ポルトガルのえんとつブログ

画家の夫と1990年からポルトガルに住み続け、見たり聞いたり感じたことや旅などのエッセイです。

015. 焼き栗、恐い!

2018-10-31 | エッセイ

おお~、恐い!
栗(カスターニャ)の季節がまたやってきたのです!

街を歩くとどこからともなく焼き栗の香ばしい煙が漂ってくる。
秋の香り、食欲をそそる匂いです。

荷車に炭火のカマドを積んで、町角でパチパチと火を起こし、栗を入れた素焼き(セトゥーバルではブリキ)の壷をその上にかけて焼く。
栗のひとつひとつにナイフで切り目を入れて、粗塩と一緒に入れて、時々ガラガラと音を立てて壷を揺さぶっている。

この音と、もうもうと立ち込める煙の匂いをかぐと、もうたまらない!
いつのまにか足がそそくさと焼き栗屋の方向へ引き寄せられてしまう。
一ダース、つまり12個単位で売っている。
焼き立ての熱々を古い電話帳をちぎった紙でクルクルと包んでくれる。

冬のどんより曇った寒い日などに買うと、たまらない!
熱々の焼き栗を両手にしっかり握って、公園のベンチに腰掛けて食べる。
ホコホコと身体の芯に灯がともる。

切り目の入った焼き栗は渋皮ごとパリッと割れるからとても食べやすい。
でも気をつけないと時々虫の入ったのもある。
時々というより毎回のように、虫やカビの生えた悪い栗が混じっている。
12個中の2個か3個も入っていることがある。

焼き栗の値段もずいぶん高くなった。
このごろは栗の季節になるとメルカドで一キロ買って、我家で焼くことが多い。

買ってきてすぐはまだ生栗なので、焼いても甘味が少ない。
そこで日当たりのいい窓辺に並べて2~3日、日光浴をさせる。
すると身が引き締まって、甘味がぐんと増す。
ここで焼き栗屋を見習って、栗のひとつずつに切り目を入れる。
それからいよいよ焼くことになるが、我家はマンションなので炭火焼きはこのごろ自粛している。
なにしろ今年は特にポルトガル全土で山火事が猛威を奮った。そんな時にベランダで炭火を起こすわけにはいかない。
ガス火で焼き栗! 
ちょっと味は落ちるけど仕方がない。

ここで登場するのがシャッパス。
表面が波状のぶ厚い鉄板で、取っ手が付いている。
これがすごい優れもの。
朝のトーストや焼きピーマン、そして焼き栗。
我家で使うのはこんなものだが、魚やステーキなどもきれいに焼けるという。

熱したシャッパスの上に切り目を入れた栗を並べて、その上に素焼きのどんぶり鉢を被せる。
これが我家のくふうですね。
どんぶり鉢に覆われて、熱は満遍なく栗に降りそそぐ。
4分経ったら栗をひっくり返して、さらに4分。
するとホックホクの甘い焼き栗のでき上がりです。

お茶と一緒に、はたまたビールのおつまみに、美味い!

でもご用心!
焼き栗の季節になるとわたしの肥満度がグンと上るのです。
こ、恐い!

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年11月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.029. 黒豚絵柄オリーヴ入れ Azeitoneira

2018-10-31 | 飾り棚

直径14cm

 このオリーヴ入れを見つけた時はおもわず笑ってしまった。
 黒豚の絵柄も珍しいけど、灼熱の太陽にさらされながら野原をさまよう黒豚の姿。
 それを見て思い出した。

 アルフレッドの農場に行った時のこと、その年に生まれた子羊ばかりが入っている畜舎を見学した。
 その畜舎の隅で二頭の黒豚の子供が戯れていた。
 たぶん親豚の目を盗んで出歩き、ふらふらとここへ迷いこんできたのだろう。
 それを見つけた牧羊犬が突然血相をかえてその子豚に突進を開始した。
 2頭の子豚はびっくり仰天して、凄まじい悲鳴と共に表にすっ飛んで行った。
 牧羊犬は子豚を親豚の所に戻そうと使命感に燃えて、その後をどこまでも追っかけて行った。
 アルフレッドと奥さんのアンナ、私たちは大笑い。
 牧羊犬の恐怖はあるとは言えこの農場の黒豚たちは実に自由に暮らしている。

 アレンテージョ地方のバランコス一帯は黒豚の産地として有名だ。
 その辺りをクルマでドライブすると時たま黒豚の遊牧に出会う。
 まるで羊飼いの様に一人の老人が一匹の犬を連れて4~50頭の黒豚を遊牧している。
 餌はコルク樫のどんぐりやオリーヴの落ちた実などなのだろう。MUZ

©2018 MUZVIT

 


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014. バガボンドのように

2018-10-30 | エッセイ

 セトゥーバルには「サン・フィリッペ」というお城がある。
 そのうしろにはアラビダ山が見える。
  夕陽は毎日アラビダ山のうしろに沈み、雨雲はアラビダ山の向こうから、まるで煙のようにモクモクと湧いてくる。

  アラビダ山は石灰岩の塊だ。
 すそ野には無骨なセメント工場が張り付いて、せっせとアラビダ山を削っている。

  頂上にはアラビダ修道院がある。
  今はもう修道院としては使われていないが、数年前、セトゥーバルに住む画家達が招待されて修道院を描く企画が催された。
その時初めて私達は修道院の敷地や内部をじっくり見ることができた。

  山の斜面を切り開いた広大な敷地には教会を中心に大きな建物がいくつもあり、自給自足のための畑や果樹園もあった。
  その周りの崖の道を歩いて行くと、人一人がすっぽりと入れる小さな小屋があちらこちらにぽつんぽつんと隠れるようにあった。
修道僧たちがそこにこもって瞑想をした小屋である。

