82歳からの旅

私の記録

岐阜市の願了寺へ,お願いに

2013年11月20日 07時01分02秒 | 日記
               11月20日曇り   

 今日岐阜市に住んで寺の住職を勤めている、甥の家に行くのです」久しぶりの再会です。
叔母は未亡人で、一人で住んでいました。私は高校の時に叔母の家から、学校に通い卒業後もしばらく叔母と一緒に住んでいました。

 住職は三歳の時叔母に養われて、私も一緒に生活しました。住職が小学校一年生の遠足に、私が叔母の代わりについて行きました。そんなことも有り、大変懐かしいのです。


 私と妻の和子に長男の雅人を連れて3人で行くのです。その訳は私の弟が痴呆になっているので、若し私が先に死んだ時に「弟」の事をお願いに行くのです。

 私の妻と長男を、住職に会わせる為に行くのです。弟は身寄りがなくて,妹(弟の姉)は老いており・次の妹は鹿児島に住んでいるので、私の長男に任せようと思っての事です。

 11月20日新幹線で名古屋駅まで行き、そこから乗り換えて岐阜西駅につくと住職は車で迎えに来ていました。その夜は住職夫婦と、私達三人で賑やかに夕食をしました。 


              



  

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4 コメント

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初めまして^^ (ママちゃん)
2013-11-20 09:04:04
弟さんのことご心配ですね
でも長男さんがいはるので安心ですね^^
弟さんは痴呆症かもだけど、久しぶりの再開できっと心の中では嬉しいことかと思います^^

行き帰りの道中気をつけて安心して帰ってこられることを心から願っています。
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岐阜はお隣です (屋根裏人です)
2013-11-20 12:52:45
高山までは仕事に行ってましたが
岐阜県もここ信州と同じ海のない県
でも東西南北移動に便利な土地です
気をつけて行ってらっしゃいませ
どんな交通手段なのかな~
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身寄り。 (kaeru)
2013-11-20 21:34:21
「身寄り」、辞書によれば「血縁のある人。みうち。親族。縁者。」とあります。子どもの頃に作っていたそういう縁を再び
結び合わせる役割は、70代80代の者が果たす役割なので
しょう。

 岐阜行きが良き縁のあらたなはじまりになりますよう願
っています。
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うっかりでした (70歳ー旅の途中)
2013-11-21 05:01:51
兄は、今岐阜に滞在しているのですね。
沢山のコメントをいただいたままなので、また、入力の仕方を忘れた?かと思いましたが。

義姉と長男の雅人さんと3人で、新幹線での旅です。認知症の兄は今回は同行していません。
1昨年私や、姉、そして武義兄と4人で訪問しましたが、限界でした。(4人の中で元気なのは私だけ―といっても兄姉は自分のことは大丈夫ですが、認知症の兄のお世話は大きな負担でした。)

でも本当に楽しい旅、4人一緒は初めての旅でした。いとこの穣さん(願了寺住職)もご婦人共々厚いもてなしで、源治兄もにこにこしていました。

この2年半の間に、武義兄も、一枝姉もかなり弱くなり、元気ぴんぴんの私は、遠いので、源治兄の見舞いも正月以来行けていません。

武義兄は、自分の老いで、源治兄への世話ができにくくなり、剃刀の義(戒名をつける)や納骨堂の事も、1昨年済ませてきました。今回はその後の事まで、雅人さんに引き継ぐための旅と聞きました。

今回のブログ復活は、兄に新たな力をよみがえららせてくれているようです。
それは皆さんの励ましです。感謝感謝です。

今日は、また新しくママちゃんがたくさんのコメントくださっていて、留守中のことで兄はまだ読めていないと思います。(厚かましい私は、昨年滞在中も、お寺のパソコンを拝借して、ブログを続けました。源治兄が興味を示して、私の後ろですごいねえ」と感心していました。

おせっかいの好きな妹が、こうしてみなさんへのお詫びと、説明をさせていただきました。

もしかしたら、翌檜ちゃんにお世話になっているのかしら?)よろしくおねがいします。

皆さん有難うございました。

ちなみに2011年5月22日―25日が岐阜への旅として、私の70歳ー旅の途中にたくさんの写真入りで出ています。

鹿児島の妹、村永チトセでした。


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