11月24日 月曜日
一年に何回か私の心に、栄養補給をする為の聴聞です。
でも此の栄養は私の心の関門を,中々通過しにくい栄養
でした。
期 日 平成 26 年 11 月 21 日,10 時~12時 ,13時~15時
場 所 行橋市 真念寺
講 師 みやこ町勝山 唯念寺住職 大久保 正信師でした。
講話の内容の一部は、
佛・法・僧 に 帰 依 すると言う内容でした。
佛 御釈迦で悟り・覚り得た
法 お釈迦様の 永い 永い 厳しい体験から
悟り
覚り 得たそれらが法で
僧 其れを教えられる人・が 僧である
佛・法・僧の3つに帰依するのです。
人間生活は・無難でありたい(願い)・処が 難を避ける事は出
来ない。
有 難であるのですが 難が有って其れを読むと
有難いとなるのです.其処で
考え様によっては有難い事でもあります。
大切な人が亡くなった,これは避けられない事実で有ります。
然し・別の見方をすると、死者は仏様になって天国で…見守
っているのです。有難い事ではないでしょうか。
此の様に考えて見ると,今迄の嘆きや悲しみはスーット何
所かえ・・・・ そうしてこころは・・・・
無くなった其の時の気持で,毎日毎日生きていると心が耐え
きれないのでは、と思うのです・・・
11月21日の聴聞で,私は即席で勝手に解釈しました。
私の心の栄養とは,こんなぼやっとしたものでよいと思います。