辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

もう10前の話ですが、よく7年もニューヨークに住んでいたなぁーと、思います。

2016-03-24 00:31:00 | 言語
1999年から2006年の間、ちょっとした気分の移り変わりで
ニューヨークで撮影の仕事していました。

実際のところ、別に英語ができたわけでも無いし、
アメリカに興味があったわけでも無い、

まして、その時が海外旅行初だったので、
海外での生活も初めてである。

トドメに、ニューヨークの場所すら知らなかった。

と、ナイナイづくめなスタートであった。

ご縁があって現地のプロダクションで
渡米するチャンスをもらったのがキッカケで、
貴重な体験も多かった。

中でも911のテロが勃発だった。

911の時は、東京で仕事をしていたので
日本で速報を見ていた。

間もなくして、ニューヨークに帰り
ガレキを目の当たりにして、しばらくの期間はテロ中心の
番組撮影と、ニューヨークからのテレビ中継を請け負った。

程なくして、復興特番と題した番組も増え
その一環で、メジャーリーグ 松井秀喜氏の番記者を担当する事になり
NHK 日テレ TBS フジテレビ テレ朝 テレ東 東京FMの
番組取材 録音を順番に請け負った。

そして、ニューヨークの市長選挙と
アメリカ大統領選挙へと続き
日本への帰国となった。

活気のあった頃のアメリカではあったと思うし
いろんなアメリカを知る事ができた。

全米にくまなく行く事ができたし、
廃炉になった原子力発電所の建屋にいったり、
刑務所にも行った。
ホワイトハウスにも行く機会があり、
死体博物館もプライベートで幾つか訪ねた。

住まいも、
日本人が多くすむセレブな街から
黒人が多い地区にも住んで、銃声が響く雰囲気にも慣れた自分が居た。

日系の病院で、治療方法に不満をぶつけて先生と大げんかしてみたり、
アパートが雨漏りしてテレビが濡れて壊れたり。。。

インラインスケートに憧れて
ハーレムの街角で子供に滑り方を教わったこと。

ニューヨークで暮らす、
日本から逃げてきた訳あり日本人と
一緒にルームシェアしたり。。。

とにかく、7年と短期間ではあったが
今振り返れば、「面白かった」「懐かしかった」という想い出ばかり。

今思うと、帰国のタイミングもよく、
日本でこうやって働くことが出来てる~、と実感している。

近いうちではないが、
家族でNYに遊びに行く時は
街並みは変わってなくとも、
変わっている自身とのギャップを
深く感じてしまうなぁーと、いったところと想う。

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