先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人(最終回)(『祖国と青年』24年3月号掲載)
陽明学実践の手引き・わが行動哲学十の指針
立志・事上磨錬・致良知・天・知行合一・謙・寛厚・正成一人・日本精神・終生の志
この連載では、王陽明と日本陽明学の脈流に屹立する十四人の日本人の生き方と「魂の言葉」を紹介して来た。取り上げた人物は、全てが求道の士であり、学問追及者であり教育者であり、然も行動家 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第三十四回(『祖国と青年』24年2月号)
何故「陽明学」は日本人の哲学となったのか
儒学の理想は日本で実践され、日本人の求道心が陽明学と合致した
連載「先哲に学ぶ行動哲学」も次号で終了する。そこで今回は「総論」として、中国に誕生した陽明学が、わが日本で多くの偉大な先達の思想の柱となった理由を考えたい。
中江藤樹や熊沢蕃山は、思想を論じるに . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第三十三回(『祖国と青年』24年1月号掲載)
安岡正篤 東洋哲学の泰斗・人間学を提唱した昭和の導師2
同志各々一燈を点じて一隅を照し、萬燈天下を遍照することを期す
昭和四年三月、安岡は「文教革新会」の趣意書を起草した。安岡は当時の教育を「職業教育機関甚しきは営利事業化し、無責任なる粗製品濫造を為す工場の観」があり、「教育の為に却って国民は経済 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第三十二回(『祖国と青年』23年12月号掲載)
安岡正篤 東洋哲学の泰斗・人間学を提唱した昭和の導師1
天下を憤るは易いが、天下を救ふは難し
日本の陽明学の脈流を語る場合、大正から昭和にかけて、わが国の政治家・教育者・官僚・軍人に多大な影響を及ぼした碩学・安岡正篤の存在を抜きにする事は出来ない。
安岡は陽明学を始めとする儒教・老荘思想・仏教 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第三十一回(『祖国と青年』23年11月号掲載)
三島由紀夫―現代に蘇る文武両道の思想2
生死を賭けた戦ひのあとに、判定を下すものは歴史であり、精神の価値であり、道義性である
三島由紀夫は、『文化防衛論』の中で「政治概念」ではない「文化概念としての天皇」こそが、守るべき「究極の価値」だと記している。
三島は天皇を論じるに当り、ドイツ語の「ザイ . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第三十回(『祖国と青年』23年10月号掲載)
三島由紀夫―現代に蘇る文武両道の思想1
文士三島から「サムラヒ」三島由紀夫へ
三島由紀夫、本名平岡公威は、大正十四年一月十四日に東京市四谷区(現新宿区)の平岡梓・倭文重夫妻の長男として誕生した。幼時は、祖母・夏子の溺愛を受けて育った。昭和六年に学習院初等科に入学、この頃より詩歌・俳句に興味を持ち始 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第二十九回(『祖国と青年』23年9月号掲載)
根津 一 東亜同文書院に脈打つ根津魂2
吾れ幾度びも生れ来りて、力を道徳の事につくさん
明治三十二年秋、根津は東亜同文会会長の近衛篤麿氏と会見し、支那に大規模の学校を設立する為の急務と方法について一致する。三度根津が対社会運動の前線に立つ時が訪れた。根津四十歳の時である。
三十三年六月、根津は南 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第二十八回(『祖国と青年』23年8月号)
根津 一 東亜同文書院に脈打つ根津魂1
東亜経営の志を胸に傲将メッケルに対峙したその大和魂
戦前、支那大陸の一角・上海の地に日本人によって設立され、将来の日支(日中)関係を担う日本人青年を輩出する為の教育機関があった。それが東亜同文書院である。
東亜同文書院には、全国四十七府県が、中等学校卒業 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第二十七回(『祖国と青年』23年7月号掲載)
新渡戸稲造―「内なる光」に生きた国際人2
日本を背負い、天皇の大御心を体して戦い抜いた真の愛国・国際人
実践に裏打ちされた教育者
新渡戸稲造が自分の信條を月に託した二首の和歌がある。
●見る人の心ごころにまかせおきて高嶺に澄める秋の夜の月
●わづかなる庭の小草の白露を求めて宿る秋の夜の . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第二十六回(『祖国と青年』23年6月号掲載)
新渡戸稲造―「内なる光」に生きた国際人1
『武士道』―西欧に負けぬ日本人の高き精神性の世界への発信
※画像は、北海道大学構内の新渡戸稲造像の横で撮ったもの
軍人として武士道を体現し、明治天皇に殉死した乃木大将と、『武士道』を著して世界に日本を紹介し . . . 本文を読む