  そこからははるか下の方に大西洋が見える。
  晴れた日には真っ青な海、早朝には真っ白な霧があたりを埋め尽くし、まるで雲海のようになる。
世俗を離れて修業と瞑想に励む修道僧達が住むにはもってこいの場所だっただろう。

  アラビダ山は石灰岩の山、洞窟なども多い。
  その洞窟に一人の男がもう二十数年間も住み着いているというニュースを見た。
六十歳代のその人は一匹の犬と一匹の猫、十二匹のカタツムリと一緒に洞窟の中で暮らしている。

  洞窟の入口には家の番地が張ってあったりして、余裕というかユーモアというか…。
壁には掃除用の箒などがきちんと掛けてあり、男の身なりもこざっぱりとしている。
どこから見ても普通の農夫にしか見えない。
ただし、二十数年間も洞窟に住んでいるというのが変わっている。

  案外と洞窟暮らしは夏涼しく、冬暖かくて、過しやすいのかもしれない。
でも冬は雨や嵐が多いし、何といっても山の中である。
下界に住んでる私たちの部屋でさえ、冬の雨の日などはしんしんと底冷えがするほどだから、きっとアラビダ山は寒風が吹きすさぶことだろう。
それでも長い年月洞窟暮らしを続けてきた精神力はすごい!
まるでアラビダ山の仙人みたいだ!

  アラビダ山の仙人に負けず劣らずの男を一人知っている。
私たちの友人の大きなキンタ(農園)で畑の世話をしている男だ。
彼は近所のドイツ人のキンタの世話をしていて、いつのころからか友人のキンタも手伝い始めた。

  彼もそうとう変わっている。
というのは、ドイツ人の敷地内に彼用の小屋を与えられているのに、家の中にはほとんど住まず、庭の片隅に小さなテントを張ってそこに寝泊りしている。
雨が降っても風が吹いてもテント暮らしが好きらしい。
友人のキンタに手伝いに来ても、やっぱり庭の隅っこにボロボロのテントを立てている。

  家も家族も財産も持とうとせず、それを気にかける様子はさらさら無い。
何もよけいな物を持たず、身体に贅肉も付かず、澄んだ目をして、素朴で明るい。

  彼らのような生き方をする人は昔からいた。それを「バガボンド」と呼ぶ。
普通の生活をしている人たちからある種のあこがれを込めて、昔からシャンソンなどでも歌われてきた。

  でもなかなか彼らのようには実行できない。
それを淡々と実行している彼らは一種の修道僧か、仙人ではないかと思えてきた。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年10月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.028. 素焼き水差し Jarra

2018-10-30 | 飾り棚

高さ 28cm

 セトゥーバルの夏の風物、サンチャゴ祭の陶器市で見つけた。
 以前に登場したふたつき土鍋と同じ窯元、北の町バルセロスの産。
 ポルトガル各地に伝わるレース編み模様の様な柄とどっしりと安定感のある形が気に入っている。
 たっぷりの水を入れると重くて片手では持ちきれない。
 我家では花瓶として使っているが、薔薇をたくさん生けたり、大きな向日葵とか百合を生けるにはちょうどよい。MUZ

©2018 MUZVIT


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013. 屋根からの訪問者

2018-10-29 | エッセイ

今年の夏は今まで経験したことのない暑さと山火事に見まわれた。
いつもの年だと八月の始めごろに一週間か十日ほどだけ、湿気をおびた猛暑に襲われる。
その間人々は窓を閉め、よろい戸も降ろし、外の熱気が部屋の中に入らないようにして過している。
その短い期間さえやり過ごすと、あとはヒンヤリと心地よい風が吹き始める。
そうなるともう扇風機さえいらなくなる。

ところが今年は違った。
七月末から八月半ば過ぎまで三週間近く毎日毎日、湿気と猛暑。
おまけに全国各地で大規模な山火事が発生して、猛暑にますます拍車をかけてひどい災害になった。

我家のベランダの東側には松林がまだ残っている。
その松の枝が毎年ぐんぐんと伸びておまけに下からの強風に押されて斜めになりベランダに迫っている。
もし火事でも発生したら、すぐに我家にも燃え移る恐れが大きいので、消火のために長いホースを買おうかとさえ思っていたほど。

防火のためにはこの松林は無いほうがいい。
でもこの松林は小鳥たちにとっては大事な場所なのである。
北側にある屋敷の松林はこの数年の間に雷が落ちたり、強風で松の木が折れて煙突が割られたことと、近くで火事があったりした後、一本残らず伐採されてしまった。
おかげで雀たちのねぐらがすっかり無くなった。
この周りでは我家のベランダの東側の松林だけが小鳥たちにわずかに残されたオアシスだ。

今年日本から帰ってきたら、南側のベランダの下に広がる草地は跡形も無く取り払われていた。
今はもう砂漠のように砂地がむきだしている。
風が吹くと砂がもうもうと吹き上がる。
困ったものだと思いながら、毎日見るともなく見ていた。

その砂地に毎朝誰かがパンくずを撒くようになった。
鳩が少しずつ集り始め、だんだんその数が増えている。
ある朝、買い物カゴと水の瓶を抱えてやってきた人がいる。
西側の三階の窓からいつも洗濯物を干しているおばさんだ。
彼女は前から置いてあったプラスチックの容器を軽く洗い、そこに新しい水をそそぎ、買い物カゴから取り出したパンくずを周りに撒いた。
パンくずの量もかなりのものだ。毎日の残り物にしては多すぎる。
パン屋の商売でもしているのだろうか?と思えるほどだ。

