「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

「良知」の言葉 第21回「これ(致良知の説)はこれ聖学伝心の要(かなめ)なり。」

2023-08-26 10:47:33 | 「良知」の言葉
第21回(令和5年8月26日)
「これ(致良知の説)はこれ聖学伝心の要(かなめ)なり。」(『王陽明全集』第二巻「書の二」「甘泉に答ふ」)

正徳16年、50歳の王陽明は、「致良知」説を確信して唱え始めた。見解の相違はあっても、同じ聖学の徒として、知己の交わりを結んだ湛甘泉(湛若水)に対する書簡の中で王陽明は、甘泉が『学庸測』を著して『大学』『中庸』を解説している事を評価しつつも、詳しく解説してあるが故に、かえって読む者には解りにくく、真理をつかめなくなるのではないかと、危惧を示し、その後で次の様に書いている。

「使う言葉は明白かつ浅易にして、大筋を指し示し、読者をして自分で思い考えて納得させ、更に意味の深さを自ら覚らせる様にした方が良いのではないだろうか。」

そして、「これ(致良知の説)はこれ聖学伝心の要なり。ここにおいて既に明らかなれば、その余は皆な洞然(明らか)なり。意、懇切の処(肝腎のところ)に到れば、直(率直)ならざるべからず。」と、致良知説こそが聖学の心を伝える急所であり、表現は直截であるべきだと述べている。

王陽明は他の書簡では、「良知」の二文字こそが、「吾が聖門の正法眼蔵なる」(「書の二」「鄒謙之に与ふ」(二))とも述べている。「正法眼蔵」とは、禅門で言う正しい世界の見方、悟りの真実の事を言う。又、年譜には「我がこの良知の二字は、実に千古聖々相伝の一点の滴骨血(てっこつけつ)なり。」と述べている。滴骨血とは、「いま生きている人の血を死者の骨に滴らせると、それが血縁者の骨であれば骨に滲み入るので即座に判明する」(森山文彦)の事である。良知の二字こそが千古から聖人が相伝えて来た正真正銘の聖学の「要」だと述べている。

王陽明自体は様々な苦悶の体験を経て、「致良知」説に到達したのだが、聖学の要所を掴んだ以上、後進の者には、その「要」である「致良知」という簡潔なる言葉を示す事によって、それを自ら深め体認させたいと願ったのである。

「良知」は自らの中に見出し、日々自覚を深め、心に問いかけて行く実践課題である。王陽明が言う様に、言葉は簡単だが、その意味を思い、更に考え、そして意味の深さを覚る中で、良知に基づいた日々の行動・生活の在り方が顕現されていく。「致良知」を単なる知識としてではなく、自分の生き方として、日々深めて行く事が大切なのである。


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