(注:昭和の出来事から始まる内容なんやけど昭和をあまり知らないので画像はテキトーに映画の『赤線地帯』から持ってきた)
俺の近所にいる馬爺と大泣きジジイは、
終戦後に生まれた幼なじみ同士やった。
1950年代、
子供真っ盛りの二人は、
ジジイやなかったので、
馬爺はウマ、
大泣きジジイは大泣きと呼ばれていた。
そしてこの2人はよく喧嘩をした。
最初に大泣きが爆泣きして家に帰り、
母親を呼んで来た。
大泣きの母親は泣きまくる大泣き連れてウマを怒鳴りつけた!
ウマも泣き出して家に帰り、
母親を呼んで来た。
そして、
イマでいうママ友の乱闘となった。
ところが、
1960年代、
2人は20代になっても喧嘩して、
大泣き青年が爆泣きして家に帰り、
母親を呼んで来た。
大泣き青年の母親がウマ青年を叱ると、
ウマ青年も泣き出して家に帰り、
母親を呼んで来て、
母親同士の乱闘となった。
こんなことが1970年代、1980年代、
ベルリンの壁の崩壊とソ連の崩壊があっても、
続けられることとなった。
大泣き中年とウマ中年は、
喧嘩しては泣き出して、
それぞれ母親を呼びつけ、
母親同士の乱闘となった。
そして現代!
大泣きジジイがスーパーでひとつ残った安価な米を買おうとしたら、
馬爺が割り込んで米を横取りしようとしたが、
大泣きジジイが離さず、
凄まじい引っ張り合いになり、
米の外装ビニールが破れて中身が落ちてしまった。
2人は泣きながら家に帰り、
それぞれ、
母親の骨壷を持って来て睨み合った。