それをじっと見ている者がいた。
私の他にもう一匹いたのである。
ジョニ黒だ。フィリッパのとこで飼っているチビテリアである。
今朝はもう散歩に出されたらしい。
ジョニ黒はおばさんがいる間は遠くの方から見ていたが、おばさんが行ってしまうとちょこちょことパンくずの方へやってきた。
あまり食べる気もなさそうなのにクンクンと匂いを嗅ぎ、ひとつふたつ食べてからのそのそと立ち去りかけて、何を思ったのかまた戻ってきた。
そして今度はむしゃむしゃと本格的に食べ出した。
あれでは鳩の食べる分が無くなってしまいそうと私は心配になったが、そのうち食べるのに飽きたのかジョニ黒はどこかへ行ってしまった。
ジョニ黒のいる間、ちょっと離れた電線の上にじっと止まっていた鳩達が次々と降りてきた。
最初の一羽が決心して降りると他の鳩達もそれに続く。
その中に「パロマ」も混じっている。

パロマは私が名付けた白い鳩である。
今年の冬、雨が降り続いたある日の夕方、ベランダでバサバサという耳慣れない音が聞こえた。
窓を開けて見ると、一羽の白い鳩が片隅にうずくまって震えていた。尾の先だけが黒い。
まだ幼鳥らしく、身体も小さく痩せていた。それに左の羽が少し変だ。傷を負って弱っている。
「どうしよう、どうしよう」と私はうろたえた。
ビトシがダンボール箱を持ってきて、とりあえずその中に入れることにした。
白い鳩は二三度抵抗して逃げようとしたが
体力が無いらしく、なんとか捕まえて箱に入れ、部屋の中に置いた。
外に置くと傷ついた鳩は寒さで死んでしまう恐れがあった。
パンくずと水の入った容器とを箱の中に入れても、鳩はじっとうずくまったままで食べようともしない。
次の朝、少し元気がでたようでパンくずをちょっとだけついばみ、緑色の糞をした。
朝日の照り始めたベランダに箱ごと出して様子を見ることにした。元気が出たらどこかに飛んでいくだろう。
しかしその日は一日中、鳩は箱の中でじっとうずくまり、時々立ったりするだけだった。
その夜はまた部屋の中に入れて、次の朝もベランダに出した。
するとかなり元気を回復した様子でパンくずを食べ始めた。
そしてそのあとバサバサとぎこちなく飛び、ベランダの手すりの上に止まってじっとしている。
ひょっとしたら飛ぶのが恐いのかもしれない。
たぶん屋根の隙間に巣があって、そこからの初飛行に失敗してベランダの隅で震えていたのだ。

我家の屋根には様々な鳥たちが巣を作っている。
以前はツバメたちが子育てをしていた。
巣立ちの時期にはヒナたちがよたよたと飛行訓練をして、
そのまわりでは先生役の大人ツバメがチチッチチッと声をあげて指導をしていた。
「ツバメの学校」が開かれていたのだ。
鳥たちは巣立ちの時、難なくすんなりと空を飛べるものだと私は思っていたのだが、そうでもなさそうだ。
「ツバメの学校」をずっと見ていたら、上手下手の差がずいぶんある。
同じ様なヒナでも、最初からスイスイとスマートに飛べるかっこいいヒナと、恐怖心いっぱいでよたよたと失速してかろうじて木の枝にしがみついているドンくさいのもいる。
ツバメのヒナも一度ベランダに落ちてきたことがあった。
落ちた時のショックで目を回して意識朦朧としていたので、手当てをしようと思い柔らかい布を探しに奥に引っ込んでいる間に姿が見えなくなった。
下の道にも落ちていなかったので、たぶんどこかに飛んでいったのだろうと思う。

白い鳩はその次の日もそのまた次の日も我家にいた。
その白い美しい鳩に名前を付けた。「パロマ」(鳩)。確かピカソの娘の名がパロマだった。
ベランダにだすと手すりに止まりじっとして、時々羽を広げてバタバタとやる。
体力も回復して、そろそろ飛び立つ日が近いのかもしれない。
翌日、パロマはもういなかった。
私達は少し淋しい気持で、住人のいなくなった箱を片付けた。
とにかくよかった、よかった。

それから二日ほど経った。突然バサバサと音がして、キッチンの窓の外枠にパロマが止まっていた。
なんだかよたよたしている。また飛行訓練に失敗した様子だ。
パロマは鳩の中でもどちらかというとドジな部類に入るのだろうか?
窓の外枠で行ったり来たりしていたパロマはまたどこかへ飛んで行った。
その後、パロマの姿はアキリーノ広場の片隅で他の鳩たちと一緒にいるのを見かけた。
その中にはパロマとよく似た白い鳩が四羽混じっていた。
きっとパロマの両親と兄弟なのだろう。

砂漠のような空地にやって来る鳩たちは日増しに数が増えている。
その中にパロマの姿を見かける。真っ白で尾の先だけが黒いので、一目でパロマだと判る。
身体がひと回り大きくなったようだ。それに意外と気が強い。
パンくずを食べている時、自分よりも大きな鳩が近寄ってくると猛然と立ち向かっていく。
私はピカソの娘にあやかって「パロマ」と名付けたが、あの様子ではパロマはきっとオスに違いない。

東側の松林では山鳩が巣作りをやっている。
我が家のベランダに一番近い枝に巣があるので、その様子が手にとる様に見えている。
ベランダの屋根の上にも別の山鳩が巣を作り始めたらしく、毎日せっせと松の葉を口にくわえて運んでいる。
九月になると雨が降り始める。そうするとそれまで枯れ野原だった所がいっせいに緑に変わっていく。
小鳥の餌となる虫などもつぎつぎと発生して、子育てには絶好の季節がやってくるのである。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

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K.027. 花柄大皿 Prato Pintura Flor

