セトゥーバルの町外れ、湿地帯が広がるモウリスカ地区に小さな博物館がある。
ずっと以前にも、2回ほど訪れたことがある。
この博物館は、とても変っている。
サド湾の潮の満ち引きを利用して水車を動かし、その動力で粉引きをしていた水車小屋だった。
それを再現している。
初めて行った時、そんなことは全然知らなかったのだが、係員の説明で、潮の満ち引きを利用したものだと知った。
風を利用して粉を引く風車はポルトガルのあちこちにあるし、小川に架けられた水車もたまに見かけたが、潮の満ち引きを利用した水車は珍しい。
1600年代に造られたそうだ。
身近にある自然の力を動力として利用する、昔からの知恵である。
水門のこちら側に小さな干潟があり、外側のサド湾とは1メートル以上の段差が付いている。
満ち潮になると、サド湾からその干潟に向ってごうごうと勢いよく水が入ってきて、引き潮になると、こんどは反対に干潟からサド湾の方向に水が出て行く。
その潮の流れの力を利用して水車の歯車を動かす仕組みになっている。
博物館の受付には女性が二人いて、入場料が必要だった。
確か3ユーロだったと思う。
私達以外は入場者はいない。
国道からかなり入り込んだ場所にあるので、めったに訪問者は来ないのだろう。
私達も博物館があるとは知らないで、対岸にあるガンビアに飛来するフラミンゴの群れがひょっとしてこちら側から見えるのではないかと、別な動機でモウリスカに来たのだった。
右側の部屋にはかなり大きな粉引きの装置がずらりと並んでいて、壁際には説明のイラストが張ってある。
床の一部がガラス張りになっていて、中から潮の流れが観察できるようになっていた。
左の部屋には塩田などで使う様々な道具が写真のパネルと共に展示してある。
人のめったに来ない小さな博物館である。
先日、久しぶりにモウリスカを訪れた。
以前に比べて周りの様子が変っている。
干潟の縁には立派な木製の手すりができていて、干潟の中ほどに新しい小屋と、小屋までの木製の歩道が作られている。
干潟に集まる野鳥を観察するバードウォッチングの設備。
以前には何もなかったはずだ。
でも博物館のドアはぴったりと閉まっている。
もう開館時間をとっくに過ぎているのに。
ドアには張り紙もなにもない。
博物館の建物は湿地帯に突き出すように建っている。
その脇は簡単な水路で、素朴な桟橋があり、小型の漁船が数隻舫っている。
その中の白いモーターボートを手入れしている漁師風の男に尋ねたところ、博物館はこのごろはほとんど閉まっているが、たぶん土曜日には開くだろうとのこと。
ポルトガルの不況がこんな所にまっさきに現れる。
ほとんどだれも来ない博物館は、人件費も光熱費も自前では払えないだろうし、管轄しているセトゥーバル市も予算が少なくなっているのだろう。
博物館のドアが開く様子もないので、しかたなくバードウォッチング小屋へぶらぶらと歩いて行った。
粘土質の土手には松の板が敷き詰められ、両脇には塩水を好む様々な草がびっしりと生えている。
3センチほどの濃色の赤とんぼが無数に飛び回り、まだ若々しいカマキリが一匹だけ、草むらにしがみついていた。
突然がやがやと賑やかな声が聞こえてきた。
一台のバンから人が次々と降りてくる。
ほとんどが年配の女性達で、それぞれバケツを持ち、麦わら帽子を被り、長靴をはいているようだ。
十数人もいる。
今、引き潮なので、このあたりで貝を採るのだろうか。
彼女達は桟橋の近くに腰掛けているので、近づいていろいろ尋ねた。
今日はポルトガル語をパーフェクトに喋る友人が一緒なので、ラッキーだ。
彼女達が貝掘りを始める様子がないので、今から何をするのかと尋ねると、ここの船に乗って、他の干潟に行くのだという。
「そこに行って、どんな貝を採るの?」
「貝ではなくて、~だよ」
「~て、何?」
「海のミミズですってよ」と友人が通訳してくれる。
「陸のミミズと同じなの?」
「ナウン、ナウン、とんでもない」
と女性達が笑う。
「イスカ、イスカ」
ここで初めて判った。
釣具屋の店先に「ha isuca」と張り紙があるのをよく見かける。
釣りの餌なのだ。
その時、白いボートの持ち主が、足元の泥の中から何かをつまみ出して石の上に置いた。
石の上でうごめいているのは、ゴカイだ。
彼女達はこれを採りに船に乗って行くのだ。
ボートの親父さんが太い腹を揺すりながら、言った。
「ここで採ったイスカは飛行機でフランスやイタリアに運ぶんだよ」
そうしているうちに、さっきのバンがまたやってきて、さらに10人ほどの女性たちが現れた。
腰掛けていた女性達はそれを待っていたのだ。
みんなぞろぞろと船に乗り、瞬く間に細長い船は満員になった。
日本製のモーターエンジンが勢いよくうなり、溜まり水のように細い水路を、外の干潟に向けてそろそろと出て行った。
女性達は総勢20人ほどもいるだろうか。
それぞれバケツをしっかりとかかえて、私達に手を振りながら遠ざかって行く。
帰りにはあのバケツにいっぱいのイスカをぶら下げて船から下りてくることだろう。
そのイスカは飛行機に乗ってフランスやイタリアに運ばれ、
釣りの餌となって地中海の魚に食べられる運命だ。
このひと気のないモウリスカの湿地帯に生まれ育ったイスカたちが遠い地中海で餌となるとは、ちょっと感動的だ。
MUZ
2012/09/28
©2012,Mutsuko Takemoto
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(この文は2012年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載します。)