乙姫の気まぐれ日記

アメリカのおせち

秋を探したがーーー

2012年10月25日 10時12分15秒 | 日記

最近余り心浮き立つ事が何もない。

ブログのお友達はそれぞれに秋を楽しんで居られるのを読んで

浦島殿に呼び水をさして見る。

然し反応は ”それはいいねえ”と上の空。

何処か行ってみたい処があればさっさとその準備をするのだが、

外国生活も長くなって行尽くしてしまったと言う感じで特別行きたいところが無い。

それに十一月から感謝祭、クリスマスと国を挙げての祭日が待っている。

勿論我が家はそれを避けることはできないから大イベントが待っている。

そんな訳で出費も当然考えてしまうケチな婆姫は健気にもおとなしく家に居る。

そこで昨日は街を散策、”犬も歩けば”を期待したが結局は棒にも当たらず、

”東京すし”の看板を見てランチを摂った:。

私はしらし、浦島殿はすしコンビネーション、その不味さと言ったら言葉にならなかった。

料理人はちゃんとした日本人の夫婦でしたがよくぞ恥じなくこんなものを出しているのか信じら

れないのだがどんどん客は入ってくる。

但し日本人は私たちだけ、なるほどねえ。

私は三分の一も食べただろうか、そしたらお持ち帰りしますか?

勿論No。

帰りに如何でしたか? と聞かれて私は返事が出来なかった。

浦島殿も不味いと嘆きながら食べたくせに、美味しかったですよ、

と返事をしているのだからあなたっていい顔するのが好きなんだねと言ってやった。

そうかな、それ以上の反応はない。

 

紅葉をを探したが秋にはもう少し。

   

お店はハローウインの飾りで溢れていました。

   


牡蠣養殖場

2012年10月15日 13時34分16秒 | 日記

昨日十月十四日、朝風呂の中で今日はどんな予定だったかなあ~とぼんやりと考えていた。

珍しく何もない。

アッ!そうだ牡蠣の養殖場に行きたい。

考えが浮かんだら大急ぎで風呂から飛び出て、ねえ、私牡蠣養殖場に行って見たいんだけど?

うん、いいよ、これも何時もの返事の浦島殿。

アイスチェストに氷を入れる。

買って帰るための準備。

私はお風呂から上がって出発まで三十分ともかからない。

日曜とあって車は少ないが濃霧に覆われた高速はスピードが出せない。

アメリカは日本のように「道の駅」もなければ立ち寄りたいようなお店も無い。

ひたすら走ること150キロ。

港にある養殖場にはすでに車が満杯、そこにはピクニック場もあって採りたての

牡蠣をバーベキューしながら賑わっている。

牡蠣は大、中、小 各々五十個入れで値段が違う。

私は中サイズ六十ドルのを買った。

それをアイスチストに入れて喜び勇んで、行きとは違う海岸線を通る。

ランチタイムはすでに過ぎているが何処を物色しても乙姫が飛びつくようなものは見当たらない。

何時もの如く、これが日本だったらねえ~と乙姫の口癖。(日本にはなんでもあるという意)

家に着いて早速牡蠣割り、私の力では割れない大仕事。

それに殻ばかり馬鹿でかくて中の牡蠣はほとんど成長していない未成熟。

不良品に近い。

それなのにあの繁盛振りはなんだろう。

酢牡蠣を食べたくて往復三百キロも走ったと言うのに。

それは諦めて牡蠣ご飯にして無理に自分を納得させてみた。

当分牡蠣は見たくもないわ。

   

↑濃霧の高速道路   ↑金門橋も霧の中    ↑森林の中を抜けて   ↑光る海

   

↑牡蠣養殖場       ↑牡蠣のバーベキュー ↑ 私が買った牡蠣  ↑急な崖を通って

こうして飛び回れるのも後何年あるのかなあ~否時間の問題かも知れないが出来るだけ多くを

この脳裏に焼き付けて置こうと思ったりしている乙姫です。

 

 

                                                                                           

 

 

 

 