2018-10-29 | 飾り棚

直径 28cm

 ルドンドはフローサ工房の大皿。
 このコーナー第2回に登場した果実柄大皿の次に使用頻度の多い皿。
 果実柄と同じサイズ。
 なぜ果実柄の方が使用頻度が多いのかを考えてみると、それはきっと色合いの違いだろうと思う。
 この皿はどちらかといえば肉料理向き。

 我家では魚料理に比べて肉料理はわりと少ない。

 近頃、狂牛病に続いて鶏のインフルエンザとか豚コレラとか騒がしい。
 つい数日前も、牧畜の盛んなアソ-レス島で狂牛病の牛が見つかった。
 とにかく肉は問題が多い。

 だから魚。といっても、それも問題。
 この頃は養殖魚が多いので何を飼料に与えているのか判らない。
 大海を泳いでいる魚でも海洋汚染問題もあるし…。
 穀物といえど同じ。
 遺伝子組み替え問題とか。
 野菜に至っても化学肥料…。
 有機でも畜肥には抗生物質が残留しているというし。

 いったい何を食べればいいのか解らなくなる。

 せめてもの対策として、スーパーの野菜はなるべく買わないようにしている。
 メルカドで売っている野菜の方が新鮮だし、なんといっても虫喰い野菜が多い。
 時にはカラコイス(かたつむり)まで付いていることがある。
 虫やカラコイスが付いているということは、農薬残留がほとんど無いと…思って安心して買っている。

 魚も、鯛やヒラメなどの高級魚はポルトガルでも養殖物が出回りだした。
 イワシやアジ、鯖などの安い魚は天然物だから、もっぱらこればっかり食べている。
 青魚は身体に良いというし、経済的だし、言うことない。

 これではますますこのお皿の出番が少なくなる。
 飾り棚に大事に仕舞っておこう。MUZ

©2018 MUZVIT


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K.026. 17世紀柄マグカップ Caneca de secⅩⅦ

2018-10-28 | 飾り棚

高さ 8.5cm

 毎朝カフェ・コン・レーチェ(珈琲牛乳)を入れて愛用している大型のマグカップ。
 もう何年も使っているけど、いたって丈夫。
 取っ手の握り具合もよいし、そのうえ軽くて手に馴染む。
 アルコバッサあたりで作られているらしいが、一度窯元を訪れてみたいもの。
 17世紀のポルトガルの伝統的な図柄を現代に応用した物。
 手描きだが形成は型。

 このところ数年前から朝はパン食になってしまった。
 パンが美味しいのだ。
 それにカスピ海ヨーグルトとカフェ・コン・レーチェ。
 カフェ・コン・レーチェといっても、コーヒーは20%しか入っていない。
 「モカンボ」という銘柄だが、80%は麦の一種から作られる物だから、いたって健康食的で、これがまた旨い。
 たっぷりの「モカンボ」を飲むことから1日が始まる。MUZ
©2018 MUZVIT


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012. ルドンド 紙の祭

2018-10-27 | エッセイ

 八月は夏祭りの季節。
 あちらこちらの町や村ごとにいろいろと趣向をこらした祭が開かれている。
 そんな時期に旅をすると偶然におもしろい祭に出会うことがある。

 一昨年の八月の初め、アレンテージョ地方にある民芸陶器の村を訪ねて歩いた。
 モンサラスの麓、サン・ペドロ村には十数軒の窯元がある。
 群青色の細かい柄の絵付けがこの村の特長で、大皿や小皿、そしてオリーブの実を漬け込む大きな素焼きの壷なども作っている。
 私は小さなオリーブ入れをひとつ買った。

 


サン・ペドロの陶器「オリーブ入れ」

 

 焼きが硬いので欠けにくく、我家でも飾りではなく日常的に使っている。

 そこを見てから、次はルドンドに行った。ルドンドも陶器の窯元が数軒ある。
 サン・ペドロのものよりもっと素朴な絵付けだが、時々とても味のある絵柄に出会うこともある。
 まるで子供の描いた絵のように勢いがあったりする。
 皿の裏には作者のサインが釘で彫ってあるが、それも皿からはみ出しそうで元気がいい。
 だいたいが女性の名前だ。たぶんその家の主婦かお婆さんだろうと思う。
 陶器を作るのはその家の男たちで、女たちが絵付けをしているようだ。

 


紙細工の城門

 ルドンドの町に入ると、公園の入口に夏祭りのゲートができていた。
 そのゲートはルドンドの旧市街にある広場の時計塔を模して作られていた。

 高さも三メートル以上はありそうだ。本物の三分の一ほどもある。
 しかも全体が折り紙で覆われている。
 紙の門をくぐると、EU各国の民族衣装を着た等身大の人形が十数体並んでいた。
 手作りのマネキンに折り紙で作った各国の民族衣装を着せてある。
 これだけでもずいぶん手間のかかった作品である。
 ところが公園から延びるあちこちの路地もきれいに飾り付けがしてあった。
 祭の期間中は通行止めをして、道いっぱいに様々な形のモニュメントが置かれて、それがすべて折り紙で全体を覆われている。
 道の上にはアーチ状にいろいろな模様の切り紙細工がぶら下がり、まるでアーケードのようだ。
 日本の七夕祭を思い出して懐かしくなった。
 切り紙細工のアーケードは焦げ付くように強い太陽の陽射しを防いでくれる。
 木漏れ日のようなやわらかい陰を作って、とても歩きやすい。

 


紙細工の道 

 ひとつの路地を歩くと右や左の小道にもさまざまなモニュメントと飾り付けをしてある。
 路地ごとにひとつのテーマがあるようだ。区域のみんなが集って作りあげたのだろう。
 一週間か二週間の祭のためにこれだけのことを毎年やってのけるパワーがすごい!

