4月9日 水曜日
弟が痴呆になって、あれこれ5年も成るのです。その間兄のわたしは,弟の
保護者として面倒を見ています。
弟は離婚して、子供や妻に見放され千葉県木更津市で一人暮らしをしていた
のです。
平成21年1月交通事故で、横浜の赤十字病院に入院して以来です。
兄の私としては弟が不憫で放っておけず、高齢にもかかわらず弟の面倒を見て
いるのです。
其処で弟と私の2人分を、生きると言う事です。今回はその一部分を」紹介致
します。
1 交通事故の処理 是は突然に,横浜の赤十字病院よりの電話の知らせで知
る。
有無を言わせずに,私に病院に来る様に知らせる。知らん振りも出来ず・・・
2 赤十字病院(救急病院)から,適当な施設への転院の処置について,速く・
3 病院や交通事故に伴う、金銭の支払いの処置・・・
事実として、先ずお金を精算して後で何とかする事で解決・・未解決・・・
上の三つは大変でした。北九州に住んでいて,突然な事でした。こんな事は
予告 して起こる事など有るはずもない…鳩の豆鉄砲とは此の事か?・・・
此の解決は困難の連続でした。その一つ 本人でないと、出来ない事ばか
りでした。銀行のお金の処置・市役所での手続は全て本人弟有ることの証明
が必要です,本人からの依頼であれば依頼書を。
兄で有ることの証明を,北九州市に帰って証明を貰ってこいと言うので
すか?
行政は規則ずくめです・・・これもわからないでもないが状況に応じて
判断出来ないのか?,是が政治と言うのですよ。
市長を呼んで話をしたいと頼んだが・市民課の参与とでははなしでも
無駄でした。
、
私は、何とか解決しました。が私の子供は何でお父さんがしなければ
成らないの?と言うのです。
でも東京にいた末娘は,横浜にあった,事故車の廃車処理を黙ってして
くれました。
先ずはこれ位にして又の機会に