登山

2012年10月09日 12時51分36秒 | 日記

十月五日午後、私達は大冒険に出発した。

登山である。

私たちは出かけるまでの決断、行きます、行きませんで子供たちを惑わせる。

年齢的に考えてしかたがない。

結局は大決断の末 yes。

レークタホまで車で650キロ、娘が二台の車を出して私たちを乗せてくれたので安心だった。

私はこの時とばかり喋り捲る。

だって普通働いて居る娘は余り私の話を聞く暇がないからこの時とばかり思いの丈を話したい。

タホの宿に一泊、そして翌朝八時に登山開始、めいめいがしっかり荷物を背負って居る。

浦島殿だけは荷物を免除され身一つ、私は自分の身の回りだけを背負ったが結構重い。

この山頂は3千メートル、私たちがテントを張ったのは二千二百メーターの地点、

かなり険しい登山道で何度も休憩を取らなければ私が付いていけない。

もう少しと言うところで私の荷物はすべて渡してしまう。

私たちのために往きは七時間もかかってしまう羽目になったが皆が優しく支えてくれた。

重たいカメラを持参したのだが登ることで精いっぱい、あまり写真を撮るゆとりさえなかった。

下山には私は何も持たず子供や孫に分散して貰い楽になったら、後は何を持ってあげますかと言うから

私の身体を丸ごと持ってくれと冗談を言いながら下りてきました。

     

  ↑ いざ往かん    ↑ 山の中腹でランチ  ↑真昼の太陽      ↑ 静かな湖畔                  

   

↑湖のほとり       ↑ 陽が昇る       ↑ 一休み       ↑ 夜の気温は零度    

   

↑山でのデザート    ↑   朝焼け           ↑ 此処でホームレスをしました。

私は子供たちの食事に便乗したがすべてが圧縮した登山用の食事、

それにお湯を注いでふやけたようなものばかり。

まるでドックフード、私が食べられるわけが無い。

息子が私のために用意してくれたインスタントのお味噌汁、家では食べない代物だが

これだけが美味しくて一杯のお味噌汁で夕食は終わり、何か食べないと明日山を下りられないからと

言うが息をつくのもやっと、見ただけで不味そうな犬だってもっと増しな物を食べているのに。

水は湖から汲んで薬を入れて殺菌して飲んできました。

やれやれ大冒険でしたが脱落せずに完遂したことに万歳です。


十月になっても

2012年10月04日 14時50分21秒 | 日記

十月になっても記事の更新が出来ないまま時間だけが勝手に流れて往く事に焦りを感ずる昨今です。

歳のせいなのか、雑用が多すぎるのか多分両者なんだと思います。

だって昨日美容院に行ったらもう、新年のカレンダーを頂いてしまいました。

何とも気の早い事、あまり急かさないで下さいよと言ってしまった。

病んで居られる方達を見舞って上げたいのにその時間が無いのは私の方が寂しくなってくる。

分担でやってきた今までの暮らしも二人三脚でなければいけなくなって来ている。

だけど二人揃って病気一つしない事だけは感謝そのもと言うことだろう。

私たちはその健康を信じて家族揃ってのバックパックハイキングに明日から出かけることにした。

金、土、日、登山をし山でテントを張って野宿と言うことです。

「年寄りの冷や水」で途中下山になるかも知れないがそれを覚悟の上で人生最後の冒険です。

無事帰ってきたら万歳!   万が一の時はバカなことをするからと笑ってくださいませ。

行って来まーす。

追伸

先日スタンフォード大学病院に行った時に何やらきれいな音色が聞こえてきましたた。

その音色に誘われて行ってみると広い待合室の一角でコンサートが開かれていました。

バランテアで誰もが自由に聞けるし、時には患者さんも下りてきてそっと座る、病院と言う雰囲気ではなく

コンサートそのもって感じ、私は一番前に座って長い時間吸い込まれるようにうっとりとさせられてしまう。

その心地よさと言ったらなんと例えようか。

この地のバランテア精神に胸の打たれた日でした。

毎週水曜日の演奏らしい。