








私が幼い時にとても厳しく育てた父、私が悪い事をすると後ろ手に
縛られて押し入れや・戸袋にいれられて懲らしめられた。
又こんな事も言っていました「こんな事をしていると,お回りさん
につかまって縛られて、牢屋へ入れられる。」からと。私は父から叱
られる事よりも,おまわりさんの方がこわかったのです。
其れで悪い事はしていけないない事を、身にしみて知ったのです。
ところが中学生になると、仕事で忙しく「猫の手でも」借りたい。
そんな時に近所の子供を集めて,野球をしたり山に目白とりにいった
りしていた。其れを父は私を見逃し,きつい仕事を母と遅くまでして
いたのです。
其れで時時母が私に、「武ちゃん家の手伝いもせんといけんよ。」
と言っていました。
此の事について自分史を纏めていく中で、父の少年の頃について
色々と整理していく中で解って来たのです。
父は知り合いの家に丁稚奉公に行き、其処から中学校に行っていた
のです。ところが丁稚奉公は生優しい事では,出来ませんでした。朝
は早く起きて御飯炊きや雨戸を開けたり、掃除を済ませて学校へいく
のです。
学校から帰ったら薪割りや、お使い風呂沸かしをする等々。其れに
耐えられずに丁稚奉公を止めて家に帰ったそうです。
父は後々に其の事を、自分で大変後悔したと思います。其れで中学
生の私が,近所の子と野球をするのを叱らなかったのだと思います。
遊びたい私の気持ちと,父が丁稚奉公の時に「遊ぶ時間など・・・」
の気持が重なったのだと思います。お父さん「御免なさい・御免なさ
い。」
私の自分史を纏める意味が,80歳を過ぎてやっと一つが見つかった
のです。80歳のはな垂れ小僧目が・・・ぼんくらのはな垂れ小僧め













