9月14日
「瞼の上下をぴったり合わせ思い出しやー・
絵で描いたように見えていた。」
生みの母を恋い慕う番場の忠太郎、しかし忠太郎が
幼い時に生き別れし、ようやく出会うことの出来た母
おはまは、現実の生活を失いたくないあまりに、心な
らずも息子を斥けてしまう。
幼い頃から抱き続けた理想の母を「わざわざ骨を折っ
て消してしまった。」嘆きがひいては、母への恨みが忠
太郎を襲う。「これ程慕う子の心が、親の心には通じね
えのだ。」
お母さん「そりゃー恨みだ、あっしは恨みますよ。」
しかしながら恨みを抱き、去って行く忠太郎に!!未練が
生じ、涙にくれつつ息子の後を追う母。母心を取り戻した
真の母である。
闇夜に向かって、「忠太郎ヤーイ」と叫ぶ母の悲しみが
「やっぱりお母さんだ!!」
番場の忠太郎‐長谷川 伸作の一節
此の母の叫びに 忠太郎の恨みもはれ・・・・・
「こう上下の瞼を合わせ、ジーと考えりゃー逢わぬお母さんの姿が出てくる・・・
それでいいんだ。 逢いたくなったら俺あ眼をつぶろうよ」本物の母の姿を瞼に
刻みこんで去ってゆく忠太郎 ・・・・・・
※ 怨念を巷と化す現在社会
かっては、お父さんお母さん・お役人・先生(教師)・お医者さんが国民 患者さん
教え子の身になってその為を思ってくれたはずの立場の人々が自己の権利を優先する
のがごく当然のこととなってしまった。今の社会矛盾・・・・
平成5年3月20日のメモより
いろいろな角度からものを見せてくださいます。これは平成5年3月のメモ、、、ということですからこれからここほれわんわん、、、と宝物がいっぱい出てくる予感がして、ワクワクします。ちいーねさんが入れてくださったのでしょうか、彼岸花のあぜがなんて美しいのでしょう。蒲生あたりにもこういう風景ありますよ。(日本一の大楠の木のある姶良市蒲生(かもう)です)。
そういえば、源治兄は蒲生病院―がもうと読みます(北九州にある病院)にお世話になっていました。今はおむすび苑に変わったのですが。この兄は77歳。私より5歳上です。
こうしてコメント寄せていただいて、兄も幸せですね。
まだ自分でコメントを書けるまでにはなりませんが、日々入力も
上達しているようで、電話が減りました。
福岡と鹿児島で離れ離れで52年。その空白を知り合える時間に感謝です。
きっと、甥や姪もこのページに気が付いて、おじさんの人生から、何かを受け取ってほしい。
会うと、こまごま人生を語る兄ですが、若い人にはうるさく聞こえたりもしましょう。
でもこうしてつぶやいたり、囁いたりしているのは押しつけでなく、きっと自然に受け止めてくれるような気がしますよ。
ところで、兄の愛する息子娘諸君は 父さんのつぶやきに耳をかた向けているのかな?
とふと思うことでした。まごの●○ちゃんがもう開けるようになっているかも。お兄ちゃんならきっとできるよね。教えてあげて おとうさん?おかあさん・