
「平和百人一首」とこのシリーズについての解説は、初回記事と2回目の記事をご参照ください。前回記事はこちらで見られます。
なお、かなづかいや句読点は原文のままとするので、読みづらい点はご了承ください。
平和百人一首
かへり来ぬ人のいのちの恋しきに なほ祈らるるいくさなき世を
秋田県北秋田郡早口町 高橋 園子
私は男子二人の母として貧しき中にも楽しき月日を陸奥の天地に平和に送つて居りました。処が第二次世界大戦となり老も若きも戦争に駆立てられた中に、十六歳の次男英康を忘れもやらぬ終戦直前七月廿四日呉港外淀泊中の大淀艦に失つた悲運の母であります。
戦は惨憺たる終戦となり陸続として帰り来る若人の中に一日千秋の思で待続けた次男---然し秋気身にしみる九月、風の便りに聞いたのは世にも悲しきその戦歿の報でした。
終戦と共に世は一変し、初めて知る自由と平等の世界、そして平和を寿ぐ時戦勝国も戦敗国もあたら有為の幾十万の若人を戦野の露と失つた事を人類最大の悲劇として認識させられたのでした。だが、時既に遅く、逝きたる者は再び帰ず、永遠につきぬ追憶の涙は平和への希求となり、今こそ世界のシンボルならんとして居るのです。
逝きたる者への追憶こそ、平和への情熱であり祈りであります。
(園子)