今年の夏は変な天候で、いつもよりずいぶん早い時期に猛暑がやってきたり、8月の半ばに突然雨が降ったりして仰天した。
セトゥーバルではパラパラと通り雨程度だったが、リスボンなどは本格的に降ったらしい。
山火事は今年も多発した。
我が家の周りでも4回も発生して、そのたびに肝を冷やした。
ポルトガルの北部に久しぶりにまた行ってみようかなと、かなり前から思っていたのだが、そのあたりは毎年山火事が多発するので、いつも取りやめになっていた。
私たちの旅は小さな村や町などを訪ね歩くので、山道を走ったり、森の中を通ることが多くなる。
そんな時に山火事が起きたら、火がどの方向から迫ってくるのか、いや、山火事が発生しているのも知らないで、走っていることだろう。
そんな心配をしなければならないほど頻繁に山火事が起きているし、消火活動をしている最中の消防士達でさえ火に囲まれて亡くなる事件が毎夏、数件起こっているのだから。
8月も半ばを過ぎると急にさわやかな空気が漂い、山火事のニュースもほとんど聞かなくなった。
北部の山火事もどうやら収まったらしいので、ちょっと出かける気になって、ガイドブックを見ると、ヴィアナ・デ・カステロでちょうど祭をやっている。
町のツーリスモ(観光案内所)に問い合わせたら、第3日曜日の今日が祭の最終日だというので、急いで出発した。
北部に行くに従って、高速道路の両脇に山火事の黒々と焼けた跡が目に入ってきた。
それも一箇所や二箇所ではない。
道の両脇が広い範囲で燃えているのに、道路自体は何のダメージも受けていないのはちょっと不思議。
家を出発して、5時間半かかってやっとヴィアナ・デ・カステロにたどり着いた。
祭はその1時間後、夜の9時半から始まった。
伝統的な民族衣装を着た人々のパレードが終わると、大規模な花火大会が始まり、夜中の1時過ぎまで続いた。
翌日、少しずつ南に下ることにしてバルセロス、ブラガに寄ってギマラエスに泊ったのだが、ブラガの郊外の村からは「セラ・ド・ジェレス」の黒く焼け焦げた山肌が見えて、痛々しかった。
私たちはこの山から沸き出るミネラルウォーターを飲んでいる。
スーパーで売っている水をいろいろ試した結果、ジェレスの水が気にいって、それ以来ずっと飲んでいる。
だけど今回、7日間も燃え続けた山火事の影響が出るのでは…と少し心配。
アマランテからぺナフィエルに寄った。
この町からさらに小さい田舎道をたどる予定で、ちょっと休憩したのだが、思いがけなく町の博物館が目に付いた。
麻の織物や陶器など伝統的な物の他に発掘品の展示コーナーもあり、興味深かった。
ここでもらったパンフレットの中に「モンテ・モジーニョ」というのがあり、走っている途中で、その看板が目に留った。
ちょっと脇道にそれて、案内板に従って走ると、両脇はぶどう棚が広がる小高い丘になった。
ミーニョ地方からこのあたり一帯のぶどうは棚に枝をはわせて栽培している。
特産のビーニョ・ヴェルデ(発泡性ワイン)用のぶどう畑だ。
モンテ・モジーニョのぶどう棚
ぶどう畑を過ぎて、道は空地に突き当った。
どうやら「モンテ・モジーニョ」の駐車場らしい。
向こうに展示場らしき白い建物が見えるが、ぴったりと閉まっていて、人の気配がない。
その左側のずっと奥にもう一軒、大きな建物がある。
犬の声がしたのでそっちに行くと、犬3匹と小さな女の子がひそっと顔を出した。
声をかける間もなく、女の子は姿を消し、かわりに母親らしい女性が出てきた。
大きな犬3匹はどう猛そうな顔で吠えながら、私たちのクルマに近づいてきたので、その女性に物を尋ねるのに、車の中から声をかけることになった。
いくら犬好きの私でも、興奮した3匹に囲まれてはたまらない。
「モジーニョとは、どこにあるのですか?」
「クルマをここに置いて、あそこの小道を歩いて登った所です。ちょうど今、夫がそのあたりで片付けをしているはずですよ」
教えられたようにクルマを置いて、崖を上ると、周り一面の森が黒こげになっている。
山火事がこんな所でも起きていた!
この広い駐車場のおかげで、二軒の建物やぶどう畑には燃え移らなかったようだ。
でも山道の両脇は黒焦げの立木が並んでいる。
しかし不思議なことに、葉っぱの一枚まできれいに枝についた状態で残っている。
葉っぱはちりちりと燃えて、真っ先に灰になって落ちるはずなのに?
黒焦げの森の中から子供の声が聞こえてきた。
5歳ぐらいの女の子と3歳ぐらいの男の子が朗らかに喋りながら姿を現した。
モジーニョのことを尋ねると、「すぐそこよ。お父さんがいるよ」と指さした。
二人とも顔がほっそりとして、髪の色も少し金髪みたいだ。
セトゥーバルやアレンテージョなど南の方ではムーア人的、丸顔、黒目あるいは茶色がちの人が多いが、北の方はほっそり顔で、うす青系の目をしたタイプを時々見かける。
森を抜けた丘の上には石組みの遺跡があった。
入口の所でカツカツとクワを使って石畳の間の草取りをしている男性がいる。
さっきの子供たちの父親で、モジーニョの管理人らしい。
遺跡の周りは広範囲にまっ黒く焼けて、凄まじいほどだ。
遺跡も猛火に包まれたのだろうが、石組みだけなので燃えるものはなく、山火事の影響はなさそう。
管理人の話ではつい15日前に山火事があったのだという。
山火事に遭って黒焦げのユーカリ林とモンテ・モジーニョのローマ遺跡
遺跡は紀元後1世紀から4世紀のローマ人の集落で、装飾品や土器や石像の一部などがここから発掘された。
発掘品はぺナフィエルの博物館に展示してある。
私たちはそれをすでに見てきたのだ。
モジーニョを出て、田舎道を走り、ドウロ川を渡って、さらに南に下った。
その間も山火事の跡をいくつも見た。
去年あたりの山火事の跡には、黒く焦げたユーカリの根元から新しい枝がたくさん伸びて、銀色の葉をゆらしている。
別の焼け跡では焦げた木を伐採して積み上げてある。
よく見ると、焼け焦げたのは表面だけで、中味はちゃんと使えそうな木材だ。
あちこちの山火事の跡を何ヶ所も見たが、ユーカリは強い!
同じ場所の松やコルク樫はダメージがひどくて枯れているものがほとんどだったが、ユーカリだけは根元からも、枝の途中からも勢いよく新葉を繁らしている。
再生力というか、生命力の強さには感心する。
MUZ
2006/08/31
©2006,Mutsuko Takemoto
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(この文は2006年8月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)