このテーマでの『祖国と青年』誌への連載は、二十一年三月号で終了しましたが、私の「日本の誇り復活―その戦ひと精神」は死ぬまで終らない(死而後已(ししてのちやむ))ので、引き続き月刊のペースで、毎月十日前後に、私のブログで発表する事としました。今号は、3月に第41回全九州学生ゼミナールで講義した内容です。大東亜戦争完遂に尽力した「大学・専門学校」について、①東亜同文書院②東京帝大第2工学部③熊本師範学校、について記しました。国家の為に尽力した大学に学んだ者達が「戦後復興」の原動力になったのです。今は、消し去られた歴史の一部を紹介しました。尚、ブログ版では終わりに参考文献を掲載していますので、関心のある方はそれらの文献をお読み下さい。
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『祖国と青年』21年3月号の連載文章です。私の住む熊本県合志市の黒石神社で昭和21年2月13日に自刃して亡くなられた棚橋眞作大佐の顕彰を日本会議熊本合志支部の方々と取り組み始めた理由を記し、自決当日の朝に記された棚橋眞作大佐の「遺書」の全文を掲載しています。素晴らしい内容です。是非お読み下さい。尚。この連載は今号で終了し、『祖国と青年』4月号からは新連載「先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人」を開始します。 . . . 本文を読む
『祖国と青年』2月号の連載原稿です。昨年末に大きな成果を生み出した。熊本での三つの運動について記し、運動の「型」の共有を訴える内容となっています。その3つとは、①熊本市男女共同参画条例を巡る戦いの勝利 ②田母神氏講演会の大成功 ③熊本県が教育者を集めて拉致問題学習会を行った事 です。 . . . 本文を読む
『祖国と青年』21年1月号の連載です。私は、明治のクリスチャン新渡戸稲造も日本陽明学の系譜に位置付けて、講義を行っています。その理由と、83年を経て復刊された新渡戸稲造著『1日1言』を紹介しました。
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『祖国と青年』12月号掲載文章です。11月下旬に日本会議熊本10年史を発刊しました。この10年、日本会議地方運動を領導して来た日本会議熊本の歩みを約300ページの冊子にまとめました。その内容を紹介しています。 . . . 本文を読む
『祖国と青年』11月号の掲載原稿です。9月27日に滋賀県高島市で開催された嚶鳴フォーラムの様子について書きました。このフォーラムは、郷土の偉人を街づくり人づくりに生かしている全国の自治体や民間団体が集まって意見交換を行うもので、メインには「市長サミット」があります。今回は11自治体の代表が意見交換を行い。とても感銘深いものでした。 . . . 本文を読む
『祖国と青年』10月号の連載原稿です。8月28日に91歳で逝去された日本会議熊本代表委員の国友多賀夫氏の告別式で捧げた私の弔辞である。かかる立派な方が居られた事を伝えたく、あえて紹介した。 . . . 本文を読む
『祖国と青年』9月号の連載記事です。アップがすっかり遅くなり、今日9月号・10月号・11月号の3回分をアップしています。9月号は8月号で紹介したBC級戦犯が受けた非道なる扱いについて更に詳しく書いています。 . . . 本文を読む
7月1日に荘内南洲会を訪れた。その際の感動を機に記した文章を掲載する。『祖国と青年』の7月号に掲載したものである。明治23年に「西郷南洲遺訓」が出版されたのは、鹿児島ではなく、遠い山形の荘内だった。その事が大西郷の顕彰に大きな意味を持つ。鹿児島と荘内という、顕彰の二つの中心地を持つ事によって、西郷南洲は日本を代表する人物として日本中に敬仰の輪が広がったのである。 . . . 本文を読む
『祖国と青年』6月号に掲載した文章です。チベット支援の長野での戦いの紹介と5月18日に福岡で開催された「憲法タウンミーティング」(日本青年会議所福岡ブロック主催)に登壇した感想を記しています。 . . . 本文を読む