モイタの露店市は毎月第4日曜日に開かれる。6月、7月、8月とたて続けに出かけた。
6月に出かけた時は3年ぶりであった。今までコビット19の影響で人混みのなかに出かけるのは用心していた。でも最近はコビットのニュースは消えてしまった。
6月下旬にしてはずいぶんと涼しく、上着をきっちりと着ていった。
金網で覆われた元どぶ川。鴨が5羽泳いでいた。
モイタはガラッと変わっていた。露店市の真ん中を流れるどぶ川といってよいほど淀んでいた川が大工事の真っ最中。川を覆いつくすように茂っていた葦やそのほかの草は全て取り払われ、川の護岸も川底さえもすべて石が敷き詰められて、それを金網で覆いつくしている。
今まであった仮設テントの食堂も全然見当たらない。食堂があった場所が工事の資材置き場になっている。露天の出店も数が少ない。
護岸工事が終わった場所では鴨の一家がのんびりと泳いでいた。
川にかかった橋を渡ったもう半分の場所には2軒の食堂が営業していた。その内の一軒でちょうど席が空いたのでその店で食事をすることにした。珍しいことにイワシが並べてある。露店市でイワシの炭火焼きをしているのは初めて見た。以前から露店市で なぜイワシの炭火焼きをやらないのかと思っていたが、これはひょっとして、今だけかもしれない。
6月はあちこちで祭りをやっている。なかでも有名なのがリスボンの「サン・アントニオ祭」アルファマ地区で仮設テントを設置して、炭火コンロでもうもうと煙をだしてイワシを焼く。それをパンに乗せて手で摘まみながら地元住民や観光客が食べる。
同じ様な祭りが北部の町、ポルトでもある。ポルトは「サン・ジョアン祭り」といって、祭りの名前が異なる。町の守護神が異なるのだ。でもポルトもイワシの炭火焼きで盛り上がる。ポルトでは人々がニンニクの花を持って歩き回る。ニンニクから育った1メートルほどの茎に紫色の丸い花が付いていて、それをすれ違う人々のだれかれ構わず相手の頭にそっと触れる。無礼講だ。でもそうされた人は嬉しそうに笑いながら自分も相手の頭めがけてニンニクの花をかざす。魔よけの儀式かもしれない。今ではニンニクに代ってプラスティック製のハンマーが定着している。それですれ違う人のあたまを軽くたたくと、ピコピコと面白い音がでる。ハンマーの名前はそのものずばり「ピコピコ」
「ピコピコ」がニンニクの花に代わって主流になってしまった。でも魔よけの力はたぶんないだろう。
橋を渡った反対側にあるモイタの露店市食堂
8月の第4日曜日、モイタの露店市の食堂ではイワシの炭火焼きはもうやっていなかった。残念だがしかたがない。代わりにエントレメアーダの炭火焼きを注文した。スカスカパンに豚肉の三枚肉がたっぷりはさんである。それとソッパ。野菜がどっさりと入ったスープである。肉と野菜をたっぷり食べて、ノンアルコールビールで乾いた喉を癒し、デザートはぷわーとふくれたモロトフを注文。いつもはデザートは食べないのだが、カウンターの側にすわっているおばさんたちが注文したのを見て、ついつい頼んでしまった。
目の前に出されたモロトフは皿からはみ出しそうにでかい。しかも最後の注文だったらしくおまけつき。苦みのきいたエスプレッソと甘いモロトフは美味しいのだ。
隣の席には老人が一人で座っている。老人の席に運ばれてきた料理は煮込み料理。豚肉の塊とチョリソとビコ豆などとたっぷりの野菜。皿いっぱいにあふれそうに盛られている。年寄り一人で食べるには多すぎる量だが、それは日本人の感覚で、ポルトガル人にとっては何のこともないだろう。足つきのワイングラスに入った赤ワインをウェイターがボトボトこぼしながら運んできた。老人は大声で文句を言いながら、「パンを一切れ持って来てくれ」と言う。運ばれてきた一切れのパンを細かくちぎりながら、老人はビコ豆の煮込みをスプーンでひと口ずつ口に入れる。そうしてゆっくりゆっくり食べながら、しまいには山盛りの料理はすっかりきれいにかたづけられた。
他の席でも老人が一人で食事をしている。みんな申し合わせたようにビコ豆の煮込み料理だ。どこも奥さんの姿が見当たらないから、一人暮らしの夫たちかもしれない。
©2022/09/01 MUZ