 


紙で作られた井戸と羊と羊飼い

 路地を登りつめた所に時計台の門がある。比登志が何度も絵のモチーフとして描いた場所だ。
 その前の広場は普段は車が行き交い、門の下にある石のベンチにはいつも数人の爺さん達がなにをするでもなく腰かけている。
 ところが祭の期間はこの広場も通行禁止で、折り紙で作られたモニュメントで埋めつくされていた。
 ここのテーマはワインの収穫だ。
 伝統的な衣装を着た紙の人形があちこちに立ち、葡萄の収穫の様子を再現している。
 広場の上には針金が張り巡らされて、紙細工の葡萄の実や葉がいっぱいに下がっている。

 ルドンドは民芸陶器と並んで、ビーニョ(ワイン)の産地としても名高い。
 その代表的なものが「ポルタ・ダ・ラベッサ」。
 時計台の石の門をくぐると磨り減った石畳の道が一本だけあり、道の両側は年期を経た石造りの家がお互いに支えあうように建っている。
 道の左側に城の跡が残っているが、今は病院になっている。
 受付に断ってテラスに行くとそこからは町が一望できた。
 時計台は城壁の一部で、城壁に囲まれた所が昔のルドンドの町だったのだろう。

 城壁の中の一本道は二百メートルもない。歩いて三分ほどである。
 でも途中に陶器の窯元が一軒ある。入口は狭くて薄暗いが、奥に行くと広い仕事場があった。
 親父さんが赤土の陶土を使って製作中で、出来上がった皿や壷が床に並べてある。

 表に出るとブーゲンビレアの鮮やかな花が石塀の隙間からはみ出している。
 一本道の終わりに別の門がある。
 これがこの町のワインの名前になっている「ポルタ・ダ・ラベッサ」(ラベッサ門)だ。
 ラベルに門の絵が描いてある。
 外から来た人々はこの門を通って、城壁に囲まれたルドンドの町に出入りしたのだろう。
 町は今では城壁の外に広がり、城壁内の旧市街はほんの一部になっている。

 町を歩いているのは旅行者ぐらいで、土地のひとの姿は少ない。
 陽射しの強い昼間は人々はあまり出歩かないせいだ。
 窓を締め切って薄暗い家の中で昼寝をしているのだろう。
 窓を閉めると外の熱風をさえぎり家の中は以外にヒンヤリとして、まるでクーラーをしているようにさえ感じるほどだ。
 気温は高くても湿気が少ないので、蔭に入るとスッとする。

 夜九時を過ぎてようやく太陽が沈み始めると、人々がぞろぞろと出歩き始める。
 それからが祭の始まり。
 切り紙や折り紙細工に囲まれた中で、ビーニョ(ワイン)を飲み、フランゴ(チキン)の炭火丸焼きを食べ、唄を歌い、ダンスを踊り、夜遅くまで祭りは続く。

 今年は泊りがけで行ってみようと思う。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
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K.025. バルセロスの雄鶏 Garo de Barcelos

2018-10-27 | 飾り棚

高さ 34cm

 ポルトガルで最もポピュラーな陶器の置物。

 その昔、北の町バルセロスでは泥棒の被害にたびたび遭って、町の人たちは困っていた。

 そんな時、一人の旅人が、ガリシア地方の聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅の途中でそこを通りかかった。
 そして運の悪いことに、泥棒の犯人にされてしまったのだ。
 裁判になったが、旅人は無実の罪を晴らすことはできずに、絞首刑を宣告された。

 その刑の執行の日。
 裁判官の食卓に出された皿の上の雄鶏が突然立ち上がり、「彼は無実だ!」と叫んだ。
 おかげで旅人は無罪放免になった…。
 というおはなし。

 その教訓を決して忘れないように、それ以来ポルトガル人はこの雄鶏の置物を大切にしている。

 雄鶏の表情や絵柄も少しずつ異なるので、我家には大、中、小と三つも飾っている。
 これは大の雄鶏。MUZ

©2018 MUZVIT

 


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011. 窓からの眺め

2018-10-26 | エッセイ

 日本から二ヶ月ぶりにポルトガルの家に帰って驚いた。

 窓の下に確かにあった草地がすっかりなくなっていた。
 日本に帰国するころに咲き始めたエニシダの黄色い花が草むらの中に咲き残っているだろうと期待していたのに。

 草地全体がブルドーザーで根こそぎ取り払われ、すっかり整地されている。

 ここに引っ越してきた時からこの草地の歴史を見てきた。
 一本の松の巨木が大きな枝を四方に広げ、近所の子供たちがその枝にロープを掛けてブランコを作り、順番を決めるのに大騒ぎをしていた。子供たちの格好の遊び場を提供していた松の古木だった。
 ところがある年の冬、数日間吹き荒れた大風の次の朝、松の古木は根元からバックリと割れて、倒れた大枝が横にあるガレージの屋根を直撃して割っていた。

 それから間もなく、その古木は株だけ残してすっかり切られてしまった。
 子供たちのブランコも無くなった。
 そして雀の大群の中継地点も失われた。
 夕方になると雀の大群がどこからか現われていっせいに松の古木に止まってチュンチュクチュンチュクとかしましくさえずり、それからねぐらへと帰っていった。
 それは早朝と日没前に毎日繰り返されていたが、松の古木が無くなったあと雀たちはどこへいったのだろう。

 でも良いこともあった。
 松の古木が枝を広げていたせいで、その脇に建つマンションは東向きなのにすっかり陰になっていたのだ。それが一気に解決して朝の太陽がいっぱいに降りそそぐようになった。
 松の古木の下に広がる草地も日当たりが良くなったおかげで、草花がぐんぐんと勢いをつけて様々な花が咲くようになった。

