辛口の中にも愛を!!ビデオグラファー愛

赤ちゃんから皇室を撮るカメラマン
そんな自身の創意と意志を伝えるブログ

ドキュメンタリーこそ、相手ありきではなく、「私論」で攻める作品作りだと感じる。

2016-07-14 05:36:06 | ビデオ制作
この仕事を始めた頃、単に撮影していた感が濃く
自らが企画して撮影することは稀だった。
しかも、当時、ビデオ編集するシステムまで
自前で揃えることはできなかったので、編集は
別世界の絵空事でしかなかった。

しかし、個人のパソコンが普及すると、
高価ではあるが、編集がしたくなる。

パソコンで編集する、ノンリニア編集システムの幕開けである。

と、なると、当時は舞台ビデオを制作していたので、
知り合いの編集システムをお借りして編集していたが
欲が出て、ドキュメンタリーを制作したくなる。

ドキュメンタリーと聞くと、被写体のありのままを
そのまま伝える、といった感が強かったが、そうではないことが
後々、分かった。

ドキュメンタリーこそ、監督や撮影監督の私論があってこその作品、ということなのだ。

まぁ、私にとってみれば、分かること、言える事はこの程度のレベルでしかない。。。

私論と言うと、胡散臭い感じは拭え切らないが、
いいにしろ、悪いにしろ、ある意味、作品の結果や方向性を
求めて、「今、こう思っている!」という、製作者の想いを
代弁するのがドキュメンタリーと感じる。

まぁ、単純なようでこれが難しい、
現象の全てを理解できなくとも、結論ありきの作品作りの難しさであるからだ、
制作者の思惑にもよるが、ちょっと、視点が変わると結論が大きく変わる。

まして、製作者に迷いがあると、編集もブレてしまい結論がボケる。

妥協と言うわけではないが、ボケるくらいなら
ドキュメンタリー制作なんて、しないほうが幸せなのかもしれないが、
その難しさをを楽しみに置き換え、あえて、制作してみるのだ。

短編のドキュメントがあってもいい、ブレずに作れるかがキーポイントとなる。

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