ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

174. まぼろしの野性蘭

2021-04-01 | エッセイ

シャンパーニュシイの花(2021年3月26日、セトゥーバル郊外で撮影)

 

 たしか10年前だったと思う。いつもは二人で一緒に出かけて野の花観察に行くのだが、その日は日本に帰国前日ということもあり、私がぐずって出掛けるのを嫌がった。しかたなくVITは一人で近くの山に出かけたのだが、帰って来るなり「すごい発見や。初見花がみつかったで」と興奮状態。さっそくデジカメを見ると、そこには今まで見たこともない新顔のランが写っていた。しかも一本ではなく、数十本も群生している。その花は道路から外れた人目の付かない草むらに咲いていたという。しかし、隣の農家の犬に吠えられて、そうそうに帰って来たらしい。犬に吠えられるのは嫌なものだ。何も悪いことをしているわけではないのに、落ち着かない。野草を観察して、写真を撮っているだけなのに。私たちは決して花に触ったり、匂いを嗅いだりもしない。まして花を切り取ったり、掘り上げて持ち帰ったりはしたこともない。それどころか、写真写りを良くするために周りの枯れ草を取り除いたりして、綺麗に掃除をしてから写真を写す。VITがひっしに掃除をして写真を写したあと、私が写真を撮る。写真の出来栄えは?もちろんVITの写真が素晴らしい。しかも小さな普通のデジカメで撮っているのだ。

 翌年、その野生ランを観察にいったところ、なんと一本も無かった。あれだけ群れて咲いていたランが一本も見当たらなかった。不思議なこともあるものだ。その後も毎年同じところに見にいっているが、全然ない。ひょっとしたら、業者がそのランを根こそぎ取っていったのではないだろうか。

 その野生ランの名前はシャンパーニュシイという。その場所で一度見たきりで、忽然と姿を消し、他のところでも一度も見たことがない。まぼろしの花だ。

 ところが今年、意外な場所で出会った。ちょっとした山の尾根道を走っていると、道端に赤紫の花がすっくと立っていた。「あれ!」何だか予感がした。急いでクルマをバックして確認すると、それは「まぼろしの花」だった。それも一株だけ。しかし高さ20センチほどで、すっくと立っている。あれほど探していたランが、山道とはいえ、目立つところに咲いている。

 VITがさっそく周りの枯草取りを始めた。枯草を取り除くと、ますます目立つようになった。撮影を終えると、周りにないかと探し始めた。すると少し離れた場所に数本あり、トゲトゲの草に守られて咲いていた。

 来年はもっと増えるかもしれない。10年前に見た群落を又見られるかもしれない。

 数日後、再びその場所に行ってみると、シャンパーニュシイは見当たらなかった。VITが花の周りをきれいに掃除して目立つようになったから、通りがかりの人が花を手折って持って行ったようだ。折られた茎のあとが無残に見える。でも株は残っているから、きっと来年は見事な花が咲くだろう。

 今まで私たちは毎年2月終わりに日本に帰国し、5月の末にポルトガルに戻って来る。いつもほとんど同じような時期に帰国していたので、3月にはポルトガルにいなかった。ところが2020年、2021年とコロナウィルスが蔓延して帰国を断念せざるを得なかった。

 2020年3月はポルトガルでは自宅待機で、一歩も外出できなかった。野の花観察に近くの山でさえ行けなかったのだ。この時、思い切って出かけていたなら、去年の時点で、「まぼろしの花」を発見していたかもしれない。そう、まぼろしの花は3月に開花していたのだ。

 

道端に咲くシャンパーニュシイ(2021年3月25日、セトゥーバル郊外で撮影。翌日には手折られて花はなかった。)

 

 2021年3月は近場の山に出かけた。そしてとうとうシャンパーニュシイが開花しているのを見つけたのだ。思い返せば、これもコロナウィルスでポルトガルから出られなかったせいかもしれない。MUZ

2021/03/30

 

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