 一人の老人は草地を耕して畑を作り、野菜を育て始めた。
 ポルトガルでは九月ごろから雨が降り始め、それと同時にいっせいに緑が芽吹きだす。
 あたり一面枯れ野原が、勢いを増した緑の草にどんどん占領されていく。
 メルカドに野菜の種類が豊富になるのもこのころだ。
 老人の小さな畑でもポルトガルキャベツや豆やトマトなどが採れた。
 でも数年後、畑の主の姿は見えなくなった。
 二人の息子達が畑の最後の収穫をして大きなカゴいっぱいのトマトを持って帰った。
 それ以来、畑は世話する人もなく、しだいに草にまかれて判らなくなった。

 夏になると枯れ果てた草むらには小さなカタツムリがびっしりと付き、近所の人たちがやって来てビニール袋に採って帰った。
 カタツムリに一週間ほど断食をさせてから、ハーブと一緒に茹でてから食べるそう。
 カタツムリはなかなか美味だが、あのツノを見るといけない!
 お皿の上でツノを出した姿を見てから、私は苦手になってしまった。

 今年の三月末ごろは草地に今までにないほど色々な野草の花が咲き乱れた。
 「わざわざ遠くの郊外まで行かなくても、家の窓から野草の花畑が見られる!」と喜んでいた。
 ある日、いつものように草地を見ていると、なんだか見慣れないものを発見した。
 緑の草むらの中に白いものがボッとひとつあった。
 目をこらしても何だか判らない。デジカメを取り出して望遠で見た。
 それは白い大きな花、カラーの花だった。
 ポルトガルでは「ジャーロ」と言うらしい。湿地などで自生している。
 でも今までこの草地で見かけたことは無い。
 いつの間にかどこからかやって来て、ひっそりと育っていたのだ。
 それから一週間ほどして二番目の花が咲いた。
 このぶんでは来年はもっと花をつけるだろう。

 黄色いエニシダも株がだんだん増えて三株にもなった。
 この草地も少しずつ賑やかな花畑になっていく…、と期待しながら日本に帰国した。

 ところがポルトガルに帰ってきたら、草地は全て削り取られてまるで砂漠のように砂ばかりの光景になっていた。
 いつも近所の猫が日向ぼっこをしていたわずかに突き出た岩まで無くなっている。

 いったいこの後は何になるのだろう。

MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年7月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.024. オリーヴの絵のオリーヴ入れ-2- Azeitoneira

2018-10-26 | 飾り棚

直径 8.2cm

 小さくて可愛いオリーヴ入れ。
 たぶんルドンド産。サインがないのではっきりはしないが。
 7~8年前のセトゥーバル・サンチャゴ夏祭りの陶器市で山と積まれた中から選び抜いて小さくて安い物だから8個程をまとめて買った。
 手描きなのでその一つ一つにそれぞれ違う趣がある。
 手造りなので歪み具合もそれぞれである。
 どれが良いとか悪いとかもなくどれも勢いがあって面白い。
 お客さんの時などほんの10粒ほどを盛り付けても良いかなと思っている。

MUZ

©2018 MUZVIT


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010. ポルトガルの春の野の花

2018-10-25 | エッセイ

 四月の初めに南のサグレス岬へ小旅行をしました。

 サグレス岬とその途中で見かけた草花です。

 四月はいつも日本に帰国することが多いので、この時期に旅をすることは今までなかったのですが、こんなにたくさん色とりどりの野草が咲き乱れているとは驚きでした。皆さんにもおすそ分けします。

 花の名前を知らないのでここに書けないのが残念です。どなたかご存知でしたら、ぜひ教えてください。 MUZ

 

花のサグレス岬 鮮やかなブルーの小さな小さな花

 

サグレス岬は一年中強風が吹き荒れているので、花はまるで高山植物のように縮こまって咲いています

 

 

風に揺れるピンクの花

 

牧場は目を奪われる花畑です

まるで錦の絨毯のよう。この鮮やかな色合いは写真ではなかなか出ません

 

真ん中にあるのはラベンダー

 

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。一切の無断転載はご遠慮下さい。

 

(この文は2003年5月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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K.023. ローマ時代のアルコールランプ Lucerna da álcool romana

2018-10-25 | 飾り棚

長さ 11.7cm

 ローマ時代のアルコールランプのレプリカ。
 他のヨーロッパ諸国同様ポルトガルにも古代ローマ遺跡はたくさんある。
 そしてどこの町の小さな博物館にも甕、モザイク、古代ガラス器、コインなどと同列にこの様なランプが展示してある。
 その形も模様も様々で見ていて飽きない。
 そして小さい物だからだろうか?
 2000年もの時を経た出土品とは思えないほど、どこの展示物も破損は少なく比較的完全な形を留めている。
 このランプの真ん中には人物像が見て取れる。
 シーザーだろうか?アウグスト帝だろうか?MUZ

©2018 MUZVIT


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009. ダムに取り残された兎の運命

2018-10-24 | エッセイ

 アレンテージョに大規模なダムが完成した。
 モンサラスの麓を流れるグアディアナ川をせき止めて、そこにダムを作ったのだ。
 グアディアナ川は地図を見ると、スペインのトレド山あたりに源流を発し、バダホスで国境を越えてポルトガルに流れ込み、エルバスからモンサラスの麓を通り、モウラ、メルトーラと、アレンテージョ地方を南下してアルガルベ地方のサント・アントニオで大西洋に注ぎ込む。

