12月6日金曜日
幼い頃の私は、仕事で忙しい時は家の大黒柱に帯でつながれて一人で
遊んでいたそうです。
母親は田んぼの仕事で働き、8つ上の姉は小学の3年生~5年生でした。
2期秋(初夏の麦刈り時や田植え時・秋の収穫時)(農家では 猫の手も借
りたい程の忙しい時)に、こんな事が何回か有ったそうです。
こんな時の母の気持ちを思うと胸が締め付けられます。
少し大きくなってからは姉に背負われて過ごしたり、姉が学校に連れて行っ
て机の側で遊んだそうです。
勉強時間のある時に、皆が「ハイ・ハイ」と言うので私も一緒に手を上げて
「ハイ・はい」と言ったので姉は困って私を連れ出して一緒に遊んだそうです。
それからはクラスの人気ものになったそうです。
富国強兵の時代は、誰しもが何の不信や疑問も
持たずに、ただひたすら働いて、お国のため・・と
世界にはまだそんな国がたくさんありますが・・
そんな中で、教育と文化の向上が大きく世の中を
変えてきました。 そんなときでも一人ひとりの人生
ドラマはそれぞれの道が懐かしく思い出されます
当時はどんなにか苦しいことも・・今になれば・・・
私は戦後の団塊生まれ・・いい時代だったと
親様 ご先祖様に 有難く感謝するのみです
よくはしらに縛られていました。それは、確か,雑巾がけをさぼった性だったように思います。
夏になると畳をあげて2部屋板張りになっていました。私も高学年になると1日2階の雑巾がけをしました。他には、秋は日に3-4回庭に干したモミを返してあせる仕事。これはすごい仕事でしたが、好きでした。
父は一度も私に手を挙げたことはなかったし、説教をすることもなかった。でも食事の作法は厳しかったですね。玄関の下駄の揃え方も。
10年は慣れていると、かなり知らないことが多いです。姉たちが母代りで、母は外仕事が多かったですね。
「面白い」、可笑しいという意味ばかりでなくものごとが明らかになるという意味です。