第22回(令和5年8月29日)
「爾只だ他を欺く要(べ)からず、実実落落に他に依着して做(な)し去(ゆ)かば、善は便(すなわ)ち存し、悪は便ち去らん。」(『伝習録』下巻六)
今回からは、「致良知」に関する実際的な質問に対する、王陽明の言葉を紹介して行く。その質問は、今日私達が陽明学を実践して生きて行く上に於いても、大いに参考となる。
門人の陳九川が、「どのようにして良知を致せば良いのですか . . . 本文を読む
第21回(令和5年8月26日)
「これ(致良知の説)はこれ聖学伝心の要(かなめ)なり。」(『王陽明全集』第二巻「書の二」「甘泉に答ふ」)
正徳16年、50歳の王陽明は、「致良知」説を確信して唱え始めた。見解の相違はあっても、同じ聖学の徒として、知己の交わりを結んだ湛甘泉(湛若水)に対する書簡の中で王陽明は、甘泉が『学庸測』を著して『大学』『中庸』を解説している事を評価しつつも、詳しく解説してあ . . . 本文を読む
第20回(令和5年8月22日)
「良知は只だこれ一箇の天理の自然に明覚発見する処、只だこれ一箇の真誠惻怛(しんせいそくだつ)、便ちこれ他(かれ)の本体なり。」(『伝習録』中巻「聶文尉に答ふ」二)
大西晴隆氏は、『王陽明全集』第1巻の解説の中で「晩年の彼(王陽明)は良知を「真誠惻怛」「誠愛惻怛」「仁愛惻怛」などと規定し、(略)天地万物一体の仁、いわば神的衝動としての愛といってよいであろう。」と記 . . . 本文を読む
第19回(令和5年8月15日)
「問ふ君何事か日に憧憧(しょうしょう)たる」 (『王陽明全集』第6巻「詩」「居越詩 良知を詠ず。4首。諸生に示す。」)
前回紹介した「詠良知四首示諸生」の中の詩の2首目を今回は紹介する。
問君何事日憧憧 問(と)ふ君(きみ) 何事(なにごと)か日(ひ)に憧々(しょうしょう)たる
煩悩場中錯用功 煩悩場中(ぼんのうじょうちゅう) 用功(ようこう)を錯 . . . 本文を読む
第18回(令和5年8月12日)
「人々自ら定盤針あり」 (『王陽明全集』第6巻「詩」「居越詩 良知を詠ず。4首。諸生に示す。」)
王陽明は良知説を掲げてからは、門人達の為に「良知」を題とする詩を詠んで示している。ここで紹介するのは、50歳の時に、南京兵部尚書に昇進し、南京への赴任の途中で郷里の余姚に戻った時の詩を集めた「居越詩」の中の「詠良知四首示諸生」の中の3首目の七言絶句である。
人人自 . . . 本文を読む
第17回(令和5年8月8日)
「それ良知は、すなはちいはゆる是非の心、人皆なこれあり、学ぶを待たずして有り、慮るを待たずして得る者なり。人孰(たれ)かこの良知なからんや。独(た)だこれを致すこと能はざるあるのみ。」 (『王陽明全集』第2巻「文録」五 雑著「朱守乾の巻に書す」)
王陽明は48歳の時、江西省南昌に拠って叛乱を起した王族の寧王宸濠をわずか二週間で平定した手際の見事さが朝廷に嫉妬を生み . . . 本文を読む
第16回(令和5年8月5日)
「聖人の心は明鏡のごとし。只だこれ一箇明らかなれば、すなはち感に随ひて応じ、物として照らさざるはなし。」 (『伝習録』上巻21)
王陽明は、理想とする心の状態を「明鏡」に譬えて、その「心鏡」に曇りが生じない様に、日々磨き続ける事を説いている。
これは、弟子の陸澄が「聖人はどんな事にも自由自在に対応できるのは、予め様々な出来事に対して考察をしているからでは無いの . . . 本文を読む
第15回(令和5年8月1日)
「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」 (王陽明全集第二巻『文録』書の1「楊仕徳・薛尚謙に与ふ」)
王陽明が魅力的なのは、その講学が学校や教場だけで行われたのではなく、時には賊を討伐する等の苛酷な任務に従事している、その渦中で行われた事による。王陽明は文官だが、その軍事的な才能を評価されて幾度も賊の討伐を命じられている。陽明は実際幾度も「山中の賊」と対峙し . . . 本文を読む