 もう6~7年前になるだろうか、モウラに泊まった時のこと。
 夕食で入った中華レストラン「熊猫(パンダ)飯店」のウェイターが、私たちが日本人だと知ると、「この町にも日本人が一人、ホテルに長期滞在している。毎晩この店に食事に来るよ」と言った。
 こんな内陸の小さな町で長期滞在して何の仕事をしている人だろうと不思議に思って尋ねると「この近くでダムを作ってるそうだ」と話していた。
 次の朝、ホテルの朝食のサロンに行くと、私たちと入れ替わるように急いで出かけていく、作業着姿の数人を見かけた。
 その中に東洋人が一人いた。
 どうやらその人が前夜ウェイターが言っていた日本人だったのだろう。
 日本の企業がこんな所まで来てダム建設を請け負っているとは、かなりの驚きだった。

 その時、私たちはモウラからバランコスのヌーダール城を訪ね、それからルス(LUZ)という小さな村からちょっと奥にある城跡に行った。
 いつもそうだが、私たちの旅は地図に載っているお城のマークをたよりに探して行く。
 そこにどんな城がどんな姿であるのか全然知らずに訪ね歩く。

 LUZ(光)村を通り過ぎて野原の中をずいぶん走った。
 雑木林にさしかかった時、アライグマのような動物が罠にかかっているのを見かけた。
 そのあとすぐに、ものすごい爆音を轟かせて砂ぼこりを舞い上げながら走って来る旧式バイクとすれ違った。
 見かけたのはそれだけで、やがて道は急に途切れて終ってしまった。
 しかたがないのでそこに車を停めて、目の前にある茶褐色のちょっとした岩山に上ってみると、そこにはスレート状の自然の石を積み上げて作られたLUZ城の跡が残っていた。
 片方は断崖絶壁ではるか下の方にグアディアナ川の流れが見え、吹き上げて来る風が心地良かった。
 スペインとの国境に近いので、昔は兵隊たちが、川を下ってくる敵がいないかいつも見張っていたのだろう。
 LUZ城は断崖の上に立つ砦だったのだ。
 帰りに、罠にかかっていたアライグマはどうしているかと気になって注意して見たけれど、もうどこにも姿は見えなかった。
 ひょっとしたら、旧式バイクに乗っていた男が持って帰ったのかもしれない。
 アライグマの尻尾の付いた毛皮の帽子は露店市で時々売っている。
 このあたりは野生の小動物が多いのだろうか…。

 旅から帰って数ヶ月が過ぎた頃だったと思う。
 TVのニュースを見ていると、大掛かりなダムの工事を報じていた。
 その中で突然LUZ村が出てきたので驚いた。
 LUZ村がダムの底に沈んでしまう…という。
 村全体で新しい土地に移転させられる計画が進んでいるらしい。
 村の老人たちは「生まれ育ったこの村が水没するのは悲しい!」と淋しそうな顔でインタビューに答えていた。

 そして今年、いよいよダムは完成した。
 LUZ村では村の人口の何倍もの人々が押しかけて最後の盛大な祭が開かれた。
 村の古くて小さな礼拝堂は移転できずにそのまま残され、アレンテージョ地方の伝統的な造りの村の家々も廃虚となって水の底に沈んでしまった。
 LUZの城跡も沈んでしまったのだろうか?
 よく判らない。今度確かめに行ってみよう。

 日本でも、「五木の子守唄」の古里、熊本の五木村がダムの底に沈むらしい。
 反対運動を押し切っての決定だという。
 何十年も村の子供たちを見守ってきた、古い木造校舎も取り壊されるというので、子供たちがその校舎の姿をみんなで木版画として残した。
 そして村に伝わる「正調、五木の子守唄」をなんとか保存していくために、小学生の男の子二人が村の古老に教わって、五木小学校の最後の卒業式でそれを唄って披露した。
 それは私が知っている「五木の子守唄」とはかなり違って、もっとゆっくりしたテンポの素朴で哀調をおびた唄だった。
 これは今日(2003年3月28日)のNHK国際放送のニュースで見たひとコマである。

 ダムに沈んだLUZ村はアレンテージョ地方に属する。そこにも、とてもいい唄がある。
 農家の男達が十数人で歌う力強い合唱で、まるで日本の「木やり節」を聞いているような気持ちよさがある。
 無伴奏で、次々に掛け合いのように唄い、絶妙なハーモニーで、聞く者の胸に響く。
 町や村によって少しづつ調子が異なるようだ。
 LUZ村にもひょっとしたらこうした唄があるのかもしれない。
 あるとしたら一度聞いてみたい…。

 ところでこの二、三日、ちょっとした騒ぎが持ち上がった。
 ダム湖に沈んだ山のてっぺんが島となって残り、そこに小動物が取り残されてしまったのだ。
 そこで、動物愛護団体がボートで救出に乗り出した。
 でも相手は野生動物だからすばしっこく逃げ回ってなかなか捕まらない。
 おもに兎が多いようだが、中には追い詰められて水の中に飛び込んでしまうのがいて、哀れ、溺れ死んだのが三匹いたらしい。
 こんなこともあった。
 兎の巣穴に手を突っ込んでも捕まえられない。
 そこで一計を案じて、小さな黄金色のイタチを巣穴に入れてイタチのしっぽをつかんで引っぱったら、やっと兎を巣穴から引き出せた。
 ところが兎を持ち上げると、兎に噛み付いたイタチがいっしょにぶら下がって、いつまでも放さない。
 「もういいんだよ、放せ、放せ!」
 動物愛護団体の男性はとても困っていた。

 こんなに苦労して保護した兎たちはモンサラスの野原に放す計画らしい。
 でもモンサラスの農夫は困っていた。
 「兎がこれ以上増えたら牧草を食い荒らすからなあ」と、とても迷惑そうだった。

 ダムから救い出された兎たちはいったいどこに行けばいいのだろう…。

MUZ

 

©2003,Mutsuko Takemoto
本ホームページ内に掲載の記事・画像・アニメ・イラスト・写真などは全てオリジナル作品です。
一切の無断転載はご遠慮下さい。

