82歳からの旅

私の記録

 ~ 私を育てた故郷の自然と人々 ~  5

2015年10月24日 10時08分13秒 | 生活

         10月24日土曜日  

      第 1 章   私を育み育てた、故郷の自然と人達

      第1節 故郷白川村の自然

 私の生まれた福岡県京都郡白川村山口(現在苅田町)は北九州市

の南にあります。

 北には貫山(621?)があり、その南麓にある小さな盆地の村

です。

其処に20戸から40戸ばかりの、集落が山裾に散在し合わせ

300戸ばかりあります。

 北側山の谷間には頂上近くまで、棚田が重なるように有ります。

又平地には、水田が広がっています。多くの村民は、農業で生計を

立てています。

 春になると田園一面に、蓮華や菜の花が咲き乱れます。周りの山

も一斉に新緑が芽吹きます。初夏になって夕闇が迫るころには、蛍

が飛び交い幻想的な風情がただよいます。

 男の子は昼間は田圃に入り、相撲を取ったり寝転んで遊びます。

女の子は蓮華の花を髪毛にさして、友達と見せあうのです。蛍の出

るころに成ると麦わら蛍籠をつくり、蛍狩りに夢中になって遊びます。

 夏には綺麗に清んだ小川に、ハエや鮒が泳いでいます。学校帰り

の子ども達は、小川に入って魚取りや水遊びに夢中でした。少し深

みの処では、泳いだりしました。

 秋には黄色く実った稲穂が、一面に絨毯を広げた様になります。

周りの山の木も、紅葉してきれいです。でも冬に成ると厳しい北風

が貫山から吹き下ろします。吹雪の日の通学は、大変でした。なに

もない戦時中で草鞋履きで、手を凍えさせて学校に通いました。  

 でも学年末の終業式の日には、出席皆勤賞や出席精勤賞の子供

沢山いました。

 この様な白川村の自然は、毎日が遊園地であり又鍛錬の場でも

りました。

 子供たちは心豊かに伸び伸びと、自然に対しても忍耐強く逞しい

に育ったのでした。

          

 

コメント (3)
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