「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

日本会議熊本十年の戦ひを後世に!

2008-12-26 00:17:41 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(三十八)

日本会議熊本十年の戦ひを後世に!
『草莾崛起・日本をリードした熊本十年の歩み』発刊

 日本会議熊本は、今年の六月五日で設立十周年を迎へた。だが、春は運動課題が山積してゐた為、十周年記念行事は秋に行ふ事として、夏の諸行事終了直後から準備を始めた。十周年を迎へるに当つては、①十年を支へて来て下さつた方々に対する感謝②十周年を機に県内十五支部を結成し、新しい十年を展望する③十年の足跡・歴史を記録として後世に残すの三点に主眼を置いた。

 その中でも、③の『十年史』編纂は、この十年、日本会議の地方運動を牽引して来た熊本として、後世にその智恵と行動の足跡を残す使命があると考へて着手した。八月初旬に編集作業を開始して、三島義挙38周年の十一月下旬に280Pに及ぶ『草莾崛起・日本をリードした熊本十年の歩み』が完成した。

内容は六章構成で、これ迄ご出講戴いた先生を始め国会議員・本部関係者・日本会議熊本役員・会員から寄せられた文章と「十年の歩み」の部分に分かれてゐる。「十年の歩み」としては、第2章のグラビア篇(91ページ)第4章の年表篇(17ページ)、そして第5章の「組織・運動論」(95ページ)があり、私自身全力を投入して取り組んだ。

グラビア篇では、膨大な記録写真の中から、組織建設に関する行事の流れと運動テーマ毎の流れとに分けて編集した。グラビアを見るだけで何を行つて来たか一目瞭然となるものを目指した。年表は、私の業務手帳と『日本の息吹』熊本県民版(平成9年十一月号より毎月発刊・134号を数える)等に基づいて完成させた。

以上の基礎作業の上で、この十年の成果と課題とを論文形式で纏めた。内容は第一部を組織論「国民運動を推進する地方組織モデルについて」第二部を運動論「地方に於ける国民運動の推進について」として、全体執筆を私が行ひ、各論として諸熊弘毅・加納良寛・西岡信郎・諸熊由美・堤温子・片岡正憲の六氏に書いてもらつた。組織論を先に記したのは、組織の強化無くして運動は有り得ないといふ私の強い信念による。組織は人であり、組織力の強弱が運動の成功の鍵を握つてゐるのだ。

第一部では、日本会議熊本が如何にして会員拡大の急上昇を達成し、この十年それを維持してきてゐるのか具体的なノウハウも含めて記した。熊本の購読部数は、日本会議熊本設立前は360部だつたのが、平成10年には1257部、12年には1796部迄持つて行つた。又、女性部会(平成12年12月)・日本女性の会支部の立ち上げ(17年4月)、熊本県議会日本会議議員連盟の結成(11年12月)といふ現在全国展開してゐる方針の先駆けも熊本からだつた。支部結成については、12年4月の阿蘇支部結成以来、17年4月に中部支部が、20年には玉名第一支部・八代支部・合志支部が相次いで結成され、来年迄には県下15支部が結成される。問題はそれからであり、15支部を活性化させて行く県本部の有り方が問はれてくる。又、議連を市町村迄如何に広げて行くのか、青年部結成を如何に進めていくのか。着手すべき課題は多い。

 運動論ではジャンルを作つて今後の運動の参考になるものを重点的に記した。先づ「切り拓いた三つの運動方策」として、①奉祝・ご奉迎運動②県議会請願活動③救う会熊本の活動の三つを記した。

①の奉祝・奉迎では特に沿道を国旗小旗で埋め尽くす奉迎の有り方は、平成十一年時の熊本奉迎が生み出したもので、宮内庁・警視庁関係者からも驚嘆の声が寄せられた。又、愛子内親王・悠仁親王殿下ご誕辰当日の提灯行列や旗行列、県下全市町村役場に於ける記帳所設置、等は如何にして実現出来たのかを記した。

②は、「県議会」を動かさずして「国民の声」は「行政」には届かないとの強い信念から、全国展開の課題だけではなく独自の課題についても次々と請願を行ひ、議会から政府に意見書を提出して戴いた。

③の北朝鮮拉致問題は、救出の為の国民世論形成を目指して熊本が独自で取り組んだ様々な運動を三期(草創~小泉訪朝・小泉訪朝~北朝鮮人権法制定・その後)に分けてそれぞれ詳述してゐる。

次に「総力で展開した運動」として①靖国神社護持運動②教科書改善運動③教育基本法改正運動④終戦60年事業⑤皇室典範改悪阻止、の5つを抽出した。そのそれぞれに於て爆発的な運動を展開した。ただ、②の中学校歴史教科書改善運動は二度敗北を喫した戦ひであるが故に、詳しい総括が必要と考へ、共に戦つた作る会の西岡支部長が、17年の採択戦後に記した詳しい経過と総括の文章を掲載した。

他にも「女性の会を中心とした運動」として、①日本女性の会熊本県支部の活動②熊本市男女共同参画条例を巡る戦ひを掲載した。特に後者についてはこの二年間日本女性の会熊本県支部の総力で戦ひ抜き、現在勝利の一歩手前まで来てゐる。この間の詳しい経緯を堤温子氏、運動論を女性の会をサポートした片岡正憲事務局長に記してもらつた。

日本会議熊本の運動は全国にも様々な影響を与へて来た。それ故「全国に発信した運動」として①憲法シンポジウム②竹島・北方領土返還運動・対馬問題③沖縄集団自決集会の嘘を暴く活動の三つを記した。更に、「マスコミの偏向を正す運動」として六つの戦ひを記した。マスコミの偏向や不正に対しては断固たる反撃が必要なのである。最後に「国際交流事業」も紹介した。

 書き終はつて思ふのは、良くもまあこんなに多くの事に取り組んで来れたなあ、との実感である。何故、これだけの事がやれたのか、それは、国の為だつたら「イザ」「イザ」と前向きに断固としてやらうとする同志が多数存在したからである。毎週事務局会議に集つてくれる事務局ボランティアの方々を始め役員・会員の方々の暖かい励ましと献身的な支へがあつたからやれたのだと思ふ。私は、国民運動四則として「情熱」「智慧」「行動」「人の和」を提唱してゐるが、正に、これらの総合力の為せる業なのだ。熊本に於ける「変革の拠点」こそが日本会議熊本であり、その十年の魂と叡智と行動の記録を書き終へた事に今、安堵してゐる。

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