(この文は2003年4月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

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008. 塵(ゴミ)は外

2018-10-24 | エッセイ

 私はどちらかというと掃除が嫌い。
 しかし掃除をしないわけにもいかない。
 そこである日決心して、毎週月曜日は掃除の日と決めた。
 ところが月曜日になると、「今日はもうすぐ雨が降りそうだから、掃除は明日にしよう…」と理由を見つけて翌日に延ばしてしまう。
 火曜日になると「今日は買物に行かなくちゃ」で、また翌日に繰り延べ。
 そして木曜日か金曜日にとうとう観念して、やっと掃除機を取り出してドタバタと掃除を始める。
 
 私が掃除を嫌いなのは我家の掃除機にも責任がある。…と思う。
 いや、絶対ある!
 そもそもこの掃除機は買った時には電気コードが自動的にスルスルと収納されるはずだった。
 それなのに、買ってすぐにガチッとすごい音がしてコードを噛んでしまい、それを取り出すのに大騒動だった。(「ポルトガルのえんとつ」P173”アシュピラドールにご用心”参照)
それ以来コードの収納は手巻き式。
 何のために高い金を払って自動式を買ったのか解らない。
 買うときに電気屋で「自動式にしますか? それとも手巻き式にしますか?」と尋ねられて、高い方の「自動式」を選んだのに。
 
 それでもこの掃除機をもうかれこれ十年近く使っている。
 モーターはすごく元気がいい。しかし見てくれは、全身傷だらけ!
 T字型はブラシの部分が磨り減ったので、ずいぶん前に新しいのに取り替えた。
 ところがどうも吸い込みが悪いと思ったら、ホースの部分が数箇所割れ目ができていた。
 応急処置でビニールテープでグルグルと巻いてふさいだらうまくいったので、いまだにそのまま使っている。
 でもこのホースが厄介者である。
 ホースというのは柔らかくて自由自在に動くのがあたり前(日本ではそうだった)のはずなのに、いざ掃除を始めると、主人である私の動きと反対に突っ張って、自己主張が強く、頑としていうことを聞かない。
 掃除機をかけている間中、私はホースとの綱引きをしながら、引っぱったり蹴っ飛ばしたりして、へとへとになってしまう。
 ああ、掃除は嫌い!
 
 ところが世の中には、嬉々として毎日掃除にせいを出している人がいるものだ。
 我家の下の階に住んでいるナターリアおばさんもその一人。
 彼女は掃除が大好き! いや、彼女にとって掃除は生きがいといっていい。
 ナターリアおばさんの家の中はぴっかぴか。チリひとつ落ちていない。
 棚や壁にはたくさんの小物が飾ってあってさぞかし掃除に手間がかかると思うのだが、ほこりひとつ見あたらない。
 我家とえらい違いだ。

 でも困った事がある。
 ナターリアおばさんに限ったことではないが、自分の家はぴっかぴか、そしてほこりやゴミはすべて外。
 「ゴミは~ッ外!」とばかりに、毎日せっせと窓からパタパタとする。
 乾いた布で棚や家具を拭いては窓からパタパタ、足ふきマットや絨毯をベランダの手すりに乗せてバタバタ。
 それを見て、私たちは最上階に住んでいるので「関係ないわ…」と思っていた。
 そして、ベランダで日光浴をしたり、煮干を乾したりしていた。

 でもある日、ふと窓の外を見ると、ふわふわと綿のような物が漂ってきた。
 不思議に思ってベランダに出てみると、下の階でナターリアおばさんが例によってパタパタをやっている。
 綿のようなふわふわとしたものはそこから飛んできていた。

 やっと私は気が付いた。
 砂やゴミは下に落ちてゆくが、綿ぼこリのような軽いものは風に吹かれて上の方に舞い上がってくるのだ!
 今まで、「最上階だから大丈夫…」と安心していたけれど、思わぬ落とし穴、いや、天上の穴があったのだ。
 そうと解ってからはもうベランダで梅干しや煮干を安心して作れなくなった。
 そういった時期は、一日中耳に神経を集中して、よその家がガラガラと窓を開ける音がすると、「それっ!」とばかりに、梅干しや煮干をすばやく家の中に取り入れることになった。
 ああ、疲れる!

 窓からパタパタするのはナターリアおばさんだけではない。みんながする。
 それで私も一度だけやってみた。
 裏の窓を開けて、下を誰も通っていないのを確かめてから、マットを持って恐る恐るバタバタとやった。
 そのとたん、下から強風が吹き上げてきて、はたき落としたはずのほこりを全部被ってしまった。
 なんということ!
 「郷に入っては郷に従え…」と言うけれど、「慣れないことはするもんじゃない!」 と身に染みて感じた。
 高度な技術がいるのだ。
 それにやっぱり気が引ける。

 我家ではなるべくマットや絨毯は使わないようにしているが、それでもいくつかある。
 室内ではスリッパに履き替えているが、いつのまにか砂やゴミが溜まっている。
 掃除機で吸い取ってもなかなか取れない。
 そこでバスルームの窓を開け、タオルなどをよそへ片づけてから、バスタブの上でバタバタとやることにしている。
 するとバスルームはホコリがもうもうと舞い上がるから急いでドアを閉めて、逃げ出す。
 しばらくして、ホコリがバスタブに舞い落ちたころを見計らって、掃除機で吸い取る。
 でもここでまた掃除機のホースが邪魔をして綱引きを始めるんだもんね…。
 だから私はますます掃除が嫌いになるのだ。うっ、うっ!
 掃除ロボットがほしい!
MUZ

©2003,Mutsuko Takemoto
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(この文は2003年3月号『ポルトガルのえんとつ』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルのえんとつ』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)

 

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