我が家の真下の部屋はずいぶん前から空き部屋になっている。ところが数日前から天井の張替工事が始まった。ゴンゴンガンガン、天井の漆喰をたたき割る音が響き、次はバリバリバリとドリルの音が始まった。下の部屋の天井は、つまり我が家の床であり、どの部屋に行ってもすごい振動がして、とてもひどい状態になった。
「逃げ出そう」
さて何処へ!
とにかくクルマに乗り込んで出発。
北へ行こうか、東へ行こうか、いや、西へ行こう。
我が家のキッチンから、晴れた日の夜は、トロイアの向こうにシネスの赤い炎が時々見える。
それは巨大煙突から立ち上る炎だ。
シネスは石油精製のコンビナートがある。そこの煙突が炎をだしているのだ。
シネスは古い町並みも残っているし、何といってもインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの銅像が立ち、大西洋のはるか遠くを見つめている。シネスはヴァスコ・ダ・ガマの生誕地だ。
久しぶりに訪れたシネスは、まるで知らない町のように変わっていた。入り口に大規模のショッピングモールができて、主なスーパーマーケットがずらりと並んでいる。おかげでトイレ休憩はどこでも行ける。
セントロの標識を目指して進むと、思いがけず駅舎が現れた。駅舎の壁は美しいアズレージョで、シネスの海岸などが描かれている。今は使われていず、当時の線路の一部が残っている。隣にある貨物倉庫はモダンなレストランになっていて、ちょうど昼時だったので、人々が次々とやって来た。
美しいアズレージョで飾られたシネス駅
シネス駅は1936年に発足し、旅客輸送に加えて、小麦、木材、コルクなどの地域製品、そしてその後Cercal do Alentejo鉱山で採掘された鉱石を輸送した。しかし1990年代半ばに残念ながら線路も駅も閉鎖された。シネス駅の駅舎などは現在Sines School of Artsなどで管理されているそうだ。そのおかげで壁などに落書きもなく、綺麗な駅舎を観ることができた。
セントロには城跡がある。小規模な城で、城壁しか残っていない。しかし城壁の上を歩くことができる。そこに上ると、シネスのビーチが下に広がっている。そして城壁の下にヴァスコ・ダ・ガマの銅像が見えた。
ヴァスコ・ダ・ガマの銅像と漁港
ヴァスコ・ダ・ガマの銅像
ヴァスコ・ダ・ガマの銅像の場所に降りていくと、かなり高い場所に立っている。はるか下の方に白い砂浜が広がっている。ビーチの終わりに漁港がある。
昔シネスに来た時は、漁港に人だかりがしていて、好奇心に駆られて行ってみると、桟橋の上でたくさんの人々が釣り糸をたれていた。横に置いてあるバケツをのぞくと、まるまる太った鯖が何匹も突っ込んであった。釣り竿はそこらで切ってきた竹(ダンチク)で、えさは小さな小鯖だった。シネス湾に鯖の大群が押し寄せていたのだ。忘れられない思い出だ。
ヴァスコ・ダ・ガマの銅像からビーチまでいくのに長い階段を降りて行かなければならない。シネスの街は断崖の上にあるのだ。
シネスの旧市街
昔に比べてビーチは公園として立派に整備されて、ベンチに座って海を見晴らすと気持ちがゆったりする。
そこから階段を降りると、砂浜が広がり、波が静かに打ち寄せる。散歩をする人も少なく、カモメだけが騒いでいる。波の届かない砂浜の奥には黄色とピンクの花々が広がっている。オキザリスとカーキレマリティマが群れ咲いていて、そこだけはもう春がいっぱいだ。
そろそろ町に戻ろうと思ったが、さっきの階段を登るのはうんざりだ。降りる途中ですれ違った旅行者はビーチから上がって来たらしく、ひどい息切れで苦しそうだった。
漁港の前に崖に沿って垂直に奇妙なものが立っている。それは上の街とビーチを繋ぐエレベーターらしく、見ていると、観光客が数人乗っていた。私たちもさっそくそれに乗って、あっという間に崖の上に着いた。これは便利だ。私たちと入れ替わりに、釣り竿を持った老人がエレベーターに乗り込んだ。上から眺めていると、老人はビーチに着くと公園の手すりに座って釣り糸を垂らした。潮が満ちてその場所から釣りができそうだ。老人は毎日のようにその場所から釣りを楽しんでいるのだろう。
エレベーターを出た辺りは旧市街が広がり、何処を取っても絵になる風景だ。スケッチをしながら歩き回っていると、あちこちで古い家をリメイクする工事をしていた。きっとここでも隣に住んでいる人たちは騒音に悩まされているに違いない。
ポルトガルはこのごろ景気が良いらしく、何処に行っても古い家をリメイクする工事の騒音が鳴り響く。MUZ