この仕事を始めた頃、単に撮影していた感が濃く
自らが企画して撮影することは稀だった。
しかも、当時、ビデオ編集するシステムまで
自前で揃えることはできなかったので、編集は
別世界の絵空事でしかなかった。
しかし、個人のパソコンが普及すると、
高価ではあるが、編集がしたくなる。
パソコンで編集する、ノンリニア編集システムの幕開けである。
と、なると、当時は舞台ビデオを制作していたので、
知り合いの編集システムをお借りして編集していたが
欲が出て、ドキュメンタリーを制作したくなる。
ドキュメンタリーと聞くと、被写体のありのままを
そのまま伝える、といった感が強かったが、そうではないことが
後々、分かった。
ドキュメンタリーこそ、監督や撮影監督の私論があってこその作品、ということなのだ。
まぁ、私にとってみれば、分かること、言える事はこの程度のレベルでしかない。。。
私論と言うと、胡散臭い感じは拭え切らないが、
いいにしろ、悪いにしろ、ある意味、作品の結果や方向性を
求めて、「今、こう思っている!」という、製作者の想いを
代弁するのがドキュメンタリーと感じる。
まぁ、単純なようでこれが難しい、
現象の全てを理解できなくとも、結論ありきの作品作りの難しさであるからだ、
制作者の思惑にもよるが、ちょっと、視点が変わると結論が大きく変わる。
まして、製作者に迷いがあると、編集もブレてしまい結論がボケる。
妥協と言うわけではないが、ボケるくらいなら
ドキュメンタリー制作なんて、しないほうが幸せなのかもしれないが、
その難しさをを楽しみに置き換え、あえて、制作してみるのだ。
短編のドキュメントがあってもいい、ブレずに作れるかがキーポイントとなる。
自らが企画して撮影することは稀だった。
しかも、当時、ビデオ編集するシステムまで
自前で揃えることはできなかったので、編集は
別世界の絵空事でしかなかった。
しかし、個人のパソコンが普及すると、
高価ではあるが、編集がしたくなる。
パソコンで編集する、ノンリニア編集システムの幕開けである。
と、なると、当時は舞台ビデオを制作していたので、
知り合いの編集システムをお借りして編集していたが
欲が出て、ドキュメンタリーを制作したくなる。
ドキュメンタリーと聞くと、被写体のありのままを
そのまま伝える、といった感が強かったが、そうではないことが
後々、分かった。
ドキュメンタリーこそ、監督や撮影監督の私論があってこその作品、ということなのだ。
まぁ、私にとってみれば、分かること、言える事はこの程度のレベルでしかない。。。
私論と言うと、胡散臭い感じは拭え切らないが、
いいにしろ、悪いにしろ、ある意味、作品の結果や方向性を
求めて、「今、こう思っている!」という、製作者の想いを
代弁するのがドキュメンタリーと感じる。
まぁ、単純なようでこれが難しい、
現象の全てを理解できなくとも、結論ありきの作品作りの難しさであるからだ、
制作者の思惑にもよるが、ちょっと、視点が変わると結論が大きく変わる。
まして、製作者に迷いがあると、編集もブレてしまい結論がボケる。
妥協と言うわけではないが、ボケるくらいなら
ドキュメンタリー制作なんて、しないほうが幸せなのかもしれないが、
その難しさをを楽しみに置き換え、あえて、制作してみるのだ。
短編のドキュメントがあってもいい、ブレずに作れるかがキーポイントとなる。