82歳からの旅

私の記録

 ~ 2人分生きて行くと言う事は ~

2014年04月09日 08時38分56秒 | 随筆

                  4月9日 水曜日         

 弟が痴呆になって、あれこれ5年も成るのです。その間兄のわたしは,弟の
保護者として面倒を見ています。

 弟は離婚して、子供や妻に見放され千葉県木更津市で一人暮らしをしていた
のです。

 平成21年1月交通事故で、横浜の赤十字病院に入院して以来です。
兄の私としては弟が不憫で放っておけず、高齢にもかかわらず弟の面倒を見て
いるのです。

 其処で弟と私の2人分を、生きると言う事です。今回はその一部分を」紹介致
します。

 1 交通事故の処理 是は突然に,横浜の赤十字病院よりの電話の知らせで知
   る。 
   有無を言わせずに,私に病院に来る様に知らせる。知らん振りも出来ず・・・

 2 赤十字病院(救急病院)から,適当な施設への転院の処置について,速く・

 3 病院や交通事故に伴う、金銭の支払いの処置・・・
    事実として、先ずお金を精算して後で何とかする事で解決・・未解決・・・
   上の三つは大変でした。北九州に住んでいて,突然な事でした。こんな事は
   予告 して起こる事など有るはずもない…鳩の豆鉄砲とは此の事か?・・・
     
    此の解決は困難の連続でした。その一つ 本人でないと、出来ない事ばか
   りでした。銀行のお金の処置・市役所での手続は全て本人弟有ることの証明
   が必要です,本人からの依頼であれば依頼書を。

    兄で有ることの証明を,北九州市に帰って証明を貰ってこいと言うので
    すか?
    行政は規則ずくめです・・・これもわからないでもないが状況に応じて
    判断出来ないのか?,是が政治と言うのですよ。

     市長を呼んで話をしたいと頼んだが・市民課の参与とでははなしでも
    無駄でした。
、   
     私は、何とか解決しました。が私の子供は何でお父さんがしなければ
    成らないの?と言うのです。
     でも東京にいた末娘は,横浜にあった,事故車の廃車処理を黙ってして
    くれました。

            先ずはこれ位にして又の機会に
                              
コメント (2)
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