは背中が薄茶色で、羽根を広げてスーと飛んで行った。鳩よりも少し大きい。小型の猛禽類のように見えた。さっきの聞きなれない声の持ち主に違いない。猛禽類にしては鳴き声がかわいらしいが、それでも鳩にとっては怖いのだろうか。その声がすると、鳩たちは急いでどこかへ飛んで行った。

 

 ある日、その鳥が凄い勢いでとんでいた。何かに追われて逃げ惑っている様で、近くの松の木に慌ててしがみついた。その後を数羽の燕たちが追いかけて攻撃している。燕に追われて逃げる猛禽類。それは巣立ちをしたばかりの雛かもしれない。心細そうに親を呼んでいるようだが、親の姿は見当たらない。猛禽類は巣立ちしたその日から一人で生きて行かないといけないのだ。

 例えば燕は集団で生きている。巣立ちの前に飛ぶ練習、燕の学校は立派な大人の燕が先生だ。よちよち歩きのヒナが何度も墜落しそうになっても励ますように声をあげて催促する。雛たちはお互いに競い合うように何度も挑戦して、飛ぶごとに上達していく。

 猛禽類は孤独だ。巣立ちに失敗したら巣から落ちてしまう。地面に落ちると誰も助けてくれない。それどころか、キツネや山猫に襲われてアウトになる。猛禽類の人生は厳しいのだ。

 ふと屋根の上を見ると、5個のフクロウはあいかわらずじっとしている。いや、北側の一羽が頭を動かしている。目をこすってもやっぱり動いている。鳩が来なくなったのはこれだ。

 他の4羽はじっと動かないが、北側の一羽だけ、首をふらふら動かしている。風が吹いて動いているのだ。きっと。

 

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175. 屋根の上のフクロウ

2021-05-01 | 風物

  2年近く続いた階下の工事がやっと終わり、老人が住み始めた。家族は見かけないから、どうやら一人暮らしの女性らしい。

 それと同時ぐらいに、鳩が大勢やって来るようになった。不思議に思って見ていると、階下の東側の電線にずらりと鳩が並んでいる。階下の女性が餌を投げるのを待っているのだ。

 我が家のベランダにもこのごろ鳩の糞がべったりついている。生々しいので、乾くまで待って掃除をする。北側に駐車してある我が家のクルマにも屋根やフロントグラスの上にボトボトと鳩の糞。困ったものだ。

 鳩の糞には困ったものだが、一人暮らし老人のささやかな楽しみを奪ってもいけない。鳩の糞は雑巾で拭けば綺麗になる。

 西側のアパートはもうずいぶん長いこと外壁の塗り替えをしていないので、ボロボロになっている。鳩がいつも止まっているので壁が糞で汚れて汚らしい。塗装工事は住民らの話し合いで決まる。西側のアパートは住人が老人ばかりだったので、塗り替え工事の費用を出せない人が多かったのだろう。ある日、最上階のベランダのひさしがそこだけべっとりと朱色に塗られていた。そこはいつも鳩がたくさん寄り集まっていた場所だ。不思議に思っていると、少しずつ鳩が少なくなっていた。鳩は朱色が嫌いなのかもしれない。でもその上の屋根にはどっさり止まっている。

 ある日、二人の男たちがやってきて、金属の足場を組み始めた。塗装工事が始まりそうだ。

 二人は70代くらいの年齢で、二人とも片足を引きずっている。足が悪いのに高い壁に昇って塗装ができるのだろうかと心配したが、何の苦労もなく足場を下から順番に積み上げていく。滑車を使って重い鉄パイプを上に運び、その上に渡す分厚い板を2枚ずつ持ち上げて、次は塗料の入った大きなバケツを吊り上げる。この作業をすべて滑車を使ってやるからわりと楽なのかもしれない。二人は長年一緒に仕事をしてきたのか、阿吽の呼吸で淡々と仕事をこなしていく。ポルトガル人には珍しいことに、ほとんど喋らない。毎日朝8時にやってきて、昼休みまで黙々と働き、午後もほとんど無言で夕方5時まで仕事をする。

 塗装工事は日に日に進んで、1週間ほどで終わってしまった。

 もう終わりかなと思っていると、翌週には屋根の上に二人の姿が見えた。屋根の上に廊下の明り取りの天窓がある。ガラス張りだから、隙間ができて雨漏りがするようだ。我が家のアパートもやはり階段に雨漏りがするから、判る。老人たちはガラスのコウキング工事をして、帰って行った。これで一件落着。無事に完了。

 西側のアパートは見違えるようになり、まるでぴかぴかの新築マンションのようになった。

 ある日、アパートの屋根の縁に見慣れない大型の鳥が止まっているのが見えた。じっと動かない。フクロウのように見える。しかも5箇所に五羽も止まっている。あまりにも動かないので、不思議に思って双眼鏡を取り出した。動かないはずだ。それは陶器で作られたフクロウだ。

 

 

 それから2週間ほど経つが、西側のアパートには鳩の姿が一羽も見えない。あのフクロウが威力を発揮しているのだ。きっと。

MUZ 2021/04/30

 

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171. ポルトガルの武漢ウイルス

2021-01-01 | 風物

2021年、新年明けましておめでとうございます。

セトゥーバル港の初日の出(2021年1月1日、7:55ベランダから撮影)

 

このごろ寒い、寒い。朝方は2℃、3℃で日中も13℃ほど。でも日中は天気が良いと窓際に座り、日向ぼっこ。そうすると身体がポカポカ温かくなる。

ポルトガルも武漢ウイルスの死者が秋口から急に増えて、毎日70人、80人と驚くほど急増している。以前は死者が一日、数人に留まっていたのに、なぜか一気に増えた。スペイン、イタリア、フランス、ドイツなども同じように犠牲者が増えている。ここにきてイギリスで強力な変異種が出現して、それは今までのウイルスの数倍の感染力を持っているという。各国が慌てて入国拒否を始めた。イギリスからの旅行者を拒否し、イギリスからの航空機も乗り入れを拒否する国がいくつも出てきた。いつも対応の遅い日本でさえ、今回はイギリスからの入国を拒否した。でもすでにイギリスからの日本人帰国者が3人ほど感染しているのが発見された。本人たちは自覚症状がほとんどないそうだ。同じ機内に乗り合わせた乗客たちも感染しているかもしれない。

ほんとに厄介なことになった。ポルトガル人は知人にあうと、お互いに相手のほほに軽くキスして抱擁する習慣がある。でも武漢ウイルスが流行り出してからは、その習慣は仕方なく止めて、その代わりにお互いの肘を軽く合わせることが流行っている。マルセロ・デ・ソウザ大統領も率先してやっている。日本人の様に頭を下げるお辞儀だけで良さそうなものだが、ポルトガル人にとったらそうもいかなようだ。昨日のニュースで見たのだが、老人ホームに入所している親に会いに来た娘が親と対面するのに、親との間にビニールのカーテンがあり、そこには両腕を差し込める袖の様な立体的な形が作られ、親も娘もお互いにそこに両腕を入れて、ハグをしていた。親も娘も泣きながら抱きしめていた。老人ホームでは今までも集団感染で次々と死者が出ている。感染者の多いイギリスやフランスなど国外に出稼ぎに行っている子供たちが帰国して老人ホームに面会に来ているのが感染源ではないかと疑われている。武漢ウイルスの感染がどんどん広がっていた8月ごろ、他の老人ホームでやはり親に会いに来た娘が二階の部屋にいる母親と面会する方法として、クレーン車のカゴに乗って二階のガラス越しに涙の対面をしていた。それを見て思わずもらい泣きしそうになった。

ポルトガル人は家族のきずながとても強い。でも年を取った親は子供たち家族と同居はしないで、老人ホームに入るのがふつうだ。その老人ホームで感染が広がり、次々に入居者たちが亡くなって行った。

私たちがたびたび行っていたアレンテージョ地方のレゲンゴス。この町の老人ホームもそのひとつだ。レゲンゴスは叔父さんたちのコーラスがある。楽器を全然使わず、アカペラで歌う。声の高低や時々入るソロで引き締めて、地響きのしそうな迫力。聞いているとほれぼれする。おじさんたちはほとんどが年寄りであるが、歌っている時は張りのある声で、生き生きと歌っている。

彼らが元気でいてくれたらと、願わずにいられない。

 

2020年は前代未聞の年でした。私たちが2月末の帰国を諦めてから、いったいいつ日本に帰国出来るのだろうかとじっと我慢をしていましたが、とうとう今日からは新しい年が始まります。ポルトガルでは2020年12月27日からファイザーのワクチン接種が始まりました。まず医者や看護婦さんたちが接種を受けて、1月からは各地の老人ホームで接種が始まるそうです。私たち外国人はずっと後回しになるでしょうけど、じっと待つしかありません。

 

それでは、良い新年をお迎えください。

フェリス・アノ・ノボ!!(新年に幸あれ)

 

 

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170. 近くの森の猛毒キノコ

2020-12-01 | 風物

近くの森は猛毒キノコの宝庫。タマゴテングタケは海外の小学校で給食に混入し20人以上と言うキノコ食中毒史上最多クラスの死者を出した悪魔のキノコ。それが近所の森にはぼこぼこと10数本も固まって生えている。

猛毒のタマゴテングタケ

 

タマゴテングダケ幼菌と完全に傘の開いた成菌

 

タマゴテングダケの成菌と幼菌

 

今までは手前の森に固まって生えていたが、去年森に入ったらいっせいに姿を消していた。

だれか毒キノコの知識のある人が指摘して、撤去したのかもしれない。このごろウクライナ人やロシア人たちが移民として住み着いている。彼らはキノコのことについて詳しいから地元の人に教えたのかもしれない。

タマゴテングダケは薄緑色のきれいなきのこなので、しらない人から見たら、美味しそうなキノコに見えないでもない。しかも成長したら直径20㎝以上にもなるから、目に付きやすい。でも今まで一度もタマゴテングタケの事件は起こったことがないので、みんな知っているのかもしれない。そもそも、今までポルトガル人は野生のキノコは警戒して、食べようとする人がいなかった。しかしこのごろTVのニュースでもキノコ、キノコと料理を紹介している。フランスでは薬局に野原で獲ったキノコを持って行けば、毒キノコかそうでないかを専門家が鑑定してくれるから、安心できるが、ポルトガルにはそうした制度があるかどうか聞いたことがない。だから私たちは森でキノコを見かけても、写真に撮るだけで、食べたことはない。しっかりした知識があればいいのだが、だれか専門家がそばにいて、太鼓判を押してくれたら食べるかもしれないが、それでも数パーセントは怖さがある。日本でもキノコの季節になると、道の駅などで朝どれのキノコを買った人が食中毒にかかったというニュースが流れる。毒キノコの判定は知識のある人でも難しい。それに以前は食用だったキノコが突然毒キノコではないかと判定されるから厄介だ。

やはり野生のキノコは写真を撮るだけにしよう。このごろスーパーマーケットでは乾燥や冷凍のキノコが売っているし、店によってはシメジまで買える。その程度で我慢することにしよう。MUZ

 

 

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