気まぐれおばんの気まぐれ日記

夫との年金生活の日々・・・・
暮らしでの出来事をテーマを決めずに
”気まぐれ”にアップしていきたいと思います。

先が見えない・・・・巣ごもり生活の準備

2020-02-25 | Weblog
私の嫌いな2月もあと数日で終わりです。
花だよりもチラホラ聞かれるようになり例年なら私の沈みがちだった気持ちも
明るくなり始めるころです。
しかし、今年はコロナウィルス騒動で暗いニュースばかりです。
豪華客船の乗客もまだ下船も完了していないようですが
さらに
下船した方の中からも発症したり、帰宅も公共交通機関利用やタクシーの運転手の集団感染などどんどん拡大していっているようで怖いです。
噂によると
私の住んでいる地域の医療機関にも患者が搬送されてきているのでは・・・とも

政府や医療機関も必死に対応しているとは思うのですが
やはり徹底さが欠けたのでしょうか。
息子たちの会社も在宅勤務になったよう(テレビニュースによると)

これから行楽シーズンでGウィークやオリンピックなど行事、イベントが目白押し
ですが大丈夫なのかしらとても不安です。

経済に大きな影響が出るのは必至でしょう。
株価を見ると大きく下げています。

昨日は私が所属している団体活動の一つで市と共催でやっている催事が急遽中止(ウィルス感染拡大防止策として)になりました。
当然の成り行きで仕方ありません)
それに伴い、活動そのものも3月は休止することになり私の担当しているサークルも
当然休止することになり昨日から今日にかけて電話連絡やメール・・・でてんてこ舞いです。
そして、カレンダーの予定表も空白がいっぱいになりました。

空白の日・・・つまりフリーの日が増えたのでこんな時には日頃ご無沙汰している
友人、知人と会ってランチしたいところですがそれもかなわず巣ごもり生活を余儀なくされそれがストレスになり体調を崩すのではと案じるのは私だけでしょうか。
都内に住む姪から3月中旬に久々に会おうといってそれを楽しみにしていますが
そのころまでには収束に向かってくれることを願うのみです。

巣ごもり生活の準備として昨日は車のガソリンを満タンにしてきました。
とりあえずお米も買ってきました。

巣ごもり生活が始まったら当面は所属している団体の今年度の整理、次年度の準備をしょうかな。






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コロナウィルス・・・早く終息して欲しい。

2020-02-14 | Weblog
私は1年でいちばんこの季節が嫌いです。
特に根拠はないのだけど私は寒さが苦手なのです。
今年は例年にない暖冬できょうは16度もあったようですが・・・

コロナウィルス騒動は日毎ではなく時間ごとに情報内容が変化して
いって怖いです。

昨年、のんびり船旅にと名古屋港から天童市まで4泊5日(往復2泊は船泊、ホテル2泊)のミニクルーズ旅を体験し、いずれはダイアモンドプリンセス船のような豪華客船での旅行を・・・・とあこがれてネット検索やパンフレット集めをはじめていたのですが今回のことで吹っ飛んでしまいました。

漸く、一般乗客の下船も開始されるようですが(検査の陰性者のみ?)
乗客の方々の多くは私とは同世代でお気の毒としか言えません。

下船されてもすぐに帰宅できるのかどうかわかりませんが一日も早く平常の生活に戻れるよう願うのみです。



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医学の進歩がめざましい!!・・・

2020-02-06 | Weblog
昨夜、大阪に住む次兄に電話しましたらとても元気な様子で
安心しました。

私は4人兄妹(兄2人と姉と私)で末っ子74歳です。
長兄とは17歳差、次兄とは6歳差、姉とは2歳差で長兄は
72歳で他界・・・・今から思えばずいぶん早くに逝ったものです。
肺癌でした。
判ったときは余命3ヶ月と言われて6ヶ月で逝きました。

6歳上の次兄が去年の夏に肺癌を宣告され、年賀状でそのことを知らされました。
去年の6月、10ン年ぶりにに会ったときは『年いったな』(私のことも当然でしょうが)と感じたものの普通に元気でした。

私たち兄妹は交流があまりありません。(私以外は関西在住)
(姉とは時々電話で話したり関西に行ったときなどに姉の家に泊まったり、食事をしたりの交流がありますが・・・)
去年の6月に私が関西に行った帰りに『たまにはみんなで会おうよ』と私が提案し
大阪駅構内のレストランでランチしました。
次兄とは実に10ん年ぶり位です。

実家(長兄他界)からは長兄、母の仏事(13回忌)の案内もなかったので会う機会もありませんでした。
最近は何事も簡素化され交流も希薄になってきています。
そういう意味では昔はよかったなと思います。

前置きはさておき
次兄に肺癌が見つかったのが去年8月でステージ4
ステージ4だと手術はできないそうで抗がん剤治療しかないそうです。
告知当時はとても落ち込んだことと思います。
私もそうでした。(私も家族と姉以外には話しませんでした)
その兄が年賀状で知らせてきたのはちょっと気持ちが落ち着いたことの証でしょう。
それで私は私の体験、気持ちのありよう、私の周囲で肺癌から克服した人の現在を手紙にしたためお見舞い状を出しました。
『お見舞い』(金品)はあえてしませんでした。
私の体験上・・・もらっても有り難くない、お見舞いに来てもらうことも拒否しました。

その次兄の抗がん剤治療が劇的に効いたのか
昨日電話した時はとても元気な声で私が驚いたくらいです。
その前日(一昨日)抗がん剤治療の効果を確認する諸検査(採決、CT、MRI、レントゲンなど)の結果説明があり『癌がわからないくらいに消えている。しばらく通常の生活をして様子見しましょう』ということになったとのことで服用薬も無いそうです。
そういう結果説明の後だったので次兄は気持ちが晴れ晴れしていたのでしょう。
よかった!!!

長兄の場合も肺癌で余命3か月でしたがその当時は治療の手立てがなかったのか
田舎(確か旧 日赤だったような?)のせいだったのか・・・・
特に治療(抗がん剤等)もせず(体力的に無理だったのか?)
もし、今だったら次兄のような治療を受けていれば・・・・と悔やまれます。




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