ども!
デジタイズをしていく中で、
アナログ放送時代の素材を、いかにして高画質でアップコンバートするか
手持ちの機材を駆使しながら手がけてみました。
現状、手持ちの機材は下記の通りです。
ビデオデッキ(素材)
言わずと知れた、4:3画角時代のデジタルビデオデッキです。
本来、デジタル記録したテープを再生するものですが、
デジタルベーカカム以前の、アナログ ビデオも再生できるとあって、
そのままこのデッキで再生すると、SD-SDIとして、デジタル出力できる。
ここで知ったのが、このSD SDIは、解像度で言うところの
「480i」である。1080素材と混合する場合は、
デジタイズの時点もしくは、ノンリニアの編集で、アップコンバートが必要であるが、
私が使用している編集ソフトは、「ファイナルカット プロ7」なので、
SD SDIをデジタイズする時点で、1060仕様 すなわち アップコンした方が綺麗な印象である。
そして、このSD SDI信号(480I)信号はSDI信号なので、一旦、パソコンへ取り込むために
信号変換器が必要である。それが
ADVC HD50というコンバータを用いる。
これが、ADVC HD50である。
HD50の役目として、SD SDI信号を、パソコンに取り込むために、HDV信号に変換して取り込むコンバータである。
ちなみにこのコンバータは、マルチスキャン方式ではないので、入力こそ、HDMI専用であるが、
1080もしくは720の2種類のみ受け付ける。
要は、購入して6年ほど経つので、入力信号の選別範囲が少ない。
このADVC HD50を経てパソコンへ取り込むことができる。
で、現状の問題点は、ただ1つで、
ベータカムデッキ SD-SDI信号 (480i)
↓
ブラックマジック マイクロコンバータ(SD SDI〜HDMI)変換
↓
ADVC HD50 (グラスバリー) HDMI入力〜FireWire
↓
MacBook Pro 使用ソフト FCP7
以上のフローチャートで、
ADVC HD50の入力信号形式が、例えば480iを受け付けられれば
なんら問題ないけど、現状は対応していない。
UltraStudio Mini Recorder
と、こんな顛末であった。
機材に困らない方にとっては、「何で?」と言われてしまうが、
あれこれ、苦労するのが玉田流である。
でも、過去素材のデジタイズは、いずれ、必要になってくるのである。
デジタイズをしていく中で、
アナログ放送時代の素材を、いかにして高画質でアップコンバートするか
手持ちの機材を駆使しながら手がけてみました。
現状、手持ちの機材は下記の通りです。
ビデオデッキ(素材)
言わずと知れた、4:3画角時代のデジタルビデオデッキです。
本来、デジタル記録したテープを再生するものですが、
デジタルベーカカム以前の、アナログ ビデオも再生できるとあって、
そのままこのデッキで再生すると、SD-SDIとして、デジタル出力できる。
ここで知ったのが、このSD SDIは、解像度で言うところの
「480i」である。1080素材と混合する場合は、
デジタイズの時点もしくは、ノンリニアの編集で、アップコンバートが必要であるが、
私が使用している編集ソフトは、「ファイナルカット プロ7」なので、
SD SDIをデジタイズする時点で、1060仕様 すなわち アップコンした方が綺麗な印象である。
そして、このSD SDI信号(480I)信号はSDI信号なので、一旦、パソコンへ取り込むために
信号変換器が必要である。それが
ADVC HD50というコンバータを用いる。
これが、ADVC HD50である。
HD50の役目として、SD SDI信号を、パソコンに取り込むために、HDV信号に変換して取り込むコンバータである。
ちなみにこのコンバータは、マルチスキャン方式ではないので、入力こそ、HDMI専用であるが、
1080もしくは720の2種類のみ受け付ける。
要は、購入して6年ほど経つので、入力信号の選別範囲が少ない。
このADVC HD50を経てパソコンへ取り込むことができる。
で、現状の問題点は、ただ1つで、
ベータカムデッキ SD-SDI信号 (480i)
↓
ブラックマジック マイクロコンバータ(SD SDI〜HDMI)変換
↓
ADVC HD50 (グラスバリー) HDMI入力〜FireWire
↓
MacBook Pro 使用ソフト FCP7
以上のフローチャートで、
ADVC HD50の入力信号形式が、例えば480iを受け付けられれば
なんら問題ないけど、現状は対応していない。
UltraStudio Mini Recorder
と、こんな顛末であった。
機材に困らない方にとっては、「何で?」と言われてしまうが、
あれこれ、苦労するのが玉田流である。
でも、過去素材のデジタイズは、いずれ、必要になってくるのである。