82歳からの旅

私の記録

 ~ 親鸞聖人 御正忌報恩講 ~ に 御聴聞して

2014年11月23日 22時26分29秒 | 心に栄養を

       11月24日 月曜日      

 一年に何回か私の心に、栄養補給をする為の聴聞です。 
でも此の栄養は私の心の関門を,中々通過しにくい栄養
でした。
 期 日 平成 26 年 11 月 21 日,10 時~12時 ,13時~15時
場 所 行橋市 真念寺
 講 師 みやこ町勝山 唯念寺住職 大久保 正信師でした。
     講話の内容の一部は、
  佛・法・僧 に  帰 依 すると言う内容でした。
      佛  御釈迦で悟り・覚り得た
      法  お釈迦様の 永い 永い 厳しい体験から
            悟り
            覚り 得たそれらが法で
      僧  其れを教えられる人・が 僧である

       佛・法・僧の3つに帰依するのです。
  人間生活は・無難でありたい(願い)・処が 難を避ける事は出
  来ない。
       有 難であるのですが  難が有って其れを読むと
       有難いとなるのです.其処で
       考え様によっては有難い事でもあります。   
  大切な人が亡くなった,これは避けられない事実で有ります。 
  然し・別の見方をすると、死者は仏様になって天国で…見守
  っているのです。有難い事ではないでしょうか。
   此の様に考えて見ると,今迄の嘆きや悲しみはスーット何
  所かえ・・・・ そうしてこころは・・・・
   無くなった其の時の気持で,毎日毎日生きていると心が耐え
  きれないのでは、と思うのです・・・
  
  11月21日の聴聞で,私は即席で勝手に解釈しました。
  私の心の栄養とは,こんなぼやっとしたものでよいと思います。
 
            

  
コメント (3)
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