最近、自衛隊関係者の方からお話を伺う機会があった。
現在、東日本大震災への災害派遣で10万6千人の隊員が派遣されている。ところが、これだけの人員を派遣するにはその後方支援の人員が約5万人程必要であり、24万8千人しか居ない自衛隊の中で、16万人が動員される事となるのである。
今、陸上自衛隊には10個師団が編制されているが、師団本隊が残っているのは北海道の1個師団と中部の1個師団と熊本の第8師団 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人 第二十四回(『祖国と青年』23年4月号掲載)
乃木希典―軍服の聖者1
軍旗喪失(西南戦争)数万将兵の犠牲(日露戦争)その全てを背負って生きた「死に勝る苦悩」
乃木大将については、日露戦争の旅順の戦いや水師営の会見が有名だが、日露戦争後に学習院院長に任じられ、裕仁親王(昭和天皇)を始めとする三人の皇孫殿下の薫陶に当られた事についてはあまり . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人 第二十三回 (『祖国と青年』23年3月号掲載)
明治以降に於ける陽明学の展開について
私は二十歳の時に書店で『陽明学入門』と出会い、王陽明の言葉に人生の指標を見出し、独学で陽明学に参究した。
爾来、「立志・勤学・改過・責善」「存天理去人欲」「知行合一」「事上磨錬」「抜本塞源」「致良知」の言葉は私の生涯の公案となっている。
陽明学は「学問 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人 第二十二回 (『祖国と青年』23年2月号掲載)
西郷隆盛 敬天愛人の思想3
永遠の維新者
明治元年十月、戊辰戦役の平定を見た西郷南洲は、後事を薩摩藩の盟友大久保利通と小松帯刀に託して、鹿児島の地へと戻った。
西郷には功を為し遂げた後の、恩賞に預かろうとの気持ちは毛頭無かった。四年前の元治元年、薩摩藩は西郷南洲の力を必要として沖永良部島 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第二十一回(『祖国と青年』23年1月号掲載)
西郷隆盛 敬天愛人の思想2
薩長同盟を実現せしめた西郷南洲の大度量
二度の遠島から戻った西郷南洲は、薩摩藩の政治の中枢に位置し、ひたすら先君・斉彬公の「遺志」の継承・実現の為に尽力して行く。
『島津斉彬言行録』の序に牧野伸顕は「維新ノ前後公文等ニ能ク先君ノ遺志ヲ継イデト云フ一句ガアル 此レハ . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第二十回(『祖国と青年』22年12月号掲載)
西郷隆盛 敬天愛人の思想1
生死何ぞ疑はむ天の附与なるを
西郷隆盛(号は南洲)が西南戦争で亡くなって百三十三年目の命日である九月二十四日、大西郷の精神の対極にある「屈辱外交」を民主党菅内閣は選択した。尖閣列島周辺の領海で、我国の海上保安庁の巡視船に意図的に体当たり攻撃を加えた中国人漁船の船長を . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第十九回(『祖国と青年』22年11月号掲載)
河井継之助 独立特行を志した北越の英雄2
一忍以て百勇を支うべく、一静以て百動を制すべし
「郡奉行」として見事な手腕を発揮した河井継之助は、一年後の慶応二年十一月には、「町奉行」にも任命され、町政の改革に着手する。
更には「御奉行格」「御年寄役(中老)」「御家老本職」そして慶応四年閏四月に . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第十八回(『祖国と青年』22年10月号掲載)
河井継之助 独立特行を志した北越の英雄1
天下になくてはならぬ人となるか、有ってはならぬ人となれ
「恩義」と「大義」との両立が難しくなった時、「義を貫く」為には如何に行動すべきか、幕末、長岡藩の英傑、河井継之助の生き方は、吾々にその事を教えてくれる。
戊辰戦争の時、長岡藩は、薩長中心の官軍と . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第十七回(『祖国と青年』22年9月号掲載)
山田方谷 誠に生きた藩政改革の巨人2
至誠惻怛、国家の為にする公念より出でん
山田方谷は、学問が自分の日常に結びつかない口先だけの人間を最も嫌った。「友人某に答ふる書」の中で、王陽明の「人となり」に学ぶ事の重要性を指摘し、王陽明の言葉を利用して他者を非難する軽佻浮薄な青年を戒めている。
●足 . . . 本文を読む
先哲に学ぶ行動哲学―知行合一を実践した日本人第十六回(『祖国と青年』22年8月号掲載)
山田方谷 誠に生きた藩政改革の巨人1
事の外に立ちて事の内に屈せず
幕末期の陽明学者山田方谷の魅力について、安岡正篤氏は「古代の聖賢は別として、近世の偉人といえば、私はまず山田方谷を想起する。この人のことを知れば知るほど文字通り心酔を覚える」と述べている。
山田方谷は文化二年(1805)に . . . 本文を読む