映画「日本の青空」を観ました。日本国憲法の誕生秘話が、力まず落ち着いて、比較的淡々と描かれた良作でした。日本国憲法が決してGHQの押しつけで出来上がったものではないことがよくわかります。ストーリーはくだんのHPをご覧ください。
憲法学者である鈴木安蔵は戦時下に政府から言論弾圧を受け、職を得ることができず、妻俊子が長年生活を支えました。遂に「治安維持法違反第一号」として3年間投獄されますが、それにもめげず、また俊子の忍耐強い支えも得て、服役中に民主主義や憲法について自分の考えを深めるのです。夫婦揃っての信念の強さ、どんな状況でも失うことのない自分への誇りや尊厳に、まずは感銘を受けました。
戦後GHQの指導の下、松本国務大臣や白洲次郎が中心となった政府と、鈴木安蔵が中心となった「憲法研究会」とが、それぞれ並行して憲法草案を作りました。あくまでも統治権は天皇にあるとした政府の草案 vs 民主主義の下では主権は国民にあるべしとした草案...。
マッカーサーの指令で「大日本帝国憲法の条文の配列を変えることなく改正せよ」との条件つきだったため、安蔵らは「戦争の発動」についての条項で苦悩します。主権はあくまでも国民にあるべきだけれど、「戦争の発動権は国民にある」とはできないからです。「敢えて空白でいいのでは? 空白はいつか埋まるわ」という俊子の一言でそれは削除され、草案は提出されました。終戦からわずか4ヶ月というスピードです。
結局安蔵らの草案が民主的だとGHQに評価され、さらにGHQが戦争放棄を謳う条項を入れることで安蔵らの作った”空白”が埋まり、憲法が成立しました。終戦の翌年には新憲法が発布されるのですから、当時の社会の流れを考えるとすさまじい速さではないかと思います。その速さに、GHQの力だけでなく、戦争直後に日本社会にみなぎっていた民主主義への気運の強さを感じさせられました。
妻の俊子は辛抱強く安蔵らの活動を支えたばかりではなく、先の一言や、さらにこんな言葉をも紡いで、憲法草案に貢献しています。「女性が参政権を得たら、戦争に反対すると思う。自分の産んだ子供を兵隊に出したい母親はいない」 この一言で、安蔵は女性の参政権を保障する条文を入れることを決意したのです。
また、少女時代日本で生活した経験を持ち、語学力を買われて戦後GHQに派遣されたアメリカ国籍の女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさんの存在も、女性の権利についての条文に大きな影響を与えました。映画の中では、シロタさんが涙ながらに語った言葉が印象的でした。「日本に在住した10年間に日本人女性を見ていて、日本人の女性が差別されることなく生きていける社会になってほしいと願ってきた」と。
GHQの指導の下、戦後民主主義の気運と熱意に溢れた旗手と、それをいろいろな形で支えた日米の女性の陰の力とで、現在の憲法が成立したことがよく伝わってくる映画でした。
憲法改正(改悪)に賛成する、しないにかかわらず、一見の価値がある映画だと思います。みなさまも、機会があったらぜひご覧になってみてください。ただし、この映画はあくまでも憲法改悪に反対する姿勢で作られていることを申